花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

幕末単身赴任 下級武士の食日記

2005年12月20日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
万延元年(1860)紀州和歌山に住む酒井伴四郎は、参勤交代のため江戸に単身赴任する。几帳面な酒井氏は、江戸での日々の暮らしや食べ物について事細かに書き残していた。
白い本を見つけた。「幕末単身赴任 下級武士の食日記」青木直己著 NHK出版生活人新書。万延元年5月11日。和歌山を出立した一行は、大阪から中山道を経由して18日間かけて江戸に到着している。
月11日は新暦で6月20日。梅雨のさ中の旅立ちで、洪水やがけ崩れに遭遇しているが、当時の旅はいたってのんびり、今のように時間に追われることはない。淀川の増水を理由に大坂見物に2泊したりしている。
の途中、どんなものを食べているのだろう。樫の井宿で蛸を肴に酒を飲み、堺ではあんころもち4個、大坂で虎屋饅頭、草津で姥が餅5つ、木曽で篠原餅、擂鉢峠でまたあんころ餅、上松でわらび餅と柏餅、とちの木村で栗粉餅、塩尻峠では茹で卵、桔梗が原で栗餅、碓氷峠で「峠の力餅」。安中宿で芋饅頭の油揚げ。餅の名物が多かったのだろう。先々でいろんな餅を食べている。
いものをよく食べているが、昼間から酒も飲んでいる。レンコンの油揚げで味醂酒(焼酎+もち米+麹)を一盃、きゅうりもみで焼酎、うどんと生節で一杯。そうめんで酒一合とそれほど量は多くないが、暑気払いに一杯と、ほろ酔い気分で旅を続けている。途中で名所見物をしたり、女郎をひやかしたりの旅だった。
うやく江戸に付いた伴四郎は、赤坂の紀州藩中屋敷に入り、挨拶回りを済ませて買い物に出ている。どんなものを買ったのか。火箸・土瓶・風呂火口(火吹き竹)・着物を吊るす衣紋竹・取っ手の付いた陶器の平鍋など、とりあえず始める生活の様子が垣間見える。
戸の町には3763店の蕎麦屋があった。ひとつの町に必ず1軒はある勘定だ。しかも屋台蕎麦屋は別だから、いかに江戸の人がそばを食していたかが分かる。伴四郎も買い物帰りに蕎麦屋に立ち寄っている。
時の蕎麦屋のメニューが載っていた。御膳大蒸籠(48文)・掛け蕎麦、盛り蕎麦(16文)・あんかけうどん(16文)・あられ(24文)・天ぷら(32文)・花まき(24文)・しっぽく(24文)・玉子とじ(32文)そして、上酒一合(40文)。
四郎の江戸でのグルメ体験はこのあとも続く。またの機会に。なぜなら、ここまでしか読んでないのです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする