社頭の花手水を始めて三年目を迎えました。令和三年の夏ごろから本格的に始めましたので三度目の秋になります。行田市の花手水の取り組みは商工会を中心に多くの人々の手によって保たれています。無理のないようにとの思いから、夏場の7月8月はライトアップを含めて基本的にお休みの期間です。水温が高すぎて花が傷んでしまうからです。9月も厳しい残暑が続いていますが、日陰であればある程度日持ちするようになりました。皿尾城前の田んぼの稲穂も実りの時期を迎えています。九月は長月と称しますが「夜長月」から名がついたそうです。暑さもひと段落しますので、日暮れ後の自分の時間を大事に過ごしていきたいと思っています。手水舎の装飾もひまわりから一足早く紅葉へと差し変わっています。
社頭の花手水を始めて三年目を迎えました。令和三年の夏ごろから本格的に始めましたので三度目の秋になります。行田市の花手水の取り組みは商工会を中心に多くの人々の手によって保たれています。無理のないようにとの思いから、夏場の7月8月はライトアップを含めて基本的にお休みの期間です。水温が高すぎて花が傷んでしまうからです。9月も厳しい残暑が続いていますが、日陰であればある程度日持ちするようになりました。皿尾城前の田んぼの稲穂も実りの時期を迎えています。九月は長月と称しますが「夜長月」から名がついたそうです。暑さもひと段落しますので、日暮れ後の自分の時間を大事に過ごしていきたいと思っています。手水舎の装飾もひまわりから一足早く紅葉へと差し変わっています。
令和五年皿尾久伊豆大雷神社例大祭が執り行われました。と言ってもすでにひと月以上が過ぎています。この間大祭の様子をブログに記そうと思いつつ一日一日と過ごしてしまい、行田浮き城祭りが過ぎ、お盆を終え、兼務社の夏祭りなど日々流されるばかりだったように思います。時間は大事だといいますが、その時のその思いを記していかないと人生の終着点もすぐに来てしまいそうです。
令和二年、三年、四年と三年間コロナ禍で祭祀も縮小しておりましたが、本年は多くの氏子さんの参列の元、コロナ前に近い祭事となりました。これもひとえに大神様の御神徳であるとともに、氏子さんの想いが形になった証です。その思いとは地元のお社に幟を立てようというものでした。平成二十六年頃を境に、古くなった幟の修復が難しくなり、高齢化も伴って旗を上げることをやめてしまっていました。ここ数年祭りやそのほか人が集まった際に、「幟を上げよう」といふ気運と声掛けが高まっていました。本年三月祈年祭にて氏子全戸へ寄付の呼びかけがなされ、結果多くのご寄付を頂戴することとなり、立派な幟を奉納いただく運びとなりました。現在奉納者名簿を木枠にして本殿に奉納する作業に入っています。
本年の子供神輿の参加者は子供四人です。これが過疎地域の現実です。それでも神輿は渡御できました。青年部の皆様のおかげです。
当社には室町時代の工芸品である「鰐口」が伝わりその年記が読み取れ、武蔵風土記稿にも記載があることから、平成十一年に市の有形文化財指定を受けています。普段は行田市郷土博物館に寄贈委託されているところ、博物館の学芸員である岡本夏実先生にお願いし、館外公開という形で神社本殿に展示していただきました。展示設定と特別解説パネルを作成いただいたのは同じく郷土博物館の澤村先生でした。
本年から私自身も行田市郷土博物館友の会の役員を拝命し、郷土文化の保持継承のお手伝いをさせていただくようになりました。今回の社宝鰐口の展示はこれからの私の取り組みの第一歩だと思っています。
受け継いだ宝を生かし、伝え、継承する。そのためには人との縁がなければできないことをここ数年で学びました。
氏子さんは勿論、御来賓として大祭にご参列いただいた行田邦子市長様にもご覧いただきました。
行田市長様は選挙公示前のごあいさつで当地においでいただき、祈年祭で玉串奉納いただいたときからのご縁です。というのも地元自治会長が同じ東北のご出身で、長くこの皿尾でお過ごしになっており、昨年度から自治会長を務めていただいています。まちづくり、村づくりは全て人とのご縁でつながることを改めて感じます。
深谷濱岡屋の岡部様、本年も御供物を奉納いただき誠にありがとうございました。皿尾地区の煉瓦水門は明治の初期に作られた治水門で深谷の煉瓦が使われています。皿尾地区の水田は深谷の煉瓦のおかげで開かれたのだとおもいます。
昭和六年の社殿幕が使われています。今の本殿ができたのもこの年です。西暦では1931年。歴史の教科書では満州事変の年です。
本年奉納された蓮四株。行田蓮の大使木暮照子先生にご奉納いただいています。桜の咲く頃、御主人様である木暮桂先生と手を泥だらけにして植えたのが昨日のことのようです。処暑を過ぎて尚、白光連が凛々しく咲いています。
当ブログにお越しくださる皆様に感謝申し上げます。ご縁を頂いた皆様のおかげで今日を生きています。家族とともに毎日を大切にこれからも歩いて参りたいと思っています。
月明け五月四日に予定されている神事「疫神祭」。江戸期から疫病除けとして田んぼの作業が始まるころ、村の三か所の入口を祓い、「疫神除神璽」の神札を立てて回ることが形として現在も残る。平成初期まで神輿を担ぎ、各個宅で祓いを行い、ともに回る氏子の列を持てなしていたが、少子化、過疎化の波によって神事の形態としてはかなり簡素化している。
