皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

福川樋門と亀のお礼

2021-03-30 22:05:36 | 昔々の物語

福川は深谷市岡付近から東へと注ぐ一級河川で利根川後背沿いにその流れを増してゆく。北河原用水、酒巻導水路を分岐して行田市内酒巻で利根川に合流する。自然合流ではなく福川水門が設置されている。

現在も使用されるこの大型の水門は利根川の逆流を防ぐ働きがあるという。桜の咲くこの時期には堤を菜の花が覆いまるで黄色い絨毯が敷き詰められた景色が広がっている。

春の蓬摘みの姿も見られる風光明媚な場所ではあるが、利根川、福川の合流するこの地は古くから治水の歴史と悲劇が交差する自然の厳しささらされた土地であったという。福川を下って中条方面には今も中条堤が残されていて、江戸期には江戸を洪水から守るために、堤の一部を狭窄状にし、増水時にはわざと広域に水を広げることにより周辺区域の治水の役割を引き受けてきたという。(中條堤と治水の歴史)

現在の水門の上流300m付近には大正期に建てられた福川樋門の碑が残っている

東京湾から157Km、約100マイルの水門が建つ福川には岸辺に小さな小屋が建っていてかつては四つ手網漁がおこなわれていた。小屋は昭和20年代に建てられて、春と秋に鯉やフナなどを捕っていた。

網には様々な魚が掛かり、時には亀もかかったそうだ。

 昔とある長者が川遊びをしていると一匹の亀が嚙みついて離れない。仕方なく家まで連れて帰ると、長者は亀を柱に縛り付けてしまった。

 暑さで弱ってゆく亀を見た女中のお福は憐れんで水をかけてやった。すると元気を取り戻した亀は網を切って逃げていった。

 

数日後お福が川で洗濯をしていると助けた亀が現れる。見ると口には金を咥えているではないか。亀はそれをお福に渡して帰っていたという。

 この話はたちまち巷で評判になって、亀はきっと川の主であったであろうと人々は語り合い、福を授けた川としてこの川を「福川」と呼ぶようになった。(「妻沼町風物史話」より)

川や海、沼など水に纏わる逸話や伝承は各地に多い。時に動物を交えて時の風習、習俗、後世へ伝えるべき事柄を伝承として残している。

堤に広がる菜の花の美しい景色とともに私たちの次に世代に残してゆくべきものだろう。

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麦茶の効能

2021-03-30 19:52:51 | 食べることは生きること

 毎日の生活の中で食べるものと飲むものそれぞれ習慣化しているものがあります。

ここ15年飲み続けているもの。麦茶です。ペットボトルではなく煮だしでいれるティーパックのものを飲んでいます。ペットボトルは便利ですが、購入する際に重さがあり荷物としてわずらわしさもあり買ったことがほとんどありません。ここ数年買い物袋の有料化がすすめられ、不便しながら環境問題への懸念を背景にビニールゴミの削減が否応なしに進められる一方、再利用化の大義名分のもとペットボトル製品につての規制はありません。利便性に加え商品化している大手メーカーの力が大きいためでしょうか。

多くの方は夏場の飲料として冷やして飲むことが多いと思いますが、我が家では年間を通じて、冷蔵庫に常備し厳冬期には温めて飲んでいます。一般的に知られている効能として、血流をよくし、体温を下げる効果があるといわれています。カフェインが含まれていないため、就寝前や乳幼児が飲むことに適しているそうです。もちろん緑茶も飲みますが、緑茶は来客用に置いています。

原料は六条大麦。二条大麦と六条大麦があるそうですが、胞子の中に種子が二列入っているか、六列入っているかの違いのようです。(当然二列である二条大麦のほうが大粒で六条の方が小粒。ただし収穫量は六条の方が圧倒的に多い)

 飲料としての歴史は平安期にまで遡ります。貴族が飲用したとされ、戦国武将にも愛されたといいます。

江戸期に入り天保期には「麦湯店」も存在したと記されています。麦湯の女として少女が数文で売ったとされます。大麦の収穫期が初夏であり採れたての新麦を炒るのが香ばしく好まれたといいます。現在でもその傾向が顕著です。

昭和30年代に入り冷蔵庫の普及によって冷やして飲む習慣が生まれ昭和40年代以降、麦湯から麦茶へと呼び方が定着したそうです。子供のころは砂糖を入れて飲んだ記憶があります。

