皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

2024/02/19

2024-02-19 17:28:29 |  久伊豆大雷神社













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小寒 末候 雉始雊

2024-01-16 16:41:58 |  久伊豆大雷神社

今年は暖冬傾向で寒中の厳しさをさほど感じません。先日夕刻に一時小雪が舞うことがありましたが、積もるには至りませんでした。小寒から大寒までの三十日間が『寒の内』と呼ばれ一年で最も寒さの厳しい時に当たります。この時期に出すのが寒中見舞いです。小寒の時季は時に大寒よりも寒く感じられることから「小寒の氷、大寒に解く」ともいわれ転じて物事が必ずしも順序通りにいかないことの喩に使われます。

小正月の十五日から四日間の間を雉始雊(きじはじめてなく)と呼ぶそうです。日本の国鳥である雉が鳴き始めるころの時候です。実際に泣き始めるのは弥生を迎える頃で、雄は雌を求めて「ケーン、ケーン」と甲高く鳴き、美しい羽根を「ホロロ」と打ち鳴らします。

頼み事やを不愛想に断るさまを『けんもほろろ』と表現しますが、これは雉の鳴き声や様を表したことが語源となっているそうで、雉の鳴き声が人の耳に尖って聞こえることから来たようです。また雉は田んぼや畑を走り回ることから食用狩猟の対象となってきました。よって『雉も鳴かずば撃たれまい』ともいわれ昔からその鳴き声は印象的に響いていたのです。
近隣の蝋梅が花を咲かせています。文末にて失礼いたしますが、寒中お見舞い申し上げます。寒中の折どうぞ皆様お身体ご自愛の上お過ごしくださいませ。

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宝登山神社 令和五年 皿尾講登拝

2023-10-30 21:16:22 |  久伊豆大雷神社

令和五年宝登山神社ご眷属お借換え代参登拝をしてまいりました。皿尾講と呼ばれる五人講で現在でも約30軒のお宅がお札を受けています。

お犬替えとも呼ばれるお札の由縁は宝登山に纏わる日本武尊の伝説に由来します。日本武尊が宝登山にお登りになった際、山火事が起き、どこからともなく現れた山犬がその火を消し止めたというものです。この故事にちなみ宝登山は古くは「火止山」と書き、火災・盗難除けに霊験あらたかと伝えられてきました。そのご眷属をお札として各家々にお祀りしているのです。江戸中期ごろには宝の山に登るとの表記があり、そのころから先達や修験者を通じての布教活動から、各地で講社が生じ多くの参拝者が寄るようになったと考えられています。
当皿尾地区の講社(皿尾講)がいつから宝登山に登拝しているかは明らかではありませんが、昭和四十二年久伊豆大雷神社鳥居奉納額は当時の宝登山神社横田茂宮司の揮毫です。横田宮司は埼玉県神社庁長も務めた埼玉県神社界の重鎮として知られていますが、大戦中の軍人を務めていらしたそうです。
私が初めて宝登山神社助勤にてお世話になったのは昭和六十三年の冬。高校一年生のことです。「君が皿尾の神主の倅か、しっかりやり給え」背筋を伸ばして聞いたことを今でも覚えています。
三十年後、講社の世話人として代参を案内しています。

本日の御祈祷は禰宜様斎主が務めてくださり、直会での講話では助勤として勤めていた私の父の思い出話をしていただきました。もう二十年以上前のことですので宝登山神社の職員のかたも多くは代わられていますので、父ことを知る人も少なくなりました。

講社の講員も高齢化が進みましたが、宝登山とのご縁を繋ぐ役割を果たしていけたらと思っています。

直会の食事は上長瀞の蕎麦内田屋さんでいただきます。少人数での代参ですが、こうした一日旅が無事にできたことを嬉しく思います。

長瀞は天下の勝地
宝登山は千古の霊場
御神徳を授かり講員の待つ忍領への帰路へ着きました

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神無月花手水と三方領知替二百年

2023-10-09 20:06:55 |  久伊豆大雷神社

十月が一週間が過ぎて急に気温が下がりました。秋を通り越して初冬の陽気となり、身体がついていかない方もたくさんいらっしゃることでしょう。気温と共に湿度が下がったことで空気感が全く変わったように感じます。皿尾城周辺の田んぼも稲刈りが進んでいます。
月初めは商工会と観光課が主催する行田花手水weakに当たり、ライトアップも含め社頭の花手水を改めております。どうぞご参拝の折にご覧ください。

今年は文政六年(1823)の三方領知替から二百年ということで、市内各所に幟がたてられています。
白河藩主松平定永の父定信が先祖ゆかりの地で肥沃な伊勢桑名への転封を希望し、阿部家は巻き添えを喰ったのだといいます。いつの時代もそうした政治の権力闘争はつきものなのでしょう。当時の阿部家当主正権は若くして病弱の上転封ご十七歳で病死しています。老中を輩出し続けた銘家阿部家は慶応二年(1866)白河から陸奥棚倉へ移され廃藩置県を迎えます。無念だったことでしょう。
転封後も阿部家は忍藩の神仏を崇敬し、刀剣などを奉納しています。その奉納品が当社に残っています。
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長月花手水

2023-09-06 22:24:53 |  久伊豆大雷神社

社頭の花手水を始めて三年目を迎えました。令和三年の夏ごろから本格的に始めましたので三度目の秋になります。行田市の花手水の取り組みは商工会を中心に多くの人々の手によって保たれています。無理のないようにとの思いから、夏場の7月8月はライトアップを含めて基本的にお休みの期間です。水温が高すぎて花が傷んでしまうからです。9月も厳しい残暑が続いていますが、日陰であればある程度日持ちするようになりました。皿尾城前の田んぼの稲穂も実りの時期を迎えています。九月は長月と称しますが「夜長月」から名がついたそうです。暑さもひと段落しますので、日暮れ後の自分の時間を大事に過ごしていきたいと思っています。手水舎の装飾もひまわりから一足早く紅葉へと差し変わっています。
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