皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

節分に福茶を

2018-02-03 22:55:00 | 食べることは生きること

節分といえば今ではすっかり恵方巻が定着し、CVやスーパーでは一大イベントとなっている。起源については、諸説あるようで、一概には言えないが少なくとも北関東で私が子供の頃にはこうした恵方を向いて太巻き寿司を食べる習慣はなかったと思う。
あったのは豆まきと福茶。神社と家それぞれ豆をまき、歳の数だけ豆を入れて、梅干しと一緒に飲むのが福茶。福茶の起源は平安時代の空也上人という高僧が福茶を入れて、病人をなおした話に由来するらしい。無病息災を祈る習わしだ。
節分の後には初午を迎える。旧暦だと三月になるが、新暦の節分過ぎて最初の午の日にやるのが最近の流れ。
最近では惣菜業界が、初午に願いの数だけいなり寿司を食べようといった販促をかけている。そんにいなり寿司をたべるのもどうかと思うが、これは福茶の歳の数だけ豆を入れるという風習からきているような気がしている。
文化や風習も時代と共に変化する。商売上手は何かにつけて売るテーマを考える。商いは工夫することで進化していくものだろう。
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十万石幔頭と甲斐姫

2017-09-25 20:58:21 | 食べることは生きること
 
 行田名物と言えばB級グルメゼリーフライ、郷土料理フライなどがありますが、行田発祥でかつ埼玉銘菓と称えられるのが「十万石饅頭」です。
市街地にある本店の蔵は文化財に指定もされていますが、私はいつも水城公園店で買い物をします。今日は中日を過ぎましたが、鴻巣の親戚に彼岸参りの土産としてよらせてもらいました。

来月スタートのTBS日曜劇場「陸王」のパッケージの5個入り饅頭があり思わず買ってしまいました。ドラマもとても楽しみにしています。

中身の刻印に陸王の字が入っています。娘は2個食べていました。

 十万石のHPには饅頭のこだわりの歴史が紹介されています。
昭和20年太平洋戦争終戦後まもなく砂糖の統制が解かれ、行田の地に十万石饅頭は生まれました。ところで、砂糖は貴重な物資として、戦争前から流通統制が敷かれていました。現在でも解除後の特約店制度の名残があり、流通経路は大手商社を頂点とした旧態依然とした仕組みが残っているようです。通常仕入れから支払いまでほかの食品問屋であれば60日前後の猶予がありますが、砂糖に関しては極端に短い期間で支払期日が来てしまいます。実は以前砂糖の問屋に勤めていたことがあり、営業社員としてはたらいていました。十万石にも砂糖を届けたことがあります。(担当ではありませんが)


十万石饅頭の箱や袋に使われている絵です。戦後の名匠、棟方志功の絵だそうです。実は饅頭を食べているのは忍城主成田氏長の娘、甲斐姫が描かれています。
 昭和28年世界的板画家、棟方志功はまだ世間に認められていなかったころでした。氏と親交を深めていた行田市の書道家渥美大童氏の紹介で棟方氏の作品に触れた社長が「これからの菓子屋は先生のこの人間味あふれる暖かさ、そしてバイタリティーが必要だ」と開眼。
 早速、十万石まんじゅうを抱えて、尋ね「是非この饅頭を食べてみてください」と差し出したそうです。無類の甘党だった棟方氏は「あんたが作ったのかい」と一口食べ、一気に5個も召し上がったといいます。6個目の饅頭に手を伸ばしながら、
「うまい、行田名物にしておくにはうますぎる」
といい、直ちに絵筆をとりました。忍城の姫が生きていればきっと同じことを言ったに違いないと、かの絵を描いたといわれています。
ところが、十万石幔頭と書いたそうです。
社長がすかさず「幔は食片の饅です」と指摘すると
「このまんじゅうが全国に広く知れわたることを願ってこの字(幔)にした」と答えたそうです。

「私は私でなければ描けない絵を描く、あんたはあんたにしか作れない美味しい菓子を作りなさい」と続けたそうです。
十万石にとって棟方氏の絵は菓子作りの原点となり、その絵を使い続けることが、氏との約束した、十万石にしか作れない美味しさを届ける心の証だそうです。

歴史を知ることでものの見方、見え方は変わります。十数年前、こうした物語に気づかなかったことが残念であると共に、今日こうして知ることができた運命を感じます。

自分にしかできない仕事、生き方を求め積み重ねていくこと、それがそれぞれ与えられた使命なのではないかと思います。
 
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お刺身は好きですか?

2017-07-05 21:44:21 | 食べることは生きること

 海のない埼玉県に住みながら、スーパーや居酒屋など新鮮な刺身を食べられることにが当たりまえの現代に生きている。鮮度が良くてあたりまえ。価格も安いとは言えないが、普通の人でもやや贅沢をするつもりであれば、好きな時に食べられる。寿司にしても然り。一皿100円の商品が四六時中回転していることに慣れきってしまった。子供のころに比べ、便利さは格段に進歩し、美味しいものを手軽に食べられることを享受しているのはまちがいない。
 需要があることで供給者は利益を生む。但し調達、輸送、温度管理、加工販売コスト、人件費等あらゆるコストを引いての上で。自由競争の中で、安全対策がおろそかになった事例は数多い。
 アニサキスによる食中毒被害を、渡辺直美がツイッターで述べている。年々被害の報告が上がり、非常に痛み苦しむ症状から、注意を呼び掛ける情報も広がっている。確かに写真で見るアニサキスの様子や、症状を見て危険を感じる人も多いだろう。もし自分がなったらと自分も恐怖を感じる。
 販売の現場で生魚を敬遠する傾向にあるという。需要が減っているようだ。人口減によって長い目で見れば、日本人の魚の消費が減ることは理解できる。ただ今回のようにあるSNSの情報で、多くの人が同じ消費行動に走ってしまっているとすれば、恐ろしいと思う。売り手の側とすればある日突然自分の売っていたものが、間接的要因で極端に売れなくなってしまう。変化に対応できないものは生き残れないというが、その変化の要因が恣意的に作り出された情報であったとしたらどうだろう。
 今回の有名人のつぶやきが恣意的だったということではなく、根拠があったとしても多くの人が同じ行動をとりがちなことに違和感を感じてしまう。
それだけ今のSNSの持つ社会的な力が大きいと実感する。考えずに流されてしまうことに疑問を持つことだ。
 人の話を聞くことは大切だが、最後に判断し行動することは自分自身でしかないのだから。
 
 
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ミョウガを食べ過ぎると

2017-06-13 23:04:56 | 食べることは生きること
夏になると麺類や豆腐などの薬味に好まれるミョウガ。茗荷の俗説に「食べ過ぎると物忘れが多くなる」というのがあります。昔は家の庭で大量に採れたため、それこそ食べ放題のようでした。
科学的にはむしろ反対で、豊富なビタミンが脳の働きによいと言われています。ではこの俗説は何処からきたのでしょうか。
昔インドにお釈迦様の弟子に周利盤特という人がいて、大変な高僧として釈迦にも大事にされたそうですが、物忘れがひどく、自分の名前さえ忘れてしまうほどでした。その周利槃特が亡くなった後、その墓石に茗荷が生えたことから、物忘れが多くなるといった俗説が生まれたようです。
お釈迦様によれば、真の賢人は自らを愚かだと悟るとされます。
忘れることで幸せになることも多いと解釈したいものです。
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