月明け五月四日に予定されている神事「疫神祭」。江戸期から疫病除けとして田んぼの作業が始まるころ、村の三か所の入口を祓い、「疫神除神璽」の神札を立てて回ることが形として現在も残る。平成初期まで神輿を担ぎ、各個宅で祓いを行い、ともに回る氏子の列を持てなしていたが、少子化、過疎化の波によって神事の形態としてはかなり簡素化している。
今年一月、ある氏子宅に戦前の疫神祭の様子が残るということで写真を見せてもらうことができた。代々続く旧家で神社とのかかわりあいも長い。写真のように正装した神職と随行する氏子の姿が印象的だ。明治期なのか昭和に入ってのものか判断できないが、間違いなく疫神祭の写真である考えている。
神輿に乗せた御神体を担いだのはおそらく現在の神輿からで戦後の話なのではないだろうか。辻祓いの神璽札については祭りの始まりまで遡ることになると思う。では疫神祭にとって最も重要なことは何だったのだろうか。当時の写真に茅葺屋根の高さまでひらめく五本の幟が見える。「五色旗」と呼ばれるものだ。これは近年まで現存していて、旗の劣化で使用しなくなったが、代わりに五色の幣束として神事に掲げられている。
五色は陰陽五行の五行を表すものですべて万物はこの五行の陰陽の組み合わせで成り立っていると考えられている。
青・赤・黄・白・黒(紫)すなわち木・火・土・金・水。五常に当てはめると仁・礼・信・義・智となる。
五月と言えば鯉のぼりを思い出されるが、鯉の上にたなびく「吹き流し」もこの五色が用いられ、「魔除け」としての意味があるという。
疫神祭においては、新緑の樫の枝に紙垂を付けて祓いとしている。
当然田んぼに水がはいり農作業が始まれば、人の動きも活発となり水や人の手を介した疫病も流行ったのだろう。よってこの時期の農作業から「苗代祭り」とも呼ばれている。
この時期水もさることながら、風が吹くことが多い。風薫る五月というが疫病も運んできたことだろう。また疫病でありながらまたそれを「疫神」としてとらえ恐れ鎮めようとする神道的感覚を伝えていかなければならないと思っている。
神は万物に宿る(森羅万象と八百万の神)。神と土地とともに今を歩む(氏神信仰と今中思想)
風薫る五月まであとわずかだ。