花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

年末奇譚

2005年12月24日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
本日は、実入りの少ない、奇妙な日だった。数日前、中年のご婦人が店に訪れ古いお仏壇の処分をお願いしていかれた。携帯の番号と、引き取り先の住所を聞いておいた。
束の日が今日だったので、さっそく電話をしてみた。話し中。30分ほど掛け続けた。話し中。引き取り先の住所を地図で探すと、とんでもない番地だった。諏訪栄町100000番10000号みたいなものだ。これ以上追求の仕様がない。
きらめて、今日の予定を逆方向に回ることにする。もうひとつの用件は、仏具の飾り方がさっぱり分からないとおっしゃる。行って並べなおしてあげようじゃないかと、車を走らせた。20年ほど前に配達した家だった。応対に出たのは若い奥さん。まだ二十歳代だ。自分はクリスチャンなので仏壇のことはさっぱり分からないとおっしゃる。
に入ってびっくりした。廊下は大きな犬が歩き回っているように汚い。つま先で座敷に入る。布団が敷いたままだ。あたりが雑然として寒い。もっともこれで暖房を入れたら臭くて叶わないのではなかろうか。まるで掃除がしてない。
具の飾り方もめちゃくちゃだ。お買い上げ当時は確か両親が居たが、今は存在している様子がない。その割には位牌がない。一帯全体どうしたのか。この家に何があったのか。
べ直している内に、おかぁんからお呼びがかかる。先ほどの引取りの方が待っているという。早く戻れときついお達し。車を飛ばした。そういえば先ほどの家では、お礼の一言もなかった。金銭をもらうつもりはなかったが。
取りの家ではおとなしそうな青年が待っていた。築後15年ほどの家だが引越しの途中か、家の中は、やはり雑然としている。土足で上がってくださいとおっしゃるので恐る恐るあがらせてもらった。お母さんも息子も離婚してこの家を手放すことになったそうだ。何の未練もない家だから、住所の記憶もあいまいだったのだろう。どうでもよい家、ということになる。唯、仏壇の処分に困っていた様子だ。引き継いでお祭りする気は、毛頭ないのか。
日は寒々とした。以前にオイラは、バチは絶対あたらないと言ったが、もう少し恐れおののく気持ちがあっても良いのではと思う。昔はこんなことするとバチがあたるぞ、とよく言われた。現代では怖いものがなくなってしまった。人間以上のものに敬虔な気持ちを持つことがない。
れから日本はどうなっていくのか、なんて年寄り臭いことを考えさせられた1日でした。
追伸
まさか、お客さんがこのブログを見るはずは
ないでしょうね
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