『漂流するトルコ』には、言語や民族をテーマとするコラムが数編載っている。
その一つが、「何カ国語ぐらい話せますか」。
これまた『漂流するトルコ』の著者らしい視角から斬りこんでいる。ことに2-(5)は、トルコで難儀した著者の体験が色濃く反映されている、と思う。翻って、日本人とは何かを再考するキッカケにもなる。以下、要旨。
1 言語と国
言語と国の数は、一致しない。
また、言語の分布は、通常、国境とも重ならない。
スペイン語を公用語としている国は、21カ国ある。独立国ではないが、プエルトリコも国のうちに数えれば22カ国になる。「スペイン語だけが話せる人」は、22カ国語を話せる、と言えるのか。
アイヌ語と日本語が話せる人は、アイヌ語が日本の「国語」になっていないから、1カ国語しか話せないことになるのか。
要するに、何カ国語という数え方は無意味であり、答えようがない。
ところで、日本のテレビには、時々「2カ国語放送」という文字が流れる。なぜ、○○語と○○語の2言語放送と呼ばないのだろうか。
2 「いくつの言語が話せますか」の問いにも困る
「いくつの言語が話せますか」と問い直されても、答えかねる。理由は幾つもある。
(1)「同系統の異言語」と「一言語の諸方言」を区別する客観的な基準はない。よって、「言語の数」は数え方次第である。
たとえば、マケドニア語とブルガリア語、あるいはチェコ語とスロバキア語は、2つの異言語と数えられるが、お互いに難なく通じてしまうくらい近縁関係にある。
他方、鹿児島弁と津軽弁は互いに一言も通じない。どちらも日本語の方言と見なすのは、政治的分類である。
(2)どのくらい話せれば「話せる」ことになるか。これを決める客観的な基準がない。
(3)ある言語を苦労せずに話せるレベルに達した。その言語を誰とも話す機会がないまま何年もたってしまった。またその言語を話す人と会った。・・・・こんなとき、相手の言うことはすべて理解できるのに、自分の口からは初めのうちは言葉が訥々としか出てこないことがある。
(4)話せる言語の数が質問者の想定している上限を桁違いに超えていると、ほら吹き、嘘つき扱いにされることがある。
(5)特定の言語を「言語として認めない」国家や団体がある。相手が何者であるかを見きわめないうちに不用意な答え方をすると、リンチされたり、投獄されたり、拷問されたり、暗殺されたりすることがある。
□小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010)
↓クリック、プリーズ。↓
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その一つが、「何カ国語ぐらい話せますか」。
これまた『漂流するトルコ』の著者らしい視角から斬りこんでいる。ことに2-(5)は、トルコで難儀した著者の体験が色濃く反映されている、と思う。翻って、日本人とは何かを再考するキッカケにもなる。以下、要旨。
1 言語と国
言語と国の数は、一致しない。
また、言語の分布は、通常、国境とも重ならない。
スペイン語を公用語としている国は、21カ国ある。独立国ではないが、プエルトリコも国のうちに数えれば22カ国になる。「スペイン語だけが話せる人」は、22カ国語を話せる、と言えるのか。
アイヌ語と日本語が話せる人は、アイヌ語が日本の「国語」になっていないから、1カ国語しか話せないことになるのか。
要するに、何カ国語という数え方は無意味であり、答えようがない。
ところで、日本のテレビには、時々「2カ国語放送」という文字が流れる。なぜ、○○語と○○語の2言語放送と呼ばないのだろうか。
2 「いくつの言語が話せますか」の問いにも困る
「いくつの言語が話せますか」と問い直されても、答えかねる。理由は幾つもある。
(1)「同系統の異言語」と「一言語の諸方言」を区別する客観的な基準はない。よって、「言語の数」は数え方次第である。
たとえば、マケドニア語とブルガリア語、あるいはチェコ語とスロバキア語は、2つの異言語と数えられるが、お互いに難なく通じてしまうくらい近縁関係にある。
他方、鹿児島弁と津軽弁は互いに一言も通じない。どちらも日本語の方言と見なすのは、政治的分類である。
(2)どのくらい話せれば「話せる」ことになるか。これを決める客観的な基準がない。
(3)ある言語を苦労せずに話せるレベルに達した。その言語を誰とも話す機会がないまま何年もたってしまった。またその言語を話す人と会った。・・・・こんなとき、相手の言うことはすべて理解できるのに、自分の口からは初めのうちは言葉が訥々としか出てこないことがある。
(4)話せる言語の数が質問者の想定している上限を桁違いに超えていると、ほら吹き、嘘つき扱いにされることがある。
(5)特定の言語を「言語として認めない」国家や団体がある。相手が何者であるかを見きわめないうちに不用意な答え方をすると、リンチされたり、投獄されたり、拷問されたり、暗殺されたりすることがある。
□小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010)
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