皿尾城は永禄四年忍城を攻めるため上杉謙信が羽生城主広田直繁の弟木戸忠朝に守らせた平城とされる。現在皿尾久伊豆大雷神社がその跡地と考えられているが、城の中心はそのさらに南にあったとも考えられている。忍城と同じくあたりは深田の水田で自然の要塞の様に機能していたのだろう。久伊豆神社の南には現在も庚申様と呼ばれる小さな石の社が建っている。古墳を思わせる小高い丘の上だ。
郷土史研究の人が訪れることも多いという。「庚申様」とは干支のめぐりあわせで「かのえ・さる」にあたり六十年あるいは六十日ごとに巡ってくる。庚申の夜には三子の虫が睡眠中に身体から抜け出して天に昇り、天帝にその人の罪過を報じて生命を奪われるとされる。元は道教の説で、庚申の晩徹夜をすることが修行とされ、後に転じて庚申の夜を徹して語り合い酒食の宴を催す風習があったという。申(猿)待ちとして猿の信仰ともむすびついている。よって猿田彦神への連想から、道祖神の碑の様に扱っているところも多い。
しかし最も顕著な信仰は徹夜して明かすということから女人を避けたり、当日は婚姻を結ぶのを避けるといった習いが生じ、庚申の神は恐ろしい神で祟りやすいと考えられていた。