
かれこれ会社勤めをして20年以上になりますが、ほぼサービス業のため、お盆や正月、そしてGWに休みをとることはありません。高速道路の渋滞情報を聞いても、本当にそんなに混んでいるのか信じられないところがあります。


若い頃販売の現場で、先輩から、「休みは貰うのではなく、自分で取るように段取りするものだ」と言われました。そう言って、月に3日しか休めないこともありました。ブラック企業と言う言葉はまだありませんでした。
欧米の様に暦に関係なく、各々が長期休暇を取るようになる日は来るのでしょうか。
国道125号バイパスの北東方面から行田市総合運動公園を眺めています。自宅からの景色と丁度反対側からの眺めです。あたり一面緑の世界が広がります。麦の生育は早く、あとひと月もすれば黄金色に色づきます。
行田市白川戸新田西部の八坂神社です。現在大字和田の一部となっていますが、古くは白川戸村の分村であったといわれています。
ご祭神は素戔嗚尊で、通称天王様は牛頭天王にちなむもの。氏子の祖先が諸国行脚の途中八坂神社の分霊を受け当地に祭ったとされています。
社殿は明治24年火災により焼失し、同26年に再建したものです。
本殿脇の祠は賽の神と言われ、お産の神様として信仰されています。昔妊婦は
祠に上がっている腹帯を借りて安産を祈り、産後お礼参りに新しい腹帯を添えて返したとされます。また8月14日に庚申様の御灯明と称して子供たちが各戸を回っていたとも伝えられています。干支は六十年或いはご六十日ごとにめぐって来ることから「庚申(かのえさる)」に当たる際には特殊な禁忌を要求する信仰があったといわれています。庚申の晩には三子の虫が睡眠中に身体から抜け出して天に昇り、天帝にその人罪過を報じて生命を奪うとされ、したがってその夜は徹夜することが修行とされたののことです。
こうした庚申信仰は封建制度社会後期に広まった思想で、市内にも庚申を祭った碑が数多く残されています。
白川戸新田は戸数が少ないながらも一村を形成していましたが、明治期に行政側の指針で和田村に編入された経緯があります。明治四十一年、村内神社合祀して和田神社としましたが、白川戸新田の固有の神社として残されました。現在でもこの神社を中心として地区の信仰を守っているそうです。