菅原道真、平将門とともに日本三大怨霊とされる崇徳天皇。保元の乱で敗れ配流された隠岐(香川県)で亡くなった後、天変地異を起こす怨霊として平安末期から恐れられてきた。
『鎌倉殿の十三人』で重要な役どころとなっている後白河法皇は崇徳天皇の弟。兄弟で争い敗れた戦いが保元の乱。隠岐に流された崇徳院は舌を噛み切った血で『願わくは大魔王となりて天下を脳乱せん』という誓いを経に書きつけて壮絶な最期を遂げている。その崇徳院の歌が小倉百人一首に収められている。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはんとぞ思ふ
流れが速いので岩に堰き止められる川が二つに割れてもやがては一つになるように、今はあなたと別れてもいつか再び必ず逢って結ばれようと思う
崇徳院にとって思い人と再び会いたいという恋慕の歌としてではなく、戦いに敗れ流されてもなお、世の中に対して執念を燃やす歌ともとれるという。
この歌の結びは『あわんとぞ思ふ』という八音の字余り。五七五七七の流れる音調からはみ出すことで、重々しい感情が込められるそうだ。
悲運の天皇崇徳院。京都白峰神宮に祀られていて、鎌倉時代の肖像画も国の重要文化財として残っているそうだ。写本も残っていて今春公開予定という。
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