私の母校である行田市立星宮小学校は本年三月をもって136年の歴史に幕を下ろすことになりました。私自身は昭和54年入学同60年卒業。また自身の子供たち二人で足掛け9年間通して通い、少なくとも人生50年のうち、15年はこの小学校に直接お世話になっていたことになります。行田市の北西、広大な田園地帯の真ん中にある校舎ができたのは昭和62年のこと。私が小学校5年生の時でした。それ以前は
上池守の西端に建つ木造校舎で、私自身は4年間はるばる農道を2キロ以上歩いて通っていました。
星宮小学校は明治5年(1872)の学制発布により池上梅岩院本堂に開かれた池上学校を初めとします。開校136年を誇る地域の伝統校が閉校してしまうことは、地元民として大変さびしく思いますが、新たに開校する忍小学校との合併を祝いながら、これまでの歴史を誇りに、次世代に伝えていくことが責務だと感じています。
閉校に当たり昨日記念式典が行われ、多くの卒業生が集いました。屋内での式典はコロナ感染拡大防止の観点から、出席者も制限されましたが、屋外のバルーンリリース(記念風船飛ばし)には300人以上が集まった模様です(風船が足りなかったそうです)
週が明けて閉校記念誌が手元に届きました。歴代の校長先生を始め、PTA会長はもちろん各字から在校時の思いでが寄稿文として掲載されています。私も旧校舎、新校舎両方に通ったことから皿尾地区を代表して(2名)書かせていただきました。思いでの小学校を最後の記念誌に掲載していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
テレビ埼玉でも今回の閉校のことが取り上げられていました。
農村部の小さな学校ながら、多くの人々に愛された素晴らしい小学校であったことが伝えられていました。
その中で小規模学校故に、高学年が低学年の面倒をよく見ることが学校のよさであり、伝統だと伝えられていました。在校生の六年生のことばが今の日本にもっとも大切なのではないかと感じました。
「どうして五、六年生は小さい子達の面倒をよく見るの?」
「自分が小さいときに、お兄さんやお姉さんがそうしてくれたからです」
これこそが私たち日本人が紡いできた精神です。
今でも星宮小学校を誇りに思います。
拙いながらも私なりに当時を思いだし一生懸命書いた寄稿文をここに転記します。
遥かなる池守の木造校舎成田道
皿尾 昭和59年度卒業 青木 孝茂
昭和54年入学の私たちの校舎は上池守の古きよき木造校舎でした。桜の花咲く肌寒い4月の入学式の写真は当時の北向の玄関前でとっていただいたものです。高度経済成長が終わって5年。バブル経済が始まろうとする少し前の頃、戦後日本がもっとも穏やかだった時分と言えるでしょうか。木造校舎の前には鮮やかに咲く菜の花の花壇がひろがり、幼く小さな私たち20名を温かく迎えてえくれているようでした。
皿尾から池守まで続く一本道は長大道と呼ばれる県道303号線で昔は「成田道」と称された古道です。幼い足で歩くにはあまりに長い道のりでしたが、今となっては苦楽をともにした仲間とのよき思いでの道となっています。
五年生で移った新校舎は青々とした田んぼに囲まれた美しい校舎で、二階の昇降口玄関から眺める中庭の景色を今でも忘れることはありません。当時佐新鋭の設備であった校内放送を昨日のことのように思い出します。
このブログを読んでくれている同級生や先輩後輩のかたがいたら是非連絡をください。今でもあの頃のまま元気に過ごしています。
ずっとこの星宮の地で頑張っていこうと思っています。