皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

浅き川も深く渡れ

2025-01-21 21:25:31 | 先人の教えに導かれ

浅く見える川でも深い川だと思って慎重にわたりなさい。注意深く行動しなさいとの教え。

『石橋を叩いてわたる』の方がよく知られているようですが、冒険家の星野道夫氏が大事にしていた言葉だそうです。簡単そうになことでも油断せず気を引き締めて行動せよということでしょうか。

星野道夫さんは1952年生まれの写真家、冒険家。慶応大学卒在学中から探検部で活動。世界各地を旅し写真や紀行文を執筆している。

1996年TBSテレビ『どうぶつ奇想天外』での取材中ロシアのカムチャッカ半島滞在中テントで熊に襲われなくなっている。享年43歳。多くの写真集や随筆を残している。

浅き川も深く渡れ

凡事徹底に通じる時代を越えた素晴らしい言葉だと感じています。

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境内末社に愛宕神社がない理由

2025-01-13 21:38:20 |  久伊豆大雷神社


当社には明治の合祀政策によって三社の末社か境内に勧請されている。生駒、神明、天神の三社。それより以前に稲荷、風神の二社がその上座に摂社として祀られている。恐らく稲荷社は江戸期から、風神社については農耕祭祀として嵐よけを古くから行っていたことによるものと思われる。



末社の社殿の中に荒木地区から近衛歩兵の額が奉納されており、戦中の混乱期には多くの人が戦勝や帰還を祈願したことがうかがえる。
神社の数として最も多い八幡社が境内にないのは、実は地区内に合祀されず、個人のお宅で管理する八幡神社があるからだ。代々続く名家で明治期の合祀政策の際にも個人で社地を守ったことが伝えられる。

また火伏せの神愛宕神社は境内地ではなく、社家である私の家に勧請されている。

御幣の裏書には昭和六年の揮毫と祖父の名前が記されていて、本殿の上棟年と一致している。



恐らく竈門の神と共に神社境内地ではなく、自宅に軻遇突智命を祀り、代々氏神様とと家系を火伏せの神に守ってもらいたいと祈ったことだろう。



ロサンゼルスの山火事のニュースに心が痛む。どんなに社会が進歩しても暮らしの中で火の災いと恩恵を共に受けていることを忘れてはならない。






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初散歩と成人の日

2025-01-13 08:45:20 | 生活

令和七年を迎えて初めていつもの散歩道を歩きます。仕事で歩くことが多いためか、休みの日に定期的に歩く週間がつきません。(体調がよく気が向けば歩く感じ)

寒中の時候ではありますが、寒さを感じません。影の長さだけが季節を映します。

忍川の鴨も元気そうに泳いでいました。

皿尾城南口は赤城山の絶景スポットで、自分の中で『赤城山スポット』と呼んでいます。
今日は成人の日。元服の儀が行われたことに由来します。いつの間にか月曜日となってしまいましたが、多くの(実際には少ない)新成人の皆さんの前途を祝し、これまで育て上げられたご家族の皆さまにお祝い申し上げます。






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知者は惑わず勇者は畏れず

2025-01-12 06:44:02 | 先人の教えに導かれ

知者は惑わず勇者は慴れずは『論語』に記された孔子の言葉

道理に通じた人は物事をなすに当たって迷いなく判断できる。勇気のある人はどのような事態にも臆することはないとの教え。孔子自信が君子像を簡潔に表したものと伝わります。

知識と行動力は背あわせ、または車輪の両輪のように、あわせ持つことでことが進むことを伝えているのでしょうか。

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千里の行も一歩より起こる

2025-01-02 23:33:14 | 先人の教えに導かれ

本殿前の御神木は平成四年頃に植えていただいた榧の木です。当時高校生だった私は枯れてしまった先代のご神木である春日杉のことも覚えています。令和となった現在の姿を当時思い知ることはできませんでした。

千里の道も一歩からは『老子』から生じたことわざで中国語で千里之行始于足下と書きます。

一里は約400メートル。400㎞の長い道のりもまず最初の一歩から始まるといふことになります。老子の中の文によれば大木も毛先ほどの芽から成長し、千里の道も一歩より始まるとあるそうです。元々は大きなトラブルも最初の段階では対処しやすいとの意味合いだったそうですが、いつしか前向きな事業の始まりのことを指すようになりました。365日の積み重ねも正月の過ごし方から始まると思い今こうしてブログに向かっている次第です。

正月向けの拝殿飾りも師走の中頃からひとつひとつ準備してきました。兼業の方の仕事で

『ひとつひとつやっていこう』という掛け声がありました。なぜか心に残りましたので実践するようにしております。

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