昭和39年9月26日。四日市まつりのなかびで学校は休みだった。伊勢湾台風が四日市を襲った日だ。
午後2時頃、オイラは森書店で漫画の本を立ち読みしていた。午後から強まってきた風雨で、少しも祭り気分にならない。大きな音がしているので見上げてみると、アーケードの波板が風でめくれそうだった。
夜暗くなるにつれて、ますます風雨は強くなる。夕方、店に来ていた名古屋の問屋さんが、電車が動いてないと戻ってきた。家に泊まることになる。なんとなく頼もしい。お祭りにと作ってある巻き寿司を飲み込むようにして食べる。がんばって、鼻歌を歌いながらローソクの火で漫画の本を読む。頭に入らない。
夜8時頃、二階のガラス戸が割れる。兄貴と問屋さんは必死で窓をふさいでいるようだ。おふくろ達は店で戸を押さえている。行ってみると、店の引き戸が風で波打っている。オイラも必死で抑えるが、どれだけ力になっているのだろうか。
親父は、店の横塀が心配なので調べに外へ出て行った。戦後、自分で俄かに建てたバラックだ。どのくらい持つのかをよく分かっていたのだろう。倒れてきた塀の下敷きになる。幸い怪我はなかった。風でゆっくりかぶさってきたからだ。気の毒に誰も心配して見に行かなかった。しばらくは塀の下でもがいていたそうだ。自力で帰ってきた。奇跡の生還。誰も褒めない。
深夜になり、幾分か風も収まったので寝る。翌朝は、秋晴れの爽やかな朝だった。表へ出てみると、サンシ百貨店でちくわの揚げたのを安売りしていた。早速、家へ帰り「おいしそうやに、値打ちやに」と報告すると「そんなもの、水に浸かっとるかわからんで、買うたらあかん」と叱られる。それはサンシに失礼や。と思うが、くちごたえできず。
兄貴は、磯津の浜辺に大きな船が打ち上げられたということを聞き、カメラを持って出掛けた。帰ってきて自慢しては、また出掛ける。
数日の間、問屋さんは我が家に逗留するが、ある日、動く気配のない電車に業を煮やして歩いて帰った。後日聞いた話だが、背広を着ていたので、富田あたりで泥水をかけられたそうだ。地元の方の気持ちも分かる。
学校では、救援物資の筆箱や鉛筆などがもらえた。が、しかし、当方は床下浸水。床上組みとは異なり、大きな差別を受けた。いただける量と種類に差がありすぎる。
「なんや!床上浸水やったらよかったのにぃ」と、訳も分からず残念がるオイラでした。お宅の伊勢湾台風は、いかがでした?
午後2時頃、オイラは森書店で漫画の本を立ち読みしていた。午後から強まってきた風雨で、少しも祭り気分にならない。大きな音がしているので見上げてみると、アーケードの波板が風でめくれそうだった。
夜暗くなるにつれて、ますます風雨は強くなる。夕方、店に来ていた名古屋の問屋さんが、電車が動いてないと戻ってきた。家に泊まることになる。なんとなく頼もしい。お祭りにと作ってある巻き寿司を飲み込むようにして食べる。がんばって、鼻歌を歌いながらローソクの火で漫画の本を読む。頭に入らない。
夜8時頃、二階のガラス戸が割れる。兄貴と問屋さんは必死で窓をふさいでいるようだ。おふくろ達は店で戸を押さえている。行ってみると、店の引き戸が風で波打っている。オイラも必死で抑えるが、どれだけ力になっているのだろうか。
親父は、店の横塀が心配なので調べに外へ出て行った。戦後、自分で俄かに建てたバラックだ。どのくらい持つのかをよく分かっていたのだろう。倒れてきた塀の下敷きになる。幸い怪我はなかった。風でゆっくりかぶさってきたからだ。気の毒に誰も心配して見に行かなかった。しばらくは塀の下でもがいていたそうだ。自力で帰ってきた。奇跡の生還。誰も褒めない。
深夜になり、幾分か風も収まったので寝る。翌朝は、秋晴れの爽やかな朝だった。表へ出てみると、サンシ百貨店でちくわの揚げたのを安売りしていた。早速、家へ帰り「おいしそうやに、値打ちやに」と報告すると「そんなもの、水に浸かっとるかわからんで、買うたらあかん」と叱られる。それはサンシに失礼や。と思うが、くちごたえできず。
兄貴は、磯津の浜辺に大きな船が打ち上げられたということを聞き、カメラを持って出掛けた。帰ってきて自慢しては、また出掛ける。
数日の間、問屋さんは我が家に逗留するが、ある日、動く気配のない電車に業を煮やして歩いて帰った。後日聞いた話だが、背広を着ていたので、富田あたりで泥水をかけられたそうだ。地元の方の気持ちも分かる。
学校では、救援物資の筆箱や鉛筆などがもらえた。が、しかし、当方は床下浸水。床上組みとは異なり、大きな差別を受けた。いただける量と種類に差がありすぎる。
「なんや!床上浸水やったらよかったのにぃ」と、訳も分からず残念がるオイラでした。お宅の伊勢湾台風は、いかがでした?
