皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

ありがとっ!30周年

2018-10-31 23:03:05 | 生活
FM79.5の開局30周年記念特番が流れている。数年前から、すっかりラジオリスナーだ。30年前というと、自分は高校一年生。確かに開局した頃のことを微かに覚えている。中学の頃は埼玉のラジオ局は無く、F M群馬を聴いていた。もちろんラジカセだった。今のようにインターネットのない時代、ラジオ番組は葉書でリクエストが読まれていた。葉書からFAXへ、そしてメールからインターネットサイトへと局とリスナーの距離は益々近づいた。恐らく好きになった最初の番組は玉川美沙のnack with you。のんびりとした朝の番組だった。数年前からラジオネームを付けて投稿し、初めて採用された読まれた内容を自分で聴いた時には、鼓動も高鳴った。
NACk5の「ありがとっ!」のフレーズはゴゴモンズの初代パーソナリティの葉書への受け答えに人気が出た事からありがとっ!と短くするのがスタンダードになっている。
今ではradikoというアプリで時間を問わず好きな番組が何度でも聴けるが、やっぱり放送時間に生で聴くのがいい。話し手と時間を共有する感覚だ。
おめでとうNACK5!いつまでもラジオのある生活を楽しみたい。
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わたしとぼくのコーヒーミルク

2018-10-21 22:08:02 | 食べることは生きること

コーヒー牛乳といえばわたぼく。そういう消費者は行田市民だと思う。ただし私よりも若い世代。わたぼくコーヒーは森乳業のオリジナルブランドで生乳70%を使用したパックの商品だ。堂々とセブンイレブンの棚割に入っている。NB商品と比べ(グリコ)と比べ明らかに割高な価格設定だが、それでも地場商品として売れるから価格も下げないのだろう。カフェオレとコーヒー牛乳の違いがよくわからなかったが、要するに表示の違いで先述の関東栃木レモン同様、2000年に起きた大手乳業の品質事件から法改正された結果、牛乳と表示するには生乳100%でなければならず、コーヒー牛乳とは表示できなくなり「コーヒー入り乳飲料」となる。

 「1987年、学校給食の栄養士さんから子供たちにもっと牛乳を飲んでほしいと相談され、ミルクたっぷりのコーヒーミルクが誕生した」

と書いてある。わたしとぼくのコーヒーミルク。そこから「WATABOKU(わたぼく)」というブランドになったそうだ。行田市民なら皆知っている(はず)。長く愛されてきたブランドだ。でも自分が小学校の頃にはまだなかった。

小中学と森乳業の三角牛乳を飲んだ世代だ。当時は森牛乳といっていたと思う。昔も今も市内の小学校の社会科見学で工場を見学する。

自分が小学校の頃、地区内には農家で酪農を兼業しているところもあった。森牛乳も向けの酪農だったと思う。現在は酪農をしているところはなく、コメ作りだけになっている。なつかしい昭和の思い出だ。コンビニの棚から見えてくるものは食に関する物語が溢れている。

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花は咲く

2018-10-20 22:06:21 | 心は言葉に包まれて

中学の音楽会最後の曲は、教員を含めた全校による「花は咲く」の合唱でした。指揮は校長先生。いつかどこかで耳にした曲だと感じていました。2012年に発表されたもので東日本大震災復興応援のために作られたチャリティソングでした。NHKの復興応援テーマソングとしても流れていたようです。

真っ白な雪道に春風香る 私はなつかしい あの街を思い出す

叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた 今はただなつかしい あのひとを思い出す

誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている 誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう

夜空の向こうの朝の気配に 私はなつかしい あの日々を思い出す

傷ついて 傷つけて 報われず 泣いたりして 今はただ 愛おしい あの人を思い出す

誰かの思いが見える 誰かと結ばれている 誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く私は何を残しただろう

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

震災で亡くなった人の目線で書かれたといいます。100年たって何のためにどんなきっかけでできた曲か忘れられ詠み人知らずで残るといいと願われています。

体育館で聞きながらあまりの切なさに心洗われるようでした。

花は人の心の中に咲くといいます。100年も経てば今生きている人はほとんどいない。それでも何かを残そうと日々生きている

いつか生まれる君のために。君とはいったい誰に向けられたのなのだろう。誰しも時の流れの中で懸命に生きている。

ある日突然終わる日が来ることを知りながら。

秋の空の下今日も花は咲いている

 

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響け 届け 僕らの歌

2018-10-20 16:41:04 | 日記
爽やかな秋晴れの下、中学校の音楽会が行われました。場所は中学校の体育館です。例年産業文化会館で開催されますが、現在改修工事のため体育館での開催です。中学は文化祭はなく、この音楽会が体育祭と並ぶ二大イベントです。スローガンは「We aer the One 響け 届け 僕らの歌」父兄の観覧はそれほど多くありませんが、熱心な保護者は最前列でビデオを回していました。クラスでの予選を通り、伴奏を担当する長女ですが、緊張からかなり強ばっていました。一年生最後に伴奏し、まずまずの出来のようでした。
娘の曲よりも強く印象に残ったのは、学年別の実力の差です。勿論一年生も一生懸命歌っていましたが、二年生三年生と学年が上がる毎に圧倒的に伴奏も、合唱も上手くなっていきます。
中学校は僅か3年間。一年の違いが目に見えて伝わります。それだけ成長の度合いが大きいのでしょう。時代は変わったと言いますが、こういう姿を見ると学校の先生はいいなと感じます。日々人が切磋琢磨しながら成長するのを間近で見られるわけですから。
練習の成果から、伴奏では表彰を受けました。反抗期のむすっとした表情が今日ばかりはステージで笑顔が弾けました。帰り道では通り雨の後の虹が微かに掛かっていました。
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レモン牛乳物語②

2018-10-19 23:33:26 | 物と人の流れ
先日の栃木県への旅路で飲んだ「レモン牛乳」。正式には「関東栃木レモン」という名称で、栃木県のソウルフードとなっていると書いた。最初に製造した関東乳業が廃業してからは、栃木乳業が地元の味を残そうと、製造工程を引き続いだというが、現在は人気商品のようで、コンビニでも並んでいた。買ったのは「関東栃木イチゴ」レモン牛乳からの派生商品だ。レモン牛乳は果汁を入れると固まってしまうことから、レモンとうたいながら果汁は入っていない。しかも前述の通り、大手乳業メーカーの品質事件により、生乳100%でなければ「牛乳」と商品表示出来なくなったことから、「関東栃木レモン」と名前を変更している。「栃木イチゴ」は果汁3%の上に入っているイチゴ濃縮果汁は名産とちおとめ100%だ。裏の広告欄には市貝町芝桜公園が載っている。栃木尽くしで栃木ファンにはたまらない商品だが、製造場所は静岡県焼津市。販売社はドトールコーヒーとなっている。栃木乳業監修となっていて、「関東栃木イチゴ」は栃木乳業の登録商標だと前面に書いてある。
関東乳業の廃業を乗り越えて、栃木の味として認知されたのを思うと少し複雑な気分だ。看板暖簾で商売している感じだ。勿論しっかりと諸々の表示もされている。大手コンビニの棚割りに入るのだから、味や価格も認められて人気もあるのだろ。いつからか商品が一人歩きする。そういうこともあるのだろ。
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