皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

人生は紙飛行機

2019-12-23 22:51:04 | 心は言葉に包まれて

冬至を過ぎてクリスマスを迎えようとしています。毎年のことですが、今年もあと何日と指折り数える季節です。

ここ数年年末年始の繁忙期には、その業務の多さに気がめいってしまいがちですが、少し考え方を変えるようにしています。今年もあと何日という差し迫った未来志向から、今年一年350数日ここまでそれなりに精一杯生き抜いてきたことに思いを向けるようにすることです。仕事柄、年末の商盛期は一年間の顧客評価が現れる時期だといいます。どんなに厳しくともお客様あっての仕事ですから、これまで自分の仕事に誇りをもって乗り越えていけたらと感じています。

朝の空を見上げて 今日という一日が

笑顔でいられるように そっとお願いした

時には雨も降って涙も溢れるけど 思い通りにならない日は 明日頑張ろう

ずっと見てる夢は 私がもう一人いて

やりたいこと 好きなように 自由に生きる夢

人生は 紙飛行機 願い乗せて 飛んでゆくよ

風の中を力の限り ただ進むだけ

その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか

それが一番大切なんだ さあ心のままに 365日

今日から少しずつでも日が延びていきます。そう考えただけでもなんだかうれしくなりますね。

 

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上尾市柏座 春日神社

2019-12-17 20:30:19 | 神社と歴史

 師走も半ばを過ぎていよいよ年末の足音が聞こえてくるような頃合いとなった。毎年このころになるとやや気も重く、仕事に対する重圧を感じ、気ばかり焦ってしまう。そんな時こそ外に出て、空気を吸いなれない土地を歩いて廻るのがいい。

 上尾市は人口22万人を抱える県内有数の都市であるが、もともとは中山道の宿場町にあたり、江戸日本橋から数えて5番目の宿場であったという。上尾という地名は戦国期からついたといい(郷名)高台の田の端を意味するという。尾というのは接尾語的に使われ端を指すのは私の住む皿尾も同じ。但し江戸期まで宿場としては水運の船着場にあった平方の方が栄えたという。

 

「埼玉の神社」を調べると、こと北埼玉にせよここ北足立にしろ、その中心となる神社が多く地域に勧請される。北埼玉であれば久伊豆、北足立であれば氷川神社。北葛飾であれば鷲宮神社といったところがその中心。勿論全国的に広く多数勧請されている八幡、稲荷、天神、神明といった神社は多くの旧村社ともなっている。しかしここ関東ににおいて春日神社の数は明らかに少ない。各市町村において一社歩かないかほどだ。ここ上尾市についてもここ柏座に一社のみ。地元行田市についても二社に限られている。

 春日神社の総本社は奈良の春日大社。古くから神様が宿る神奈備山として崇められた春日山(御蓋山=みかさ山)の麓に鎮座している。朝廷から崇敬を集めた国家鎮守の神である。そしてその春日大社を氏神としたのが藤原氏であった。

戦国期忍の浮き城と名をはせた成田氏は、古くから藤原氏の流れをくむとされてきた。その成田当主は十四代当主顕泰から下総守を名乗っている。顕泰から家督を相続した十五代親泰は延徳元年児玉党の忍氏の館を攻め、同三年に自らの居城として忍城を築いたとされる。応仁の乱(1467)の二十年後くらいの頃である。その後長泰、長氏と家督を継ぎ何れも下総の守を名乗り、氏長の時に城は石田三成率いる豊臣軍によって水攻めにあったことは歴史の知るところとなる。

 その成田下総守の家臣、曽我兵庫助祐昌(そがひょうごのすけひろまさ)がこの地に住んでいたことから、主君成田氏の氏神である行田市谷郷春日神社を勧請したと考えられている。

「風土記稿」によれば柏座村の項に、村の北方の丘に曽我氏の居館があり、歌舞伎で知られる曽我十郎、五郎兄弟に伝承された様子が載るともいう。「春日社 当村及び春日谷津村鎮守也日乗院持」とある。江戸期には柏座村の鎮守であったという。別当日乗院は真言宗の寺院でかつては十石の朱印地を有し、元暦二年(1185)道法上人の草創という。

平成九年には春日神社合祀百周年の記念事業が行われ、記念碑が建てられている。氏子区域は柏座、春日、谷津の各地で総代もそれぞれから選出される。古くからの行事を大事に伝えるという。

鎮座地は柏座二丁目であるが、上尾市は戦後都市化の中で多くの区画整備が行われ、町全体が一変している。かつては大きな杉の木があり字名も柏座一本杉と称した。現在では境内に大きな銀杏の木が数本立ち並び、初冬になって尚その美しい黄色の葉を留めている。

 

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忍中学の名を誇れ

2019-12-10 20:40:37 | 生涯学習

 行田市立忍中学校のPTA活動の一環として第三回家庭教育セミナーが開催されました。場所は行田市水城公園にある忍公民館です。子供の中学校生活も折り返しを過ぎ、いよいよ来年は三年生。楽しい中学校生活を過ごしているようですが、将来のことについて具体的に考える時期に差し掛かっています。親としても気をもむ年頃ではありますが、目先のことにだけとらわれず、広い視野を持って学校ともかかわっていきたいと感じています。今日のセミナーの講師は外部委託ではなく、校長先生が務めてくださいました。春からの学校通信を読んできましたが、その中で忍中の校歌が先生自身がとても気に入っていらっしゃり、特に最後の句「忍中学の名を誇れ」と言えるような教育をしていきたいと書かれていました。

平日の午後ということもあり、参加者は10名と少なめですが篠田校長先生は事前準備をされて講演に臨まれていました。講演のテーマは「より良い社会を創造するために」~家庭と学校から考える~ということでした。

今では公立中学校においてもHPが開設され、学校の歴史や沿革、教育目標、学校での活動までリアルタイムで見られる時代です。昭和22年学校改革によって忍町立第一中学校として設立された忍中学校。市立制として昭和24年には行田市立第一中学校(第二が行中、第三が長中)となります。昭和60年(1985)西中学校と分かれるまで、在校生1000名を超えるマンモス校でありました(私は昭和60年4月入学)。平成9年には創立50周年を迎え、玄関前に記念のブロンズ像が建てられています。両手で何か抱えるようにして立つこの像は「自分の夢や希望」を持つことを表しているそうです。また同年この像の下にタイムカプセルが埋められて、2047年3月には開校100周年として開けられることになっているそうです。(このことを知っていた職員は校長先生だけだったそうです)

 これからの子供たちが身につけるべき力は何か。時間軸で言えば私たち大人は今を生きている。一方で子供たちは未来に生きる。30年後の社会を想像することを求められました。すぐには思いつかないものです。反対に30年前はどういう社会だったかは思いだすことができます。

時代が昭和から平成へと変わり、ポケベルやPHSが普及し始め、ソニーやPanasonic、SHARPといった家電がその技術でしのぎを削った時代。人口が減ってゆくことなどイメージできない時代でした(バブルははじけていましたが)。自分が大学生の頃です。情報化社会(IT)時代の草創期だったのでしょう。

これからはソサエティー5.0の世界を迎えるといいます。人類にとって五段階目となる新しい世界。人類の誕生から狩猟、農耕、工業、情報社会を経て、今からは高度な先進技術によってあらゆる課題が解決されていく社会になるそうです。私たちからすると情報(IT)社会はついこの間始まったばかりだと感じてしまいますが、AI(人工知能)、ビックデータといったこれまで考えられなかった技術により、社会は我々の予測を超えて進展するそうです。

 別の公演で聴いた話では、日本史で言えば律令期から平安貴族社会、武家社会、中世戦国、江戸期といった800年から1,000年くらいの時間をかけて変化してきたことが、たった数十年単位で変化してしまう時代。時間という物差しの尺度がまったく違うのでは人の本質にも影響すると聞いたことがあります。

 30年後には教科書をもって学校へ行く時代ではなくなっているでしょう。AIがなんでも解決してくれる時代。人が必要とされなくなってしまう時代。私が働く流通小売り業においても同じように、人の手を掛けない仕組みが進みつつあります。今日たまたまいったUNIQLOのレジに並んで(いやならばない)タグが通過しただけで商品を判別されてしまうことに驚いてしまいました。

では30年後に求められる力はなんなのか。人は自ら目的を持ち、その目的に応じて情報を仕分け、答えのない課題に対して他者と協力して生き抜くことが出来る存在だといいます。情報処理や唯一の答えを膨大なデータから求めるコンピューターとの違いは、意志をもって行動できることだといいます。簡潔にいえばまさに「人間力」これこそ30年先に生きる上で必要な力なのです。

その人間力を磨く基礎となるべき義務教育期間は、公立で入れば住んでいる区域で分かれる地域割りがとられています。私立全盛と叫ばれる時代の中で公立学校の強みとその役割は何なのか。それは偶然が生み出す可能性は計り知れない事です。たまたま同じ時代、同じ区域に住んだ者同士が結ばれることでしか磨かれることのできない力があるというのです。勿論私立の様に同じ目的、学力レベルの子供たちが競いあうことで生まれる力も大きいのでしょう。でも偶然出会えた奇跡の力を信じたい。そのためには他者を認め尊重する気持ち、多くの人が共同で時間を過ごすことに必要なルールやマナーを順守するしつけが重要です。

 忍中学校の体育祭は団制が敷かれ、力の限り仲間を応援し、結果にかかわらず団長はその最後に涙を流すそうです。人を応援する力はAIにはまだ備わっていないといいます。ラグビー日本代表の様子を見ればわかります。

「認め合い、高め合い、支えあう」人によって人は成長するそうです。学び続ける自分、成長し続ける自分、信頼される自分、この三つを心の中に抱き続けることができれば、人も道に外れることはないそうです。

 最後に校長先生自ら、自分の学生時代の成績や生い立ちまでお話しくださいました。

まとめに私たち保護者に対して投げかけてくださいました。「子供に夢を背負わせておいて、自分は何も背負わないのはもったいない」

30年後の未来のためにいくつになっても「自治、共同、勤勉」の校訓を忘れないでいたいと思います。

 

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道祖神と脚の神

2019-12-09 23:00:37 | 神社と歴史

道祖神は塞ノ神と呼ばれ導きの神猿田彦と結びついて祀られることが多い。古くは賽大神、道神とも記される。当社においても二の鳥居前、参道に沿うように祀られている。

風雨にさらされ現在では塞の文字が判別できるのみとなっている。「塞神」の塞とは土をもって外敵の侵入を防ぐための砦を意味する。(とりで=砦と同義)その名のごとく元来は防壁、防障の神であり、外から襲い来る疫神悪霊などを村境や辻などで防ぐために祀られたもの。その過程で生者と死者、人間界と霊界の境を司るとも考えられてきた。

塞ノ神の後ろに奉納された石燈篭は宝暦二年(1752)の年号が残り、本殿脇の石灯籠よりも古い。仏教思想との本地垂迹が説かれたこともあり、賽の河原で子供の亡者が小石を積むとの考えから、道祖神の石碑の前に石を積むことも多いという。

 塞ノ神を祀る辻や橋畔は古より人馬の往来繁く、子供の集い遊ぶところとなり、或いは市の開設などもあり得た場所であり、道祖神は村人の運命を知り縁を結び、子供と親しい神となった。

子供の頃父から「脚の神様」と教えられてきた。道行く人々の守として旅人が脚を休め、旅の安全を祈願したこともあったのだろう。

正月十五日(小正月)に行われる火祭りの行事を左義長と呼ぶ。正月飾りを田んぼで焼く古くからの風習のこと。どんと焼き、歳徳などと呼ばれ、だるまや正月飾りを燃やして天に帰すとものだが、塞ノ神勧進と言って元々は道祖神の祭りのことだったようである。

正月の書初めもこの時に焚き上げ、炎が高く上がるほど文字が上達するともいわれている。

行田市内にも多くの道祖神の石碑が見られるが、長野、群馬、神奈川には男女を配した道祖神が多く、行田市内では「塞神」「道祖神」と文字が刻まれたもののみだという。

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私後悔しないので~ギャンブラーの誤謬

2019-12-05 23:54:41 | 先人の教えに導かれ

 「私失敗しないので!」は今クールも高視聴率が続く人気医療ドラマの決め台詞。主人公のドクターが絶対の自信をもって言い放つ姿は、爽快感にあふれている。主題歌のアーティストが変更になったのが少し残念だが、何故かこのシリーズから見て楽しんでいる。(これまで見たことはなかったのに)

 昨今ランチにしろ何にしろ、自分で選択できない人が増えているという。平和でものが豊かになった故の賜物ともいえるが、豊富な選択肢があるとかえって自分で選べなくなる傾向があるという。理由は「後悔したくない」という心理が働くせいだという。人は経験を積みある程度成功体験が積み重なると、自分から積極的に選択するということを楽しむより、失敗を恐れる傾向が出てくるらしい。勿論人それぞれだとも思うが、当てはまる事例も多いだろう。歳を重ねても、新たな経験を楽しむ気持ちを失わないようにしたいと思う。

似たような事象に「ギャンブラーの誤謬」というものがあるらしい。

広義の思い込みで、本来の事象の確率が少数の試行でも観察されるはずだといった、所謂「玄人のなんとなくの勘」のことを指すらしい。

例えばサッカーの試合の前に行われるコイントス。コイントスの回数を増やしていくと表と裏の出る回数はほぼ1/2に近くなるという。表と裏のでる確率は理論的には1/2だから続ければ続けるほど、その確率は1/2に収束していく。これを大数の法則という。

 ところがギャンブルなどで表と裏それぞれの目が出るほうに賭けたとき、何度も同じ目が続くと次は反対の目が出てくるような気がしてくる。表に三回賭けて負け続けると次はそろそろ裏が出そうな気がする。そして結果的に四回目も五回目も表が続いて負けてしまうこと。

この錯覚をギャンブラーの誤謬という。なぜなら五回表が続いたとしても、理論的には6回目のコイントスも表と裏の出る確率は1/2に変わりないからである。大数の法則はその試行を無限に増やしていくと当はまる法則であって少ない試行の範囲では表が続くという事例はありえることだともいう。

 ギャンブルにしても投資にしても、このなんとなく、或いはそろそろ次はといった理論的に根拠のない判断のことをギャンブラーの誤謬といい、判断基準の選択を戒めるようにするという。じゃんけんにしても同じでグー、チョキ、パーの三手からなる結果の帰属は勝ち負けあいこの33.333333、、、、、、%であってじゃんけんに強い弱いの差はないのである。

あるとすれば自分はじゃんけんに強い、弱いという勝ってな思い込みだけであって、その思い込みによる心理状態が与える精神的有利不利は本人次第である。

 

 ところで営業成績を曜日周りや天候のせいにするのも予見といえば聞こえがいいが、誤謬と言ってもよいのではないか。そろそろ前年を割れる、或いはまだ前年をクリアできるといった観点も客観性はあまりないようにおもう。自由主義経済において予算を立てることは非常に重要なことであるけれども、実際には思い込み拠るところも多いだろう。

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