昔熊谷宿のある商家に、旦那さんに先立たれたばかりの女将さんが居りました。
毎日毎日それはそれは悲しんでばかりおりましたところ、ある晩厠に入り小用を足しておると何やら尻を触られるのでした。
「おかしいな」と思っていると次の日も、また次の日も同じようなことが起こります。
怒った女将さんはある晩短刀で尻を触ってくる腕を切り落としてやりました。すると大きな悲鳴と共に女将さんの手に残ったものは黒い毛むくじゃらの右腕でありました。
翌日女将さんの店には黒い不思議な老人がやってきます。女将さんに会いたいと申し出たので会ってみると、その老人は右腕を隠しておりました。しかも「昨晩女将が珍しいものを手に入れたそうだから、ぜひそれを私に譲ってほしい」というではありませんか。
いかがわしく自分の身に触ってきたのは目の前の老人だと思い当たった女将さんは、今後は二度とあんな悪戯はしないと約束させて、切り落とした右腕を返してやりました。
すると不思議なことにその老人は持ってきた薬を塗って腕をくっつけると、その腕は何ともなかったように元通りに動くではありませんか。
それから老人は自分が河童であることを名乗ると、お詫びのしるしとして、その薬の作り方を教えていきました。それが「河童の妙薬」として有名になり飛ぶように売れるようになったといいます。
おかげでひとり身の女将さんはお金に困ることなく、幸せに暮らしたということです。
『熊谷市史』「ふるさとぼはなし」より
河童の妙薬と呼ばれる逸話は日本各地に残っているといいます。多くの伝承のあらすじは河童が人間や馬に悪戯をし、その人に捕まって懲らしめられ、お詫びの印に薬を渡すというものです。熊谷市史に出てくるように懲らしめられる際、腕を切り落とされ、その手を返してもらう際に手を繋ぐ良い薬を渡すといった例が見られます。薬の種類は骨接ぎ、打ち身、熱湯に効く薬があるといい、その背景に水の妖怪である河童が相撲が好きで怪我が多く、また金属を嫌うことから刃物の切り傷に効果があると考えられます。
こうした薬は古くは家伝薬として実際売られ、使われていたそうです。明治に入って漢方医学から西洋医学に移行し、製薬業が成り立つとこうした家伝薬は姿を消します。
茨城県小美玉市にはこうした伝承に因んだ「手接神社」もあるといいます。
非常に興味深い逸話だと思います。