皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

海の家、人の波

2017-08-10 22:04:28 | 物と人の流れ
茨城県ひたちなか阿字ヶ浦海岸に海水浴にいきました。北関東自動車道が開通してから、北埼玉からは最短で行ける海だと思います。それでも片道150キロ。二時間はかかります。道は空いていますが、運転にはきを使います。海の家はとらやさん。近くに旅館も営業しています。昨日から一転生憎の曇り空。8時前に着くと、お客さんとしては一番乗りです。駐車場、海の家利用料金、昼食代で、家族四人で一万円ですみます。9時までがらがらですが、昼近くには、家族連れや学生でそれなりの客数です。海辺に500
人、海の家に100人前後でしょうか。
いわゆるメジャーなビーチではありません。遠浅ではなく入ってすぐに深瀬となり、あまり海水浴には向かない海岸のような気がします。
それでもここ数年来ているのは、海の家の雰囲気と人の会話があるからです。旅館との兼業ながら、50年近くやっているそうです。たまには宿にも泊まりなと勧められますが、連休が取れず日帰り旅が続きます。
海の家は営業時間、期間とも短期決戦。一日の天気次第で、売り上げも大幅に変わるそうです。来館、食事、帰りの時間もみな同じようで、品切れ無いよう、また待ち時間が無いよう、準備していました。ただし、メニューは売り切れ御免です。
やはり、人と同じ時間に遊び、食べ、休み行動するのは、割高で混雑もします。人とは違う旅を心掛けたいところですが、季節はみな同じ時季にめぐってくるもので、今回ばかりは海辺の波と人の波に乗りながら、穏やかな反面せわしない旅を楽しみました。
明日から忙しくなりますので、帰るなりコインランドリーで洗濯し、乾燥までします。田舎でもコインランドリーは軒数があり、意外と需要があるようです。
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ゆく川の流れは絶えずして

2017-08-07 21:16:38 | 記憶の片隅

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人と住みかと、また各のごとし。たましき都の内に棟を並べ瓦を争へる、高き、卑しき人の住まいは、世々をへて尽きせぬものなれど、これをまことか尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或は、去年焼けて今年作れり。或は大家滅びて小家となる。
 住む人も、これに同じ。処も変わらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝に死し、夕に生まるるならび、ただ泡にぞ似たりける。
 知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いずかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむる。その主と住みかと、無常を争うさま、今は朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといえども、朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて露なほ消えず。消えずといえども、夕べを待つことなし。

 私にはわからない、生まれたり死んだりする人は何処からきてどこへさって逝くのか。

 十五年前、オープンした店の契約更新の話を聞いた。
更新しなければ、お店はなくなってしまう。開店時、輝いていた外観、内装、テーブル、そして希望にあふれていた従業員。時と共に働く人もかわり、メニューも常に新しくなった。たくさんの人が食事をし、会話を重ね、過ごした時間。僕がかかわったのはその最初の半年余り。

遠く離れ、忘れてしまったことのほうが多い。でもかすかな糸でつながっている。人の心という糸で確かにつながっている。

 どこにでもある飲食店かもしれない。でも僕にとってかけがえのないただ一つの店。

自分にできることは何もない。それが現実。でも遠く離れたところで願っている。今この店で働いている人が、毎日明るく仕事できるようにと。また、かつて共に働いた仲間が、それぞれの道で幸せに暮らせるようにと。

 生きていくことは、この上なく儚いと感じる。でもともに過ごした時間は間違いなく輝いている。

ここで働くことができてよかった。連絡くれてありがとう。必ずまた会えると信じている。
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