皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

GWの始めに

2017-04-29 20:49:20 | 物と人の流れ
GWが始まりました。天気予報の通り、不安定な大気のせいで、一時雷雨となりましたが、上がると虹がかかりました。
かれこれ会社勤めをして20年以上になりますが、ほぼサービス業のため、お盆や正月、そしてGWに休みをとることはありません。高速道路の渋滞情報を聞いても、本当にそんなに混んでいるのか信じられないところがあります。
仕事帰りにガソリンスタンドによりました。GW始めのためか、家族連れの車が多かった様に感じます。ガソリン単価も高くなった気もします。やはり人の流れに乗ることは便利なようで、割高な経費がかかる気もします(サービスの受け手からすると)需要が高ければ、供給価格は上がるもの。ただし、一般的に世間と同じように働き暮らしている以上、同じように休むようになるものでしょう。
若い頃販売の現場で、先輩から、「休みは貰うのではなく、自分で取るように段取りするものだ」と言われました。そう言って、月に3日しか休めないこともありました。ブラック企業と言う言葉はまだありませんでした。
欧米の様に暦に関係なく、各々が長期休暇を取るようになる日は来るのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝顔の種まき

2017-04-27 20:24:30 | 生活
朝顔の種を蒔きました。小学校一年生の時には学校で観察記録をつけていました。ホームセンターではたくさんの苗木が並んでいました。種を蒔き、芽が出て花を咲かす。人の人生も花を咲かせるまでが最も成長し、充実した時間だと思っていました。小学校のハナミズキです。白い花が誇らしげに咲いています。
人も花も散った後、また種を残し次の世代へと命を繋ぎます。神話によれば、人の命が儚いのは、美しさの代償だとされています。(邇々芸命が木花佐久夜毘売を選んだこと)花は散れども逞しく思いを残すそんな生き方を全うしたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神社に寄せた固有の信仰

2017-04-26 21:16:22 | 神社と歴史 忍領行田

国道125号バイパスの北東方面から行田市総合運動公園を眺めています。自宅からの景色と丁度反対側からの眺めです。あたり一面緑の世界が広がります。麦の生育は早く、あとひと月もすれば黄金色に色づきます。

 行田市白川戸新田西部の八坂神社です。現在大字和田の一部となっていますが、古くは白川戸村の分村であったといわれています。

ご祭神は素戔嗚尊で、通称天王様は牛頭天王にちなむもの。氏子の祖先が諸国行脚の途中八坂神社の分霊を受け当地に祭ったとされています。

社殿は明治24年火災により焼失し、同26年に再建したものです。

本殿脇の祠は賽の神と言われ、お産の神様として信仰されています。昔妊婦は

祠に上がっている腹帯を借りて安産を祈り、産後お礼参りに新しい腹帯を添えて返したとされます。また8月14日に庚申様の御灯明と称して子供たちが各戸を回っていたとも伝えられています。干支は六十年或いはご六十日ごとにめぐって来ることから「庚申(かのえさる)」に当たる際には特殊な禁忌を要求する信仰があったといわれています。庚申の晩には三子の虫が睡眠中に身体から抜け出して天に昇り、天帝にその人罪過を報じて生命を奪うとされ、したがってその夜は徹夜することが修行とされたののことです。

こうした庚申信仰は封建制度社会後期に広まった思想で、市内にも庚申を祭った碑が数多く残されています。

白川戸新田は戸数が少ないながらも一村を形成していましたが、明治期に行政側の指針で和田村に編入された経緯があります。明治四十一年、村内神社合祀して和田神社としましたが、白川戸新田の固有の神社として残されました。現在でもこの神社を中心として地区の信仰を守っているそうです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虚空蔵山古墳にて

2017-04-22 22:50:57 | 神社と歴史
自宅から羽生の勤務先まで、毎日国道125号バイパスを通ります。秩父線と武蔵水路を越える陸橋の複線化工事が終わり、小見の交差点での渋滞が緩和されて暫く経ちます。
道が流れるとかえって寄り道したくなるのはなぜでしょう。ここ暫く交差点を左折して、荒木の村中を抜け新郷を通って会社に向かっています。
平成20年の調査で、元は全長60メートルを越える前方後円墳だったことが判明していますが、現在は小高い小さな山の形が残るのみです。女性の埴輪が出土しており、山頂部には虚空蔵菩薩像が祀られています。お堂を詣でる階段もあり、案内板も立っていますので、道すがら気づくことが出来ました。六世紀後半のものとされ、みちを挟んだ、国指定史跡である小見真観寺古墳よりも前のものなのでしょうか。八重桜が一本美しく花開いているのが印象的でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お詫びのサンふじりんご

2017-04-18 20:12:51 | 日記
初夏の陽気となった卯月の半ば過ぎ。午前の勤務中に駐車場に置いた車にドアをぶつけてしまったと、お客様から申し出があった。実はここのところ当たり年で、ぶつけられたねは3回目。しかも一度は当て逃げにあっています。現場にて確認すると、わずかばかりの白い傷。修理の必要ない旨を伝え、正直に申し出てくれたことに感謝すると、後々お詫びにサンふじりんごを職場に届けてくださいました。
直接受け取れなかったため、どちら様か名前を聞くこともできませんでした。
日々生産性の名の元に、ただただ忙しく時間に流されながら働いていると、人として大事なことも忘れがちです。
誤りを認め、自らお詫びすることは簡単ではないと思います。
心の隅で、黙っていればわからないことをどうしてあの人は自ら申し出たのだろうと考えてていました。
性善説と性悪説と言われますが、あまり深く考えたことはありません。ただ今日のことは忘れられない出来事となりました。
少し酸味の強いリンゴを黙々と食べています。
子供たちにも伝えました。高価で美味しい物ばかり食べるよりも、たくさんの人に出会い、質素でも美味しくものを食べられる人生を送って欲しいと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする