人生100年時代というフレーズをよく耳にする。自分はいまその半分まで来ている。早いのか、遅いのか。先は長いのか短い長いのか判断しづらいころ。もし人生80年ならばすでに後半戦にはいっている。
小さなハンバーガー店に将来をみいだし、マクドナルドを世界的なフランチャイズ店に発展させたレイ.ロックがビジネスを手掛けたのは52歳の時だという。
幸せの形は人それぞれで、どのように感じるかもその人次第。
幸せとは感じるものであって状態ではないともいう。人として生きる上で何をもって自分の幸せかを知ることは、単純なようでまた難しい問いだと思う。
イギリスの諺を引用した漫画を読み、非常に印象に残ったため自分でもその考えを踏襲したいとおもう。
一日だけ幸せになりたいなら床屋へ行け
一週間幸せでありたいなら車を買え
一か月幸せでありたいなら結婚しろ
一年幸になりたいのなら家を買え
価値観を何に置くかによって幸せを感じる時間が決まってくるという。
見た目を変えるだけでその日一日明るくなれる
行動範囲を広げることで一週間はすぐに過行くだろう。
大事な人と共に過ごす日々は一か月という月日を忘れさせる。
終の棲家を定めたならば、一年は何事もなく過ぎるだろう。
人生百年時代を迎えて、見た目や環境の変化によって一過性の幸せを感じることは人生の時々を彩ることだろう
一生幸せでありたいならば
『正直であれ』
自分に対して。大切な人に対して。世の中に対して。信じるものすべてに対して。
正直者は馬鹿を見る。そんな諺がある一方、さらりとこうした一言が胸に刺さる。
短いようで自分自身の一生は長い。こうした人生を歩みたいものだ。
明日は高校の入学式。下の子の中学入学式も重なり忙しい年度始めとなる。新たな環境の中でどんな生活が待っているのか期待と不安の交差する時だろう。
薄れゆく自分自身の学生時代の入学式の記憶。特に大学入学に当たっては学ぶというより一刻も早く働きたいと思っていた。机の上で学ぶことから自由になりたかったのだろう。仕事に対する自分なりの価値観もあまりなかった。ただある程度好きなことをして稼ぐ。そんな気持ちでいたように思う。
好きなことは趣味でやればいい。
仕事っていうのはお金をもらってやることだからそれはお金を払う人に対して責任を取らなきゃいけない。
こっちが好きか嫌いかなんてどうでもいい
向こうがお金を払ったことに対して責任をとれるか
そういうことがちゃんとできているというプライドが持てるか
そこだけでいいと僕は思う。
ここでいう僕とは 林修氏。
誇りをもって生きる。仕事に対して、生き方そのものに対して。
10年後、20年後彼らがこうした気持ちでをもって自立してくれたらと思う。