「不屈」は西洋の独占物ではない。
東洋にも敗れざる者がいる。
17世紀初頭にはじまる英国のインド征服は19世紀なかばにほぼ完成した。土地は収奪され、かつては英国を凌駕した手工業は荒廃し、政治的権利は皆無・・・・これが当時のインドであった。
1848年に総督に就任したダルハウジーは、支配をさらに強化した。インド人の不満は高じ、小競り合いが随所で発生し、ついに大爆発がおきた。ミールートにおける蜂起である(1957年5月)。
英国への抵抗勢力はわずか1か月間で北インドの英国支配を烏有に帰しめ、さらに中央インド、ボンベイまで席巻した。初期の兵士の反乱は、農民戦争へと性格を変えていた。
英国は同年2002年9月にデリーを奪還、翌年3月には抵抗勢力の最後の拠点ラクナウを制圧した。
しかし、ゲリラ戦は続く。英国が平定宣言を発したのは、ようやく1859年7月に入ってからである。
以上は、中野好夫による解説の、事実に係る部分の要約である。
サヴァルカールの原著は1908年刊。翌年英訳がオランダで印刷されパリで発売された。公刊は第二次世界大戦後の1946年。英国側の資料に多くを依拠しながら、つまり当然ながら英国支配に不都合な反乱と位置づけた資料に基づきながら、まったく逆の視点から2年3か月間を逐一点検している。すなわち、民族革命という視点である(英訳の原題は「インド独立戦争」)。
著者は冒頭で説く。「宗教の自由のない独立はいやしむべく、独立のない宗教は無力である」と。
全編を貫く火のような情熱は、ほとんど叙事詩に近い語り口だ。「トランペットをならせ。いま歴史の舞台にはいま二人の偉大な英雄が登場するからである」。
かたや、皮肉も強烈だ。「このような美しくも豊かな土地を手に入れないのは賢明なイギリス人ではない。ダルハウジーは、1856年アウドの併合を命令した」
著者は、クマール・シングたち英雄の活躍を礼賛する一方では、インド人側の弱点も看過しない。
指導者が欠けるとたちまち烏合の衆と化してしまう。他人まかせ、自律性の欠如といってもよい。
あるいは、英国人は意見を異にしても行動においては一致協力するが、インド人は意見が異なると行動も別行動をとる。
また、英国人は一人の死を無駄にしないで、後に10人が続くが、インド人の英雄的な行動は単発的に終わる。
情熱と冷静な分析、加えて小説よりも奇なエピソード(幼ななじみの男女、ナナ・サイブとラクシュミ・バイが後に革命軍の指導者として立つ)もまじえるