皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

トイ・ストーリーの世界

2022-03-17 22:17:40 | 記憶の片隅

子どもたちが小さい頃に集めたぬいぐるみ。押し入れや物置にしまい込んだままになっているが、高校生の長女が引っ張り出してきた。どうやら友達と千葉県の夢の国へと旅するらしく、その時の写真に写すように、トイ・ストーリーのキャラクターを持っていくようだ。まさにトイ・ストーリー3の世界観。

トイ・ストーリーの主人公はウッディ(カウボーイ)でその人形の持ち主がアンディ。スリーは正に大作で、おもちゃ達が大人(大学生)になったアンディから旅立つ物語。
「あばよ、アンディ!」
ウッディの最後の言葉が今でも耳に残っている。
蔓延防止期間が終わり、無事に夢の島へと旅することを願っている。

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K点を越えて行け

2022-02-11 18:24:45 | 記憶の片隅

冬季オリンピック北京大会が行われている。夏季東京大会からわずか半年。様々なことが報道されるなかで、選手や関係者の奮闘を一人の市民として見守っている。一年延期された東京大会と比較し、コロナの感染状況がどうなのか、大会の運営に世界も注目しているだろう。
スキージャンプを始め、スケートショートトラックなど非常に失格判定が多いと聞いている。純粋に技術を競う競技はすでに昔の話で、道具の規制やドーピングの問題などルールについて公平性を担保するのが難しい状況まで来ているように思う。なんのためのルールなのか、行き着くところまで来てしまうと、スポーツとしての根幹を揺るがす事態になりかねない。無駄な争いのための祭典にならないことを祈るばかりだ。

学生時代スキーに夢中になった。金銭的余裕はなく、道具もなんとかB級品を揃え無我夢中で青春18切符で早朝の各駅停車で越後方面のスキー場へ向かったのは二十歳過ぎて間もない頃だ。雪上でしか味わえない滑走感と山頂から見る景色に若かった自分は魅了されたいた。
長野オリンピックでスキージャンプ陣が大活躍した1998年。社会人一年目の年だった。その頃までなんとか続けたスキーもここ20年ゲレンデに行くこともなくなった。時間に余裕がなくなったのか、滑走感よりものんびりした時間に重きをおくようになってしまったのか。
また必ず雪上に戻ってみたいと願う。

スキージャンプの着地でとる姿勢を「テレマーク」と呼ぶ。語源はテレマークスキー。アルペンもジャンプもこのテレマークスキーが発展した形だそうだ。テレマークとは19世紀に後半にノルウェー南部のテレマルク地方ので発展した現代スキーの原型スタイルだという。両手をあげた姿勢がTにみえるから「Tマーク」だとばかり思っていた。スキーも北欧で始まった伝統的な競技。歴史を積み重ねることで、やはりボードよりも格式が感じられる(個人的見解です)
もちろんスノーボードも好きだ。あの自由な感覚はより現代には受け入れられやすいのではないだろうか。(1年だけやって、滑れるようになったのは大学5年のころだったか)

諦めなければまた必ずスキーもスノボもできると信じている。
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二十歳の約束

2022-01-10 22:37:10 | 記憶の片隅

君は行く 奪われた暗闇の中に戸惑いながら
君は行く ひび割れた幻の中で苛立ちながら
いつか孔雀のように 風に翼を広げて

西の果てから東の果てまで
休みもなく車を走らせている
二十歳の約束
ドラマを見ていた。放映した1992年。自分の成人の年。


松の内の行事。今日は成人の日。各地で式典が開かれていた。遠い記憶の片隅に自分の二十歳の姿を思い浮かべる。
東京にいた。貧しくとも毎日が輝いていた。
始めて渡った海外は当時所属していた大学のゼミの研修旅行だった。
グアムでの思い出が蘇る。刑事政策の研究の一環として、グアムの警察署矯正施設の見学であった。
語学が堪能な横山先生のおかげで、貴重な海外での経験を積むことができた。今でもHPには当時の写真が載っている。止まったままの時間だ。

記念にもらったキーホルダーは若かった自分の夢が詰まっている。

君は踊る閉じたバラのつぼみの前で背伸びしながら
君は踊るくるおしくミツバチの群れをすり抜けながら
いつか燕のように 風に翼を広げて
町の果てから 森の果てまで
振り向きもせず 車を走らせて行く

今までの君は間違いじゃない
君のためなら七色の橋を作り河を渡ろう

二十歳の約束は果たせたのだろうか。
そもそも二十歳の約束自体がどこかの川に流されたかもわからなくなったか

二十歳の自分に一つだけは言える
あの時の君は間違いじゃない
30年後もただがむしゃらに生きている。同じように夢を追っている。
夢を共にする相手がいる。仲間がいる。
未来を託す子供たちもいる

新成人の皆さんに伝えたい。生きているって素晴らしい。感謝を忘れず懸命に生きてほしい。
二十歳の約束を胸に橋を渡り未来という次の世界へ歩みを進めてほしい。
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二学期終わります

2021-12-21 20:41:04 | 記憶の片隅


早いもので二学期も終わります。中学高校とも三年間ですので、うかうかしているうちに直ぐに進級してしまいます。

生徒会に立候補し、選挙で当選とはなりませんでしたが、その後役員に選んでいただきました。。役職も決まり広報を担当することになったようです。責任重大ですが、最後までしっかり取り組んでくれることを願っています。
自分も中学時代、勝手に学級新聞を親友と発行していました。
「万朝報」といいました。昭和62年のことです。当時はこうしたインターネットのない時代です。個人の考えを伝える手段としては、テレビラジオ、そして紙媒体である新聞でした。
知識、経験、人付き合い。全てにおいて浅く狭い世界で、あるのは若さゆえの熱意と好奇心。何を伝えたらよいかなど考えもしませんでした。ただ心の内を紙面に写し、楽しんだ中学時代でした。
30年の月日が流れ、インターネットによって誰もが多くの人に思いを直ぐに伝えることのできる時代です。彼らしいやり方で表現して行ってほしいとおもいます。






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忘れても魂は慕い続ける

2021-11-23 23:47:54 | 記憶の片隅

若い頃、野に咲く花を見てもさほど心和らぐことはなかった。いつも遠い未来ばかり夢見ていた。刹那的に今を生き、不都合なことは未来への宿題へと置き換えていた。いつからだろう、今日という日の積み重ねが、変えようのない自分の一度きりの人生ということに何となく気づいたのは。
母方の祖父が亡くなったのは大学三年次の夏の終わり。苦労の多かった母の支えとなっていた、優しい祖父であったと思う。幼い頃、多くの孫に囲まれながら、どの子にも分け隔てなく接する人だった。九十を過ぎて介護を受けながらも、母の顔を見ると喜んでいた。当時地元を離れていた私が祖父の亡くなったのを知らされた時、遠く離れた高原の牧場で住み込みで働いていた。
葬儀で戻った際、なくなるかなり前から多くの記憶をなくしていたということを聞いたが、それでも祖父の魂は母や家族を慕い続け、残された人たちのことを思い続けていたことを知った。
人の記憶はその人の身体の一部のように、時と共にその姿を消してしまうものだ。それでも魂は慕い続け、受け継がれていく。祖父がなくなって三十年近くたった今、私がこうしてブログに記していることがその証しだと思う。私の思いもきっと大切な人の心のなかに慕い続け、受け継がれていくと思っている。
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