花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ゴミ屋・くず屋・ボロ屋・古着・呉服屋

2005年09月17日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
商売の関係で、某質店の方とお話をする機会をいただいた。作家の出久根達郎さんは古書店を経営してみえたが、同じように値踏みにはかなりの経験が必要ではないかと聞いてみた。
屋さんは様々な品を瞬時に値踏みしなくてはならない。多くの損をして体験を積まなければなりませんとおっしゃる。偽ブランド品が多く出回る昨今、真贋を見分ける目を持つには、毎日が勉強ではなかろうか。
屋さんは金貸しの嫌なイメージを受けてきた。しかし今の時代、サラ金という安易に借金の出来る商売がある。高利で貸して消費者を泣かせる人もいる。
質屋さんは「うちは金利が安いので、9割流れる商品はありません」とのこと。商品の保管には、かなりの気を使っているそうだ。質入れの品は大切な預かり物なのだ。
京で浪人をしていた頃、寮の先輩が、せっせとラジオを質入れし、流れるのが心配だからと仕送りを待って引き出していた。預けたときに比べて傷だらけだったら、「なにをしてくれたんだ」と怒りたくもなるだろう。これは俺のものだといいたくもなるだろう。
いは、ゴミ屋、くず屋、ボロ屋、古着、呉服屋の順です」と言われる。「それ反対と違いますか?」と聞いてみると、ゴミ屋は捨てるものの中から商売に使えるものを見分けなくてはならない。くず屋は出久根さんが「本のおくちよごしですが」に書いてみえるように、古書よりも紙くずのほうが値打ちな時代があった。つまり大切な原料なのだ。
ロ屋は、古い布を良いものとより分ける目が必要だ。古着も同様。それに比べ呉服屋は、問屋の言いなりで値を付けるだけだ。「あんたは、呉服屋に成り下がったのか」ということになる。商売に貴賎はない。
売に貴賎はないという言葉は、死んだおふくろも言っていた。仏壇屋という呼ばれ方に偏見の目を感じていたのだろうか。今は結構儲かる商売として見られているようだ。当店は別として。いや、ほんと。