皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

皿尾城遺構調査

2017-12-26 22:08:49 | 史跡をめぐり

昨年から史跡としての調査を依頼していましたが、今日城の遺構の調査が入りました。平成五年に埼玉県教育委員会の地層調査が入っていますが、地元行田市の文化財保護課による調査は初めてです。たまたま休みで自宅におり、地層調査を見ることができました。社殿裏の土塁のすぐ後ろを掘っています。土塁の積み重なった地層の様子がよくわかります。年明けにもう一ヶ所掘ることになりました。堀が続いているかを見極めるためのようです。
足袋蔵の町行田の日本遺産認定から陸王放送にかけて、多忙を極めるなか、皿尾城の試堀調査をしていただいたことに本当に感謝しています。
浮城の町行田にもうひとつの城があったこと。そこに多くの歴史が眠っていること!たくさんの人に知っていただきたいと感じています。
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サンタはどこからやって来る!

2017-12-09 23:31:59 | 物と人の流れ
師走も十日近くなりいよいよクリスマス商戦本番。子供のプレゼントを用意しようとショッピングモールへ駆け込んだ。いまだにサンタクロースを信じ、願い事を口にする長男のため、8時を過ぎて、某電器店へ。
人気の商品が入荷していた。メーカーの出荷が読めず、たまたま今日入ったそうだ。食品以上に、こうしたイベントに敏感な業界だ。陳列が間に合わず通路に投げ出されている。更に9時近くにも関わらず、レジは長蛇の列。ラッピングが多く時間がかかる。
親が子のため、または祖父母が孫のため財布を開く。こうした動機がないとなかなか物や金が動かない。やはり購買理由がなければお金をつかわないもの。
食品と違って、必要ではないが欲しいものをいかに集め、買ってもらうか。ネット通販が進んだ時代でも、まだまだ売り場に足を運ぶ人は多い。自分もその一人だが。どの業界でも忙しい師走の晩。
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用土村諏訪神社

2017-12-07 22:36:27 | 神社と歴史

 旧寄居町用土の諏訪神社。境内に接しているのはかつての鎌倉街道呼ばれる道です。私は普段会社勤めの身であり、現在の本社は鶴ヶ島市に移転しましたが、現在でも物流センターや研修施設があり、会議の度にこの神社の前を通ています。社伝によれば坂上田村麻呂東征の折、当地からも多数の援軍を出しているそうです。東征を終えて京に戻る際、この地から参加した郎党は信州諏訪の地に土着し、その後代を重ねて子孫が用土に戻る際、諏訪大社を勧請したとされます。応和三年(963)のことです。
 『大里郡神社誌』によれば安産・虫封じ等のご利益があるとされ、雨乞いの信仰から獅子舞が伝わっています。

昭和37年には旧寄居町の無形民俗文化財に指定されています。『埼玉の神社』の記述によれば獅子舞の獅子頭を「ナタッパズレの獅子」と呼んでいるそうです。左甚五郎のナタッパズレとの意味です。すなわち名工による鉈で粗末に作ったものという意味のようです。
舞の演目は七つあり「三拍子」「花掛り」等です。地元の子供たちが小学校になると代々獅子舞を習い始めるそうです。

やはりこうしたササラ獅子舞はそれぞれの地域で大事に受け継がれるものだと感心させられます。
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関東の奇祭「提灯竿もみまつり」

2017-12-05 22:34:50 | 麻久良我乃許我の里

 師走に入って日々せわしなく、時間ばかり過ぎてしまいます。年末年始に向けやるべきことは山積みですが、焦ってはかどることはなく毎日の積み重ねが大切だと改めて感じています。
 古河の神社や歴史博物館に足を運び、その街並みや文化にふれてきた数か月でありましたが、市内でも最もにぎわう祭りである「提灯竿もみまつり」を見ることができました。祭の起源は旧古河藩領となる栃木県野木町の野木神社に伝わる神事「七郷めぐり」に由来するそうです。

 「七郷めぐり」は現在の小山市に編入する七つの地区にある野木神社の末社を十一月二十七日から「おいで」から一日ずつご神体の神鉾を奉じて順番に訪ねる神事です。裸になった各地区の若者が篠竹に提灯をかざして次の末社に向かう際、地区境にて双方の進路をめぐってもみ合いをしていたと伝わります。十二月三日から四日にかけ、「おかえり」と呼ばれる七郷めぐりから帰った一行を日光街道で多くの人がまちうけ、寒さしのぎに竿をとってもみ合ったことから現在のような形になったそうです。

雀神社から渡良瀬遊水地を眺めた時には、万葉集に謳われた水上交通の要所としての景色が目に焼き付きましたが、古河の町は一方で江戸期の日光街道の重要な宿場の一つでもありました。
矢来と呼ばれる櫓のような中で竹をもみ合います。
地区対抗で高い竹竿の先についた提灯の消し合いの試合は迫力があり、間近で見ると竿の太さもかなりありました。竹を接いでいるのか一本の大竹かわかりませんが、ともかくかなりの高さで、勝負が長引くと竿の先で提灯が燃えてしまうこともありました。

矢来から少し離れた場所では太鼓囃子が披露されています。叩き手は皆さん若い人ばかりでした。
職場の人に聞くと寒い時期でなかなか実際には見に行かないということでしたが、屋台も軒を連ね、たくさんの人で賑わっていました。神事に起源をもつこうした祭が盛大に続いていることを実際に目にすることができまた少し古河の町に溶け込めたような気がしていました。

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