蓮田から白岡に抜ける途中、埼玉県指定史跡となっている綾瀬貝塚によることができた。大正11年に指定された古い史跡で縄文前期の貝塚と考えられている。(5500年前)西側を流れる元荒川沿いの貝塚としては最奥に位置するものだという。市内にはこのほか黒浜にも貝塚があり、白岡と含め縄文期にこの地が海の入り江であったことを示す重要な史跡であるという。
貝塚が多く地名としても残るが、風土記稿によれば元禄年間(1688-1704)に上潤戸村から分村したと伝わる。もとは稲荷神社であり境内地は高台に当たる貝塚の上に祀られている。古くから元荒川の氾濫による被害を幾度も受けてきたところで水害を避けてこの地鎮座地に選ばれたことを窺わせる。
年間の祭事の中で四月二十二日に「しっさま」と称する祭りがあるという。しっさまとは 「獅子様」のことで災害除けと秋の豊作を祈願する大事な祭りである。「お獅子様」を借りてくるところは騎西の玉敷神社とされる。かつては氏子の家をくまなく獅子様が祓って回ったそうだ。おそらく現在では獅子様を飾るだけだと思われる。
また村の辻払いも行われ。村境には辻札を立てていた。
本殿右には天満宮が残り、氏子の学業成就を祈念していた様子が残る。昭和三年奉納の石鳥居は現在もしっかりと建っている。
境内地の周辺に氏子宅が点在しているがどの程度祭事が残っているかは不明である。農耕地区として田園風景も残る地域である。
高度成長期までは稲作中心の農家が多かったようだが、平成から令和を迎え村の生活様式も大きく変化しているようだ。ただしこの地が古くは関東の海岸の入り江で縄文のころから人々が暮らしてきたことは確かである。
埼玉県の史跡であることは勿論、そうした歴史を神社の祭事とともに伝えていってほしいと願うばかりだ。