皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

馬鹿天神と呼ぶ訳は

2017-02-27 19:30:13 | 神社と歴史 忍領行田
行田市の棚田神社。元荒川の河岸段丘で、水利に恵まれる一方昔はしばしば洪水に見舞われたため、砂原、深水、押田などの地名のが残っている。
棚田は初め大井村を四区に分けた、大井、門井、新宿と並ぶ耕地のひとつであった。新編武蔵野風土記稿によれば、棚田村の鎮守は鷺明神で、真言宗真福寺持であった。また真福寺には境内に天神社が祭られ、もとは佐谷田村の田中というところにあったものを、名主が願い出て寺の境内に移したと伝えられている。明治の神仏分離により天神社を鷺明神社に合祀し、社名も天神社と改めた。その為旧地の佐谷田の人たちは、棚田の者が持って行って祭っているのを悔しがり、「あれは馬鹿天神だ」と言っているそうです。明治の末に諏訪神社や三島神社を合祀し、社名も棚田神社に改めています。現在でも農耕祭祀に基づき春はお日待ちとして祈願祭を行い、農休みを知らせているようです。
周辺の田んぼは少なくなりましたが、地場野菜の農家の方もまだ多く、大井から佐谷田にかけては新幹線沿線に農地も多く見受けられます。
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1番さん、2番さん

2017-02-22 21:22:22 | 記憶の片隅
 日々販売の現場にたっているのに、お客さんの顔を覚えるのが苦手だ。年齢のせいなのか、他人への興味が希薄なのか常連客以外なかなか記憶に残らない。覚えが悪いと嘆く半面、人は忘れることで不幸も乗り越えられると、割り切っている。今日もちょっとした注文に際し、お客さんの顔を忘れ、売り場を歩き回ってしまった。
 少し前のことになるが、上の子の小学校入学式のこと。体育館での式典を前に、教室で担任の先生から式の説明があった。初めての教室で、親も子も緊張している中、担任の先生はもうじき定年を迎えるベテランの先生だった。名前を呼ばれたら返事をする。記念品をもらったら、深く一礼するなどこと細かく説明された。そして、いざ式場に向かう段になって、「それでは前から1番さん、2番さん、3番さん、はいついてきて」と名札を付けた子供の名を呼ぶことなく、番号で機械的に誘導していった。
 それまで幼稚園などでは、子供の名を丁寧によんでもらっていたため、なぜか番号で呼ばれたことがとても記憶に残っている。むしろその手際よさにあっけにとられた覚えがある。
 その後はもちろんしっかりと名前を憶えてもらい、厳しくも暖かく指導していただいた。定年後も、指導員として若い先生の教育係として学校にもお見えになっている。5年の月日がたち、今ではクラス全体がよくまとまっていると聞いている。やはり幼少期の指導は厳しいくらいが丁度よいと思う。
 厳しく教えてくれた先生が自分にもいたと思う。その人のお蔭で今の自分があるように思う。
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融和の心を世界へ

2017-02-16 20:46:59 | 神社と歴史

年に一度行われる宗教法人研修会に参加しました。会場は埼玉県川越庁舎でした。宗教法人の監督官庁は県総務部学事課で、学校法人の監督も兼務しているそうです。埼玉県のマスコットと言えばコバトンです。
監督官庁と共に主催者として埼玉県宗教連盟の副理事のかたが挨拶されました。カトリック川越教会神父の加藤智様でした。加藤神父様は5年前に帰国するまで、イギリス現地の教会に20年以上お勤めされていたとのことです。
やはり現在でもヨーロッパの宗教事情は日本とは異なり、宗教間対立は続いているそうです。宗派を越えて平和への祈りを捧げる事のできる国は少なく、もっと融和に基づく平和への活動を日本から発信することができるはずとお話されていました。カトリック教会の役割とは最後の1人まで、天国に魂を送れるよう、手をさしのべることだそうです。平和への祈り。「手を合わせ、頭を垂れて祈る姿は、人間の姿の中で、最も美しい!」と語っていらっしゃいました。
県内の宗教法人登録件数は約4900。その内の95%が、毎年度法定文書を提出しているそうです。宗教活動として聖の部分と公益法人としての俗の部分。一部の有名神社仏閣よりも、地域の鎮守としての小さな寺や神社が圧倒的に多く、このあたりは会社と同じで、大企業と多くの中小企業との関係と似ています。
小さな神社には年度ごとの会計報告義務はありませんが、基本財産と役員名簿は提出する必要があります。また、区画整理等で境内地の処分をしたり、駐車場を収益目的で貸すなどするときには申請が必要になります。
おみくじ、お札の頒布は公益事業ですが、ハガキやキーホルダーについては物品販売業と見なされ、収益事業となります。御朱印帖については、朱印が直に押して記入されていれば御札と同じと見なされ、帳面だけでは販売とみなされるそうです。
また、判例に於てはペット霊園は公益事業と見なされず、不動産貸付業として扱われるそうです。法人規模の大小関係なく、関係法規の遵守義務は発生するようです。

帰り道に川越氷川神社に参拝。夕方5時近くにも拘わらず、沢山の参拝者で賑わっていました。多くの人が参拝後も、鳥居の前で一礼して境内をさる様子が美しく感じました。
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菅谷八幡神社

2017-02-13 19:57:51 | 神社と歴史 忍領行田

建久元年:(1190)忍の豪族、鴛三郎が源頼朝の上洛に従い、石清水八幡宮参拝に同行し、後に忍城砦の西方に鬼門避けとして勘請創建されたと伝えられています。(行田市史上巻より)

後に文化15年(1813)頃現在の地に神殿が立てられとされています。石燈籠に年号が記されています。
埼玉の神社によると、遷宮の際、大雨が降り、八幡様は祭りがお嫌いだとして、大正時代まで祭りが行われなかったとされています。
その後戦中に入ると八幡社詣りが盛んとなり、武運を祈る参拝が多くなったとされています。また本殿は御輿大の大きさで、大正期まで本殿屋根、拝殿はなく、現在の社殿は市内和田地区の和田神社から譲り受けたとされています。
持田地区の歴史も古く、条里制水田跡か見られ糯田と表記したことがわかります。持田は村内を上中下に分けていたことが武蔵風土記稿に記されています。この菅谷地区は上地区とされ、隣村小敷田地区との結びつきが強かったようです。小敷田春日神社と祭りの際、互いの総代が招待されていました。
源頼朝が鶴岡八幡宮を勘請し、関東武士が力強く生きた時代。武士勘請の神社が当地にもあったことを今に伝えています。
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明日への扉

2017-02-10 23:14:33 | 日記
いつの間にか隙間あいた心が満たされてく……
あいのりのテーマソング。昔見ていました。ああいい曲だなと思っていました。今、店でも流れています。卒業シーズンの曲として。
もとは卒業の曲だったということを知りました。「旅立ちの日に」という曲名でした。
五年生の娘が卒業生を送る会で、クラス伴奏します。ただ今回ばかりは仕上がりも遅く、和音?が難しいようで苦戦しています。クラスで決めた曲のようで、短期間で仕上げるのは厳しい曲のようです。
歌にしろ、曲にしろ人前で表現することは難しい。引き受けたからには間に合わせたい。いい曲を弾きたい。
頑張って欲しい。そう願うばかりです。
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