皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

身近な公園に見る地域社会の行く末

2023-08-03 22:45:07 | 郷土散策

夏休みに入りここ北関東でも連日の猛暑が続いている。防災無線で熱中症警戒アラートが伝えられ、「不要不急」の外出を控える放送が流れている。世代によっては食品スーパーなどを避暑地的に利用される方も多い。自宅で涼をとり続けることにためらう方も多いだろう。

子供たちはどうしているのだろうか。私たち世代(50代以上)は小学校なら近くの公園、神社で遊び中学校なら半日は部活に明け暮れていた。神社で育った私からすると夏休み中の神社は特に自治会館と接していると朝はラジオ体操、昼は子供会、夕方まで自由に遊べる最も自由な場所であった。もちろん安全面も含めて。神社の杜が木陰を生み出し風を感じる貴重な場所。年々杜も少なくなり、少子化のためラジオ体操がなくなり、子供会そのものがなくなってゆく。神社で子供たちだけで過ごす風景は遠い昔のことになってしまった。

一方公園はどうだろうか。自治会の管理下にある地域の公園はまだ多い。小さな子供を連れてベビーカーで散策する姿を見ると微笑ましく思う。それが大きくなって中学校くらいになるとサッカーなど球技をすることが多く、施設の管理面から締め出されることが顕著になっている。

子供だから建物にボールをぶつけても許されるということはない。されど一切の遊びを排除してしまっては子供も居場所をなくしていってしまう。やはりコミュニケーションの希薄化が見られる。お互い不快な面があるから規制で済ませてしまおうという簡潔なやり方だ。当事者にとってはこれが一番やりやすい。結果誰も寄り付かなくなる公共の公園が出来上がってゆく。

もう少し工夫の仕方がきっとあるだろう。「面倒くさがることをやめよう」自分に言い聞かせるようにすると、意外と人生が変わる。

面倒なことを皆で共有すると争いもあるかもしれないが、解決しようと努力することでより良い未来が開けるのではかと思う。

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水無月 花手水 希望の光

2023-06-03 21:46:56 | 郷土散策

貴重な土曜日の休みを忍城周辺で過ごすことができました。毎月第一土曜日は花手水ライトアップの日。忍城でもキッチンカーが出店するなどにぎやかな様子でした。

当社も行田商工課の花手水企画協賛神社として花手水を展開しています。水無月の花手水は紫陽花とサツキです。基本的にその時期に咲く境内地の自然の花を活けています。

月明かりが田んぼの水面に反射して日が暮れても明るさが続きます。

熊谷方面の夜景が美しく、夕日の沈む時間を惜しんで眺めています

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屋敷稲荷と裏白の木

2023-01-21 19:38:13 | 郷土散策

氏子区内のお宅で屋敷稲荷周辺の樹木を伐採をするにあたってお祓いをしてほしいとのことで、樹木伐採報告祭を執り行いました。当地区内でも古くから代々続く家柄で広大な敷地を有します。


初めて敷地内のお社を拝見させていただきましたが、稲荷社と天神様の一間二社造りとなっている貴重な屋敷神様で驚きました。御神体としてはいる幣束の紙垂を当家で毎年切り替えていますが、私の曾祖父の名前が記されています。社殿の屋根は一回り小さな瓦が載っており、また鬼瓦の神紋には梅が用いられていることから、天神様を祀っていたことがわかります。

御神木はウラジロの木という常緑樹で、葉の裏側が白くなるそうです。敷地内の整理でこの御神木を残して、屋敷森をたたむようです。田舎暮らしでも、屋敷林を維持して行くのが難しい時代になりました。

お祓いのあとお屋敷でお茶をいただきながら、古い写真を見せていただきました。明治期のもので、当地区の厄神祭の様子でした。五色旗があり当時の様子を良く伝えてくれています。
このお屋敷から私の住む皿尾城を望むことができます。その間にひろがる耕地の一部は私が子供だった昭和50年代までため池となっていて、冬場には氷が張って滑ることもできました。当時は村に酪農家もあった時代です。
この村の暮らしと祭祀を次世代につないでいくという使命を私は担っています。
先はなかなか見えませんが、昔のことを紐解きながら少しづつ紡いでいくしかありませんね。


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荒川の恵みと北埼玉の風景

2022-05-25 09:44:41 | 郷土散策

五月皐月も後半。いよいよ田んぼに水が引かれています。埼玉県行田市は利根川と荒川に囲まれ、肥沃な農地が広がります。田圃の水利については元荒川水利組合が揚水し、各地の揚水貯水池から各地区に水を引いています。
「父なる利根川、母なる荒川」と称されるように、多くの人々の生活の糧となる両河川。特に荒川につては、秩父山岳部を水源とし、埼玉県内を潤し東京湾へと続く埼玉、東京にとっても正に命の恵み。河川流域の長さ全国15位を誇り、埼玉県民約700万人のうち、430万人は荒川の水利に頼っているそうです。(飲料水、工業用水、農業用水など)
県内も多くの区域で田植えが行われています。皐月はもともと早苗月とも呼ばれ、神々に供えるための神聖な苗を植えるとう意味があったそうです。行田地区でも当地区はは元荒川水利組合内で用水の順番が後半で、田植えも遅い地区になりますので、これから水が入ります。耕運田起しが終わりこれから代掻きとなるようです。

代掻きや田植えは機械化が進みますが、実際にには藻や塵を広い、草を刈り、水路の仕切りの土を固めるなど、人手がかかる仕事も多ようです。
美しい水田の夕日に照らされて、贅沢な散策をしています。私にできることを前向きに取り組みながら、この北埼玉の風景を伝えるように各方面に携わって行きたいですね。
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皿尾煉瓦水門郡③~久保樋~

2022-03-29 20:01:23 | 郷土散策

皿尾村は明治期に入ると先進的農業区域として取り組み、治水事業の先鞭をつけるために深谷の日本煉瓦を用いた水門群を設置したことで知られている。忍城北西の農業区域でありながら、すぐ南は忍沼の水辺に接し(沼尻地区)、給水にとどまらず排水に苦労したため、各地に先駆けて煉瓦水門を導入した。地区の西端に当たる久伊豆大雷神社の北側から順に
①外張堰(現在は撤去済)
②松原堰
③堂前堰
となっている
この水門群に加え流れを分ける樋が現存しており、現在久伊豆大雷神社境内に残されている。

久保樋は神社の東側の村境(谷郷との境界)に設置されていたようで、長さ11尺幅3尺6寸、高さ3尺1寸と示されている
(現存の樋菅の長さは3.3m断面は幅1.1m高さ0.9m)
箱型の樋管で大きいものであったようだ。

この煉瓦水門群の建設記念碑が神社の鳥居脇に建てられており、当時の様子を今に伝える。
明治34年4月1日起工 同年6月2日竣工と非常に短期間での設置であったことがわかる。
これは明治20年(1887)深谷市に日本煉瓦製造会社が設立されたこと、埼玉県による補助金が出たこと(50~60%)、当時技術者の育成があったことなど設置条件が極めてそろっていたことが挙げられる。

現在の久保樋
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