ロシアウクライナ紛争の行く先も見えない中で中東情勢も混乱を極めている。イスラエルの歩んできた歴史を学べば自衛という名の武力行使は常に名目だけでは終わらないことは確かだろう。隣人を信用できない社会は常に境界線を厳しく敷く。海に囲まれ戦後の平和な暮らしを甘受してきた私たち世代には易々とイメージできない社会のほうが世界ではスタンダードであることを改めて認識しなければならないだろう。
radio番組の経済コーナーで有名大学の教授が「ソーシャルキャピタル」(social capital)につて話していた。19世紀に生まれ1972年に論文化された概念で「社会関係資本」と訳される。エネルギー供給や交通網の整備といった社会的インフラは目に見えるけれども、隣人との信頼関係や、政治への信頼といった内面の問題は可視化できない。人々の信頼関係が強く、協調的行動が顕著な社会ほど効率的で生産性が高いという考え方。
米国におけるコミュニティーの衰退や過度な個人主義への反省が根底にあって、おおよそ日本では昔は高い傾向にあったと考えられる。日本では「お互い様」という言葉があるように、協調性は高い傾向にあると考えがちだけれど、近年ではそうとも言えない。格差が分断を生む構造が浸透してきて久しい。
自国を信頼していますかという問いに、今の日本の多くの人は「どちらともいえない」と回答するそうだ。これはフランス人にも共通しているという。
「皮肉の国」という風で自国に誇りを持ちながらも、自信を失いかけている時の表れだという。だからNationalチームのスポーツ応援が盛んになるという。
本当は自分や自国に誇りを持ち、隣人を信頼する社会を望んでいるはず。
ソーシャルキャピタルという言葉が多くの人々に浸透し、そうした社会が根付くことを願っている。