皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

春の神様

2022-03-05 23:05:10 | いろはにほへと

ものの芽の ひとつひとつに 春の神
正岡子規の俳句革新運動に参加し、近代俳句を大成させた高浜虚子の名句のひとつ。

待ちわびる早春の訪れを、枯れ枝の若芽の膨らみに見つけた喜びを、思わず『春の神』と称えたのは古来日本人に根付いた「アニミズム」的生命感覚によるものだという。そこから大和政権による神話の世界に「八百万神」という概念が確立し、長く続く日本の普遍的価値の基盤となったと言えるだろう。

春になって小さな草の芽が土の中から出てきたとき、そうした物の芽のひとつひとつにも春の神様がいる
ただそう表現したことの土台を多くの今の人たちが忘れてしまった、失ってしまったとも言える状況にあるかもしれない。
美しいことだけに目を奪われいないか。花が散ったらすべて忘れ去ってしまっていないか。
春の神は美しいだけでなく、霊的感性を宿したありとあらゆる自然とともにいるのだろう。
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高砂の 尾の上の桜咲きにけり

2022-03-01 23:45:59 | いろはにほへと

高砂の 尾の上の桜 咲きにけり
 外山の霞 立たずもあらなむ 
  権中納言匡房
高い山の上に桜が咲いた。あの美しい桜を隠したりしないように、里に近い山の霞よ、どうか立たないでおくれ

桜の季節を間近に控え、数ある百人一首の桜を詠った句を思い出す。高校生になる長女も、中学時代上下の句に分けて覚えたメモが残っていた。権中納言匡房は博学多才で菅原道真公と比較される文化人。

神社の鳥居の前に植えた桜も二年がたち、すでに幹も20センチほどになっている。十年桜とはよくいったもので、桜の成長を間近に見続けることができるのは幸せなこと。

遠くの山の桜、近くの里山の霞。春の代表的な風情を対照させた幻想的で美しい歌だという。高校時代にさんざん覚えたものの、そういった風情は全く頭に残らなかった。和歌とは詠み手と読み手の感覚が合ってはじめて美しさが伝わるのではないかと思う。こうした歌の素晴らしさに心が打たれるまでにずいぶんと時間がかかったと思う。

この歌は宴会で『遠くの山の桜を眺める』という題材で歌を読み合わせた時の作品で、非常に題の特徴を表した秀作といわれている。当時はこのように歌の題材について細かく定め、風情な心と歌の技を競いあったと言われている。武家社会の幕が開く以前の話のこと。
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吹き荒れし 嵐もいつか おさまりて

2022-02-22 20:52:21 | いろはにほへと

吹き荒れし 嵐もいつか おさまりて
 軒端(のきば)に 来鳴く 鴬の声    運勢 末吉

身の煩いも散り失せ禍こともなくなり
元の道を守って辛抱怠らなければ
幸福(さいわい)身に余って家のうちも明るく楽しく暮らされます。
信神なさい。

●願い事 他人とともにして我が儘せねば諸事叶う
●争い  勝つが難あり
●恋愛 思う通りにならぬ
●相場 売り買いともに損
●待ち人 来る驚くことあり

末吉の句は非常に奥が深く、受け手にとっていかようにも解釈できよう。
そもそも末吉とは運勢が下る転換点のようなもの。運気についてあれこれ述べても私にはその出展となる文献に触れたことがない。浅はかな経験則による漠然としたイメージに過ぎない。

神の教え
人は神の子、兄弟同志、助けたり助けられたり
親の心神様は人の子皆を同じように可愛く思し召し、みめぐみくださる分けても、弱い子貧しい子不幸な者をいっそう哀れにおぼしめす、思いやり深くこれを助け、これを救い、これを慈しむことがこの上のない神様への奉仕の道である。

信神なさいとはすなわち神への奉仕に他ならない
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長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ

2021-04-18 21:03:27 | いろはにほへと

長からむ 心も知らず 黒髪の

乱れて今朝は ものをこそ思へ 

  待賢門院堀川

小倉百人一首の八十番目の歌は恋の歌

此の髪のように長く愛して行きますというあなたの御心が、その言葉の通りになるか私にはわかりません。お逢いして別れた朝の黒髪が乱れているように、私の心ももの思いに沈むばかりです。

平安時代長く豊かな黒髪は官女の条件とされ、美人の証とされました。恋や情事の象徴として多くの歌に記されています。

というのが多くの現代解説にあります。果たしてそれだけの歌であったのでしょうか。

小倉百人一首の選者藤原定家は、その選定に際し百首すべての歌を合わせて一大情緒を表しているそうです。この八十番目の歌は後半の崩れ行く世の中を憂う歌としての意味合いがあり、色恋とはまた別の更に深い意味合いを持つ歌だというのです。

 長からむ 心も知らず黒髪の

 乱れて今朝はものをこそ思へ

 作者である待賢門院堀河という女性は、藤原彰子に仕えた官女でありその待賢門院彰子は崇徳天皇の母親に当たります。時の摂政関白太政大臣であった藤原忠通は藤原家安泰を図るため崇徳天皇を強引に退位させ、代わりに近衛天皇を即位させます。

 其の後、「待賢門院が侍女の堀川を使って近衛天皇を呪詛している」との噂が宮中を流れます。堀川は源顕仲の娘に当たりその顕仲は神祇伯。高等神官に当たります。崇徳院を消し去りたい政治勢力による根も葉もない誹謗中傷です。要するにあらぬ噂をたて相手勢力を攻撃し、自己の勢力の正当性を作り上げていたのです。

待賢門院の時代においてはその政治の権力者が天皇の外戚となって、天皇の人事にまで影響を及ぼした時代です。

待賢門院はそうした中で出家を決めます。宮中から出家の道をたどることはすなわちこの世における死を意味しました。現世の人間としていったん死に、仏門に帰依することで生まれ変わるのです。

仕えていた待賢門院が出家すると迷わず堀川も髪を下ろしたのです。その現世での儀式が剃髪、髪を下ろすということです。

長からむ 心も知らず黒髪の

乱れて今朝は ものをこそ思へ

どんな気持ちで待賢門院堀川はこの歌を詠んだのか。其の句の文脈を読むことと、作者の生涯や当時の時代背景を読み込むこととは深みが違う。

そんなことを教えてくれます。

新学期が始まり、多くの高校では百人一首を暗唱する課題が出されています。私自身も高校一年時、国語の課題で百人一首を覚えました。

三十年以上が経ち、改めて一つ一つの句に向き合いその深さを知りながら、時の流れを感じています。

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もろともに あはれと思へ 山桜

2021-03-26 17:36:00 | いろはにほへと


もろともに あはれと思へ 山桜
 花よりほかに 知る人もなし
     大僧正行尊
桜の便りが続いている。昨年同様不自由を伴う花見の季節。奈良時代に貴族が梅を見て始まった花見は平安時代になって桜へと移り変わったそうだ。大勢で花を愛でながら和むといった風習も良いが、時には一人自分自身の内面に向き合いながら、孤独を桜と分かち合うのも良いのではないか。
山桜よ私がお前を懐かしく思うように、お前も私を懐かしくおもってほしい。この山奥では花よ、お前の他に私の心を知ってくれる友はいないのだから。
大僧正行尊は三条天皇の曾孫にあたり、修験者として名高い。
時に孤独は花をも友として見る心のあり方を導いてくれる。





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