 医学的見地からすると、バクテリアの定着を予防する効果があり、とりわけ虫歯や歯周病菌を予防する効果があるそうです。就寝前に飲むことが私も多いです。

 嗜好品であるコーヒー、茶の飲用を禁じられているモルモン教徒は戒律に抵触しない麦茶を飲用することがあるといいます。

 健康のために何かを摂取することもいいですが、習慣化した飲料が健康に良いと知るのは、また違った喜びがあるものです。

 

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何も咲かない寒い日は~良樹細根

2021-03-28 21:49:22 | 心は言葉に包まれて

 桜の便りが続いている。待ちわびた春の訪れに心躍る時期。花見は静かに黙して語らずといった状況ではあるけれど、花の前では人の心は自然と和むものだ。

無事に済んだ小学校の卒業式。例年であれば多くの来賓、参列者を迎え盛大な別れの儀式となるところが、昨年今年と様変わりした式場であった。はなむけの言葉の中から、心に残るものを一つだけ。

教育委員会の告示の中に、2000年シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子選手の逸話を引用し、努力の積み重ねの大切さを説いたものがあった。

高校時代無名の高橋選手は思うように結果が出ない日々に恩師から次の言葉をかけられたそうだ。

「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」

この言葉を胸に女子選手としては誰よりも多い練習量をこなし、その成果としてオリンピックで金メダルを獲得したそうだ。

遠くに見える夢に向かって、努力することは誰しも難しい。積み重ねが大切と説かれても、継続することはなかなかできないことだ。環境も恵まれたものとは限らない。結果が出ないとき、思うようにいかないときに下へ下へと根が伸ばせるか。寒さに耐えた先に花が咲くことを信じて今日一日を積み重ねることができるか。

 

若い頃に読んだ鍵山秀三郎先生の本の中に、「良樹細根」という言葉があった。大手自動車用品販売会社を一代で築き上げた鍵山氏にの信念は「凡事徹底」と「人の心の荒みを無くす」という二点。その行動規範となるのが日々の清掃であることは広く知られているところ。何かをなすことには必ずそこにしっかりとした根が張っているという。

「良樹細根」

~何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く~

子供たちの門出にふさわしい言葉をいただいたことに感謝。

 

 

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春分 次候 桜始開

2021-03-27 22:47:00 | 生活


古来より人々に愛でられ、歌に詠まれてきた桜。桜始開(桜始めて開く)頃とは新暦3月25日過ぎを指すようであるが、既に各地で満開となっていり。あまり咲き急がれでも儚さまでも急かされているように感じてしまうのは、自分の歳のせいかもしれない。


桜を詠んだ最初は『日本書紀』とされる。編纂されて1200年過ぎることから、千本桜ならぬ千年桜であろう。日本の花を代表する国花であり、別名『夢見草』


『花冷え』『花曇』『桜雨』『花冷嵐』といった言葉の通り、人々は桜を通じて、天候を感じてきた。




散りゆく桜は『花吹雪』、水面に落ちて流れ行く様子は『花筏』と称してそれこそ咲き始めから、散りゆく移ろいまで、人々に愛でられてきだのだった。愛する、愛おしむ、愛でる。桜に対する見方にも人々の想いが込められている。
せめてあと十日ほどは美しい姿を留めてほしい。

儚い願いを今も昔も抱えたままでいる。
#桜
#花見
#時候








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もろともに あはれと思へ 山桜

2021-03-26 17:36:00 | いろはにほへと


もろともに あはれと思へ 山桜
 花よりほかに 知る人もなし
     大僧正行尊
桜の便りが続いている。昨年同様不自由を伴う花見の季節。奈良時代に貴族が梅を見て始まった花見は平安時代になって桜へと移り変わったそうだ。大勢で花を愛でながら和むといった風習も良いが、時には一人自分自身の内面に向き合いながら、孤独を桜と分かち合うのも良いのではないか。
山桜よ私がお前を懐かしく思うように、お前も私を懐かしくおもってほしい。この山奥では花よ、お前の他に私の心を知ってくれる友はいないのだから。
大僧正行尊は三条天皇の曾孫にあたり、修験者として名高い。
時に孤独は花をも友として見る心のあり方を導いてくれる。





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