今年一月、ある氏子宅に戦前の疫神祭の様子が残るということで写真を見せてもらうことができた。代々続く旧家で神社とのかかわりあいも長い。写真のように正装した神職と随行する氏子の姿が印象的だ。明治期なのか昭和に入ってのものか判断できないが、間違いなく疫神祭の写真である考えている。
神輿に乗せた御神体を担いだのはおそらく現在の神輿からで戦後の話なのではないだろうか。辻祓いの神璽札については祭りの始まりまで遡ることになると思う。では疫神祭にとって最も重要なことは何だったのだろうか。当時の写真に茅葺屋根の高さまでひらめく五本の幟が見える。「五色旗」と呼ばれるものだ。これは近年まで現存していて、旗の劣化で使用しなくなったが、代わりに五色の幣束として神事に掲げられている。
五色は陰陽五行の五行を表すものですべて万物はこの五行の陰陽の組み合わせで成り立っていると考えられている。
青・赤・黄・白・黒(紫)すなわち木・火・土・金・水。五常に当てはめると仁・礼・信・義・智となる。
五月と言えば鯉のぼりを思い出されるが、鯉の上にたなびく「吹き流し」もこの五色が用いられ、「魔除け」としての意味があるという。
疫神祭においては、新緑の樫の枝に紙垂を付けて祓いとしている。
当然田んぼに水がはいり農作業が始まれば、人の動きも活発となり水や人の手を介した疫病も流行ったのだろう。よってこの時期の農作業から「苗代祭り」とも呼ばれている。
この時期水もさることながら、風が吹くことが多い。風薫る五月というが疫病も運んできたことだろう。また疫病でありながらまたそれを「疫神」としてとらえ恐れ鎮めようとする神道的感覚を伝えていかなければならないと思っている。
神は万物に宿る(森羅万象と八百万の神)。神と土地とともに今を歩む(氏神信仰と今中思想)
風薫る五月まであとわずかだ。
弥生も終わりの30日、行田市蓮の大使木暮照子先生より久伊豆大雷神社社頭に4株の蓮をご奉納いただきました。人形作家、蓮の大使等多くの文化活動を通じ、行田市のみならず全国を巡りながら幅広く社会貢献をされていらっしゃる木暮照子先生。2年前に郷土博物館でお目にかかって以来、私の本務社である皿尾の神社にも大変お心をお寄せいただき、地元の氏子さんにも蓮の花のすばらしさを伝えたいとの思いから、このような立派な蓮の鉢とともに、咲いたときの蓮の色をイメージして蓮の配置、また奉納札を一式ご奉納いただきました。本殿向かって右から「白光連」(白)「小舞妃」(桃色)「紫気逢來」(紅)「太白連」(白)という配置を頂き、黒土と田んぼの泥を合わせながら丁寧に植え込みを行いました。
植え込みにはご主人で生物学者の木暮桂先生が境内までお越しくださり、水の量や土の粘土まで直接ご指導くださいました。
植え込みを行いながら、桂先生にお仕事のことや教育のことなどお話をお聞かせいただき、またご子息様、お嬢様とも私の高校の先輩に当たるということで非常に身近に感じられ、仕事の上での激励もいただきました。
桜舞う皿尾城にてこうした貴重な蓮の手植えをご一緒させていただいたことを大変ありがたくもまた深いご縁を感じます。照子先生に教えていた蓮の言葉「泥に咲き、泥に染まらぬ蓮の花」といふのがとても好きで大切にしているつもりでおります。
生きる時代や環境がどんなに厳しくとも、誇りをもって美しい花を咲かせよう
感謝の言葉は尽きませんが、この神社や氏子区域に私自身が尽力することでこうした御恩にこたえて参りたいと思っています。
皿尾城公園の桜も咲き誇るなか、令和五年春季祈年祭を執り行いました。昨年の同時期はコロナ蔓延が続いており、行動制限の解除された春祭りとしてはほぼ三年ぶりとなります。
あいにくの桜雨となりましたが午前の自治会総会のあと、令和四年度の年番役員さんの奉仕のもと滞りなく祭典をが進行されました。自治会の役員と神社祭事年番は兼ねますので三月をもって役員さんが交代となります。ですので最後の祭事がこの春祭り、祈年祭となります。これまであまり気にかけておりませんでしたが、年番の最後の奉仕がこの祈年祭となり、同日に次年度に引き継がれています。すなわち祈りの祭事が引き継ぎにあたり、まさしく氏子の願い祈りと共に引き継がれていることにその意味合いに改めて思いを馳せています。新たな年度に向け新たな年番さんと共に祭事を継続していきたいと思います。
また今春は統一地方選挙の年で、ここ忍領においても首長選が行われます。五人の候補者が立候補しており、祭典の前に候補者のかたがご挨拶にいらっしゃいました。前副市長の石川たかみさんです。市の生涯学習課次長時代に郷土かるたや放課後こどもクラブの創設に関わっていらっしゃったことから、SNSにて何度かメッセージをいただいておりましたが、今回はじめて皿尾城にてお目にかかることができました。市街地のサーキット型商業施設の提案など直接政策をお聞きする機会となり、地区の方も興味深く聴いていらっしゃいました。
ここ最近の選挙において候補者のかたがここ皿尾城まで足をはこんでくださることが多くなりました。開発調整区域であることからやや政治との関わりが弱くなりがちですが、しっかりと政策を聞き意思表示をしていかなければならないと思います。