皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

梅は食うとも核食うな

2022-03-11 22:23:58 | 先人の教えに導かれ

梅は食うとも核食うな
このあとには「中に天神寝てござる」と続きます
天神は平安時代の貴族、学者だった学問の神様菅原道真公のことを指します。右大臣まで昇進しながら、藤原家の讒言により太宰府に左遷され、失意のうちに他界します。その地で呼んだ歌が有名な
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ」の歌で

そのため梅の核の中には天神さまが休んでいらっしゃるといわれ
「核を食べると罰があたる」「核を食べると文字を忘れてかけなくなる」などど伝えられてきました。実はこれは単に言い伝えではなく、重要な禁忌伝承のひとつである用です。「生梅の種には毒があってそれに当たると激しい腹痛を起こすのでたべてはいけない」と教えています。

梅の中毒は未熟な梅を食べたときに起こしやすいのでそれを戒めるものとして
「入梅前の梅を食べるな」ともいいます。

きれいな花にはとげがあり、体によいはずの梅の実も場合によっては毒になる。
先人の知恵は確かに現代まで伝っています
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桃栗三年柿八年

2022-03-10 23:03:49 | 先人の教えに導かれ

桃と栗は種を植えてから実を収穫するまでに三年かかり、柿は八年かかる。
文字通りにとればそういうことだが、転じて「何事も成し遂げるには、それ相応の長い時間がかかる」という意味がある。
継続は力なりに近い意味合いだろう。
この後には続きがあって
「梅は酸い酸い十三年」
「柚子は九年の花盛り」
「枇杷は九年でなりかねる」
梅が一人前になるのが一番かかるということか。枝を詰め、花を咲かせ、実を着ける。菅公の愛でた梅の木は何年だったのだろう。
桃と栗が実際に実を着けるのは三年んほど、柿は六~七年かかるということから、ことわざは実際を言い当てているのだという。ただし果実は一般的に樹齢が長いほど旨味が増すとも言われ、これより年数をかけるのがよいとも言える。

桜を植えて二年が過ぎ、小さいながらも立派な幹の太さになって来た。
我が子と同じように木々の成長を見守ることは今も昔も変わらぬ幸せということだろう。
また江戸期の書物には「桃栗三年柿八年、人の命は五十年、夢の浮き世にささので遊べ」とある
ささは酒のことで、せっかくの人生酒を飲んで楽しく過ごせという享楽的思考が伝わるとともに、泰平の世にあって、木々の育成や人の一生に思いが至る時代であったことがうかがえることわざとなっている。
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石橋山の合戦より

2022-02-07 20:37:07 | 先人の教えに導かれ

令和四年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎週楽しみに見ている。源平合戦を舞台に、最後は執権として武家政権の実権を握った北条氏からみた平安末期から鎌倉時代の物語。軍記物はやはり多くの人の心をとらえ、視聴率も堅調のようだ。
先週の第五話では、源平争乱の火蓋が切って落とされ、緒戦の様子が壮大に描かれていた。
 三島大社の祭りにあわせ、平家方の目代山木兼隆、伊豆権守、堤信遠を討ち取り首検分を果たしたシーンから間もなく、国衆の土地分配を頼朝が行ったことに激怒した平家方は、その筆頭各たる相模の大庭景親、北条義時の祖父伊藤祐親は鎌倉に向かう北条、源頼朝一行を石橋山の麓で挟み撃ちにする。雨で身動きのとれない頼朝一行であったが、援軍の三浦氏を待っていた。川の増水に阻まれ北条軍に合流できない三浦軍。義時の盟友三浦義村は「小四郎、すまぬ」の一言で引き返してしまった。このあと描かれていなかったが、三浦軍は引き返す途中、武蔵の畠山重忠と衝突している。

石橋山合戦のハイライトはその戦の始まりとなる北条時政と大庭景親との罵りあい。
これは中世まで合戦のならいとされた「言葉戦」=ことばいくさと呼ばれる合戦の作法だそうだ。
相手の所業を罵ることで、味方の士気をを高めたらしい。
「平治の乱」にて頼朝の父源義朝つき敗戦。平清盛に助命された恩から平家につき、清盛の信頼が厚かった景親。
「平家からの恩は海よりも深く、山よりも高い」
そう叫んで北条時政を罵った。
一方、歌舞伎役者坂東彌十郎演じる北条時政は「あー情けなや情けなや。一時の恩で代々の源氏の恩を忘れるとは」と応じている。
時政はドラマを通じて戦上手の交渉下手として描かれている。まさしく、挑発をしながら挑発にのり、数で劣る負け戦の端を引いてしまった様子が非常に面白く、史実とドラマを織り混ぜた見ごたえのある場面であった。
このあと、頼朝挙兵の立役者北条宗時(義時の兄=片岡愛之助)は北条館近くで伊藤家の刺客、善児にあっけなく殺されてしまったのが歯がゆくもはかない展開であった。
「源氏も平家も関係無い。俺は坂東武者の世を作りたいだけだ」
そう志した宗時が奔走したお陰で頼朝は挙兵したのだった。
坂東武者
親が死んでも、子が殺されようともその屍を乗り越えて戦う
都の平家にそうささやかれて恐れられていたのが関東の土着の武士団だったという。
例え身は滅ぶとも魂は受け継がれる。武士道の精神はここ関東の地から受け継がれてきたに違いない。
今後の展開が楽しみだ
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待てば海路の日和あり

2022-01-21 18:54:23 | 先人の教えに導かれ

じっと待っていれば、やがて雨風も止み航海に出れる穏やかな日も来るだろう。
海のないところにすんでいると海辺の暮らしに憧れるものだ。遠くに見える水平線に向かって漕ぎ出す穏やかな日を待ちわびる気持ちがよくわかる。
急がば回れ
石の上にも三年
急いてはことを仕損じる
時をかけて成すことを良しとすることわざは多い。昔の人は科学や技術に頼ること以上に、時をかけて物事を積み重ねてきたことを思う。

思いたったが吉日
善は急げ
反義語も多い。それだけ人の時に対する思いは強い。
待てば海路の日和あり
中国の古い話に由来するという。
本来は、
待てば甘露の日和あり
甘露とは大地を潤す天水(あまみず)のこと。いつからか甘露が海路へと転じたという。どちらにしても日和を待ちわびる様子がよく伝わる言葉だと思う。

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人生100年時代に

2021-12-01 19:02:25 | 先人の教えに導かれ

人生100年時代というフレーズをよく耳にする。自分はいまその半分まで来ている。早いのか、遅いのか。先は長いのか短い長いのか判断しづらいころ。もし人生80年ならばすでに後半戦にはいっている。

小さなハンバーガー店に将来をみいだし、マクドナルドを世界的なフランチャイズ店に発展させたレイ.ロックがビジネスを手掛けたのは52歳の時だという。
「親ガチャ」などと唄われて、生まれた環境や経済力によって人生決まってしまうという風潮が広がっている。
彼は著書「成功はゴミ箱の中に」で次のように語っている。
「信念と継続だけが全能である」
日本マクドナルドの藤田田氏の本で読んだのは二十代の頃だったか。
少し自分のやっていることに不安を覚えたときには、立ち止まって振り返ってもいい。またまだゴミ箱のなかであがいていたい。諦めたら試合終了だから。


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