蓮田市黒浜は元荒川左岸に位置する農業区域でその台地上には椿山遺跡や黒浜遺跡など考古学上重要視される遺跡が数多い。特に黒浜貝塚においては縄文海進と呼ばれる時期に現在の東京湾の入り江となった場所で、その貝塚からは「黒浜式土器」と呼ばれる縄文土器が出土し、人々の当時の生活様式が映し出される貴重な遺跡となっている。<
時代は下り永禄七年(1564)国府台合戦で北条氏に敗れた太田資正の郎党野口多門はこの地に帰農し住居したことも知られ、室町時代後期には相応の村落が成立していたと考えられている。『神社明細帳』によれば享禄年間(1530年頃)騎西の玉敷神社から勧請されたと伝わる。祭神は大己貴命。宝暦二年(1752)神祇官領卜部兼雄から『久伊豆大明神幣帛』を授かり現在の社殿は天明八年に竣工。昭和五十八年に本殿が市の指定文化財となっている。
また社殿を囲む社叢も平成二年に市の保存樹林に指定され大切な鎮守の杜として保存されている
初午やお日待ちなどの年中行事も長らく伝わり、氏子の住環境が変わる中でそうした慣習が薄れつつも多くの記念碑が境内に残り古い歴史を今に伝えている。