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ちはやぶる神のしづめし二荒山
ふたたびとだに御代はうごかず
賀茂真淵に歌われる下野国一宮二荒神社の本殿手前には化灯籠と呼ばれる不思議な灯籠が残っている。
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鎌倉時代「1292年)鹿沼権三郎入道教阿が奉納した唐銅の灯籠で伝承が残っている。
闇夜を迎えてこの灯籠に火を入れるとすぐに燃料の油が尽きて消えてしまい、何度も同じようであった。また周囲のものが二重に見えたり灯籠が揺れ動いたという。警護のものが怪しんでこれを切りつけたため、無数の傷が残ったという。
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化け灯籠の正体は暗闇のなかで風に揺らめく灯籠の火が怪しく見えたため、また、灯籠の油をムササビがなめに来たなど諸説があるが真相は不明である。
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何れにせよ、今尚その傷を現在に伝える意味は何であったのか。
東照宮より古くから日光山岳信仰の中心にあった二荒神社。関東の奥地でその権勢を誇った一方で、後北条氏についた結果豊臣政権下に於いては領地を召しあげられている。東照大権現の権威のもと江戸期となって社地を回復し、日光詣でによって興隆を回復しているが、社殿を始め境内地の管理や人の往来を戒める必要だったのではないか。故に狼藉があらば遠慮なく太刀を抜く。そうした社地での振る舞いを伝えたかったのではなかろうか。もちろん伝承の意味を現在の感覚で読み取ることは難しい。
今に残る銅灯籠の傷跡だけが知っているのだろう。