皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

下野国、野木神社

2018-01-07 21:43:12 | 神社と歴史

仕事を切り上げ、夕暮れの渡良瀬遊水地を目指して車を飛ばしましたが、途中で引き返し栃木県野木町の野木神社へ参拝しました。三が日は過ぎましたが、鳥居前には大きな日の丸が掲げられていました。日光街道の野木宿は江戸日本橋から数えて10番目の宿場にあたります。

野木神社の御祭神は莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)で15応神天皇の皇太子にあたります。日本書紀によれば16代仁徳天皇の兄にあたり皇位を譲るべく亡くなったとされています。やはり記紀神話は奥が深く、知らないことばかりです。
由緒書きによると仁徳天皇の御代、下野の国造、奈良別命が赴任する際、応神天皇の皇太子莵道稚郎子命の遺骨を奉じて下野の国笠懸野台手函の地に奉ると伝えられています。その後延歴年間(1200年前)坂上田村麻呂が北国平定に際し凱旋途中その功を報告し社殿を遷座したと言われています。鎌倉時代には幕府より社領を寄進され、元寇に際しては北条時宗公より攘夷祈願の命を受け息長足比売命、誉田別命等を祀ったとされています。日本史の教科書を読んでいるようです。由緒の重みがよく伝わります。
 時代が下り、盛衰しつつ江戸期には古河城主の崇敬を受け文化三年の火災で社殿消失してしまったのち、土井利厚により現在の社殿が再興されます。

境内の銀杏に来の木はその坂上田村麻呂が寄進されたものが移されたとされ、授乳の祈願が信仰されています。古い銀杏の木にはこうした伝説、言い伝えが残っていて、羽生の小松神社にも見ることができます。
以前書いた古河の提灯竿揉祭の起源はこの神社にあるといいます。『七郷めぐり』と呼ばれ野木神社の末社をめぐるのが始まりです。古河市内では12月第一土曜日に駅前で行われますが、神社の神事として12月3日に境内で行われるそうです。
 御朱印もいただき、たまたまいらした宮司さんに話を聞くことができました。古河の提灯揉みはたかだか百年。野木神社の提灯揉み神事は建仁年間の始まりで、約八百年続くそうです。恐れ入りました。
 明治期には乃木希典大将が同名から信仰を寄せ愛用の軍刀を奉納しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする