皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

それは 人が人として生きること

2018-02-28 21:37:28 | 心は言葉に包まれて
明日から弥生三月。別れの季節も近い。雛人形も飾り付け、娘の六年間も思い出している。「思いやり」「感謝」「やってみること」子供に大事にしてほしい心構えが自分自身大切にしているか、疑問が残る。最後の学校便りに宮沢章二の言葉が載っている。掲載してくれるのは校長先生。この二年間ずっと読みながら励まされてきた。

あなたの「心」はどんな形ですかと
ひとに聞かれてもこたえようがない
自分にも他人にも「こころ」は見えない。けれど本当に見えないであろうか
同じように胸のなかの「思い」は見えない。けれど「思いやり」は誰でもみえる。それもひとに対する積極的な行為なのだから
あたたかい心があたたかい行為となり
やさしい思いがやさしい行為となるとき
「心」も「思い」も初めて美しく生きる
それは人が人として生きることだ

喜びは哀しみの後に。乗り越えると意気込む事より、自分の人生の一部としてすべて受け入れる寛容さがあればいい。
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お寅の思いを今に 丸ヶ崎 子鱠神社

2018-02-27 21:58:16 | 神社と歴史
国道16号線見沼区丸ヶ崎交差点には多聞院というお寺があり、かつては氷川神社(丸ヶ崎)の持ち寺でありました。神仏分離政策により、神社は寺からはなれ、明治四十年以降、政府の合祀政策により、無格社の村社への合祀が進められます。合祀後も祟りが起こったり、信仰が厚かったりなどの理由で、社や祠としてその地に残された神社も数多くあります。
その一つが子鱠神社です。鳥居がなく祠として残っています。弁天様として小さく祀られており、次のような逸話が残っています。
永仁の頃、(1293-99)辻谷の里にお寅という美しい娘がいて、近郷にはお寅を慕う者がたいへん多かった。その思いに挟まれて苦しんだお寅はついに「自分を望んだ男たちに自分の身体を料理して食べさせ、その希望を満たしてもらいたい」との遺言を残して命を絶った。親は娘の気持ちを哀れに思い、遺言通りに男たちを招き、お寅の股肉を鱠にして食べさせた。その後事の次第を知った村の男たちが供養搭として建立したのが、寅御石として残り、お寅の霊を祀ったのが子鱠神社と言われています。
推測でしかありませんが、天災や村の争いを鎮めるのに人柱が立つという伝承は各地に残っているように思います。お寅はどうして犠牲になることを選んだのか。村のいさかいを鎮めるのに若い命が犠牲になり、それをもって村がまとまったというような哀しい歴史があるのかもしれません。合祀という時の権力にたいする、村の抵抗もあった事でしょう。武蔵の国の大動脈と呼ばれる国道脇には、今もこうした祠が今も静かに立っています。
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丸ヶ崎 氷川神社

2018-02-27 21:31:14 | 神社と歴史
東大宮にある丸ヶ崎氷川神社。新編武蔵風土記稿によれば村の鎮守、また多聞院とあるようです。「埼玉の神社」によれば、武蔵国における氷川神社は355社。元荒川と多摩川の間に多いとされ、いずれにしても一ノ宮氷川神社を勘請しています。
元禄11年の丸ヶ崎村絵図には、「わしみや」と読める社があり、久喜の鷲宮神社の神領に含まれていたかもしれません。下が境内末社[鷲宮神社。/c528a732efabcbbe11b4b9857a4af156.jpg]神楽殿には八頭大蛇神話の絵馬が奉納されていました。
本殿脇には、八雲神社も祀られ須佐之男命信仰が盛んです。夏祭りは「天王様」と呼ばれ神輿も担がれたそうです。明治になり丸ヶ崎地内の無格社が多く合祀されます。その中の一つに子鱠神社があり、人柱に近い伝説が残っていて、合祀後も小さな祠として蓮田市の境に今も残っています。
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答えに△はあり得るか

2018-02-26 22:50:16 | 日記
三学期も残り僅かとなり、小学校では各教科のテストが次々に返ってきている。3月になれば卒業式関連の準備が多く、教わる内容はほとんど終わったらしい。
たくさんの出版社から、マンガやキャラクターを使った学習補助に役立つ本が出されている。我が家のお気に入りはドラえもんシリーズ。弟は四字熟語。姉は百人一首を読んでいる。大人が読んでも勿論楽しめる。
六年生の姉の漢字テストが返ってきた。点数よりも採点基準に納得いかないらしい。就という文字の右下のはらいの起点はどこか。真ん中より下ではダメだという見解だ。納得いかず先生に聞いたらしい。
漢字テストに△はないと思う。(採点基準にばらつきはないほうが良い)間違いでもいい。どうしてこういう文字なのか、文字の意味合いまで知ってほしい。自分も答えられなかったけれど、疑問を持つことで、自分で調べて見識も広がる。
国立大の入試も回答が導けないことがわかり、合否が覆った昨今。間違いを認め、正すことは何より大事な事だと思う。
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我がまほろばは

2018-02-24 21:57:08 | 心は言葉に包まれて
日本尊命が最後に詠んだとされる歌「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し麗し」
インターネットやAIによって現在の情報量は江戸時代の200年分の情報量を数日で越えてしまうというような話を聞いた。変化に対応出来ない品種は滅び行くしかない。だから変化はチャンスと捉えよと。
百年年後、いや30年後国のまほろばはどうなっているのだろう。それぞれの故郷がまほろばとなる日はくるのだろうか。
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