花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

一枚の写真 ⑬ 解決編

2024年12月23日 | レモン色の町

昭和29年頃ですか、遠くに諏訪駅の駐輪場?の屋根が見えます。

左に立つのは 諏訪駅取り壊しの看板ではなかったでしょうか?そうであれば真ん中で記念写真を撮る人の姿も納得できます。

諏訪駅は人込みで確認はできません。右の建物は公衆便所で、入口が二つあります。これは駅の便所だったのでしょうか?それとも向かい左手のスワマーケットの便所だったのでしょうか?手前の看板は、諏訪劇場前の角にあった諏訪花園さんの看板です。便所の西隣に看板の骨組みが見えます。昭和30年6月20日の辻俊文さんの写真では、紅屋さんの看板になっていますので、これより少し前、昭和29年ということにいたしました。

逆方向になります

おもしろいものを見つけました。こちらへ歩いてくる女性の傘の先です。向こうの便所の入り口に籠(かご)のようなものが置いてあります。向かって左の入り口ですから、女子便所の入り口でしょう。

勝手の良い想像をすると、新聞紙ではないでしょうか?当時は新聞紙をよく揉んで使いました(ちゃうか?)。新聞紙は万能で、店の包装紙にも使われたものです。

まちの入り口だった諏訪駅も 昭和31年9月に廃止されることになりました。手前には新しいホームができつつあります。中央に川村鉄工所。左端に諏訪神社の本殿。上を通るのは、国道1号線。その先 左には 諏訪新道の入り口が見えます。

 


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2 コメント

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Unknown (昔が蘇った下総ボケ老人)
2024-12-23 19:03:25
解決編の記事、ありがとうございました。
トイレの紙のはなし。むかしを思い出しました。おむつが取れたばかりの頃、トイレ?ム、便所といいましょう。いわゆる汲取式便所からでると、母親が新聞紙の小片を持って待ち構えていました。そして私にお尻を突き出させ、唾をペッと吐いた新聞紙でお尻を拭いてくれました。
やがて新聞紙の時代からチリ紙の時代に、、、、。
と、言っても白いチリ紙ではありません。
古新聞から作った灰色のチリ紙。たしか店のオバさんは“黒チヂ”といっていたのを、懐かしく思い出しました。
トイレの思い出尽きません。💩💩💩
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便所の話 (タケオです)
2024-12-24 10:10:24
唾を吐いた新聞紙も笑えましたが 黒チヂ!まさに新聞紙の再生紙でゴザイマシタなぁ
学生の頃の寮のトイレは 真ん中に入るとおつりがくる 大便を落下させた瞬間に 体をよけるように教えていただきました
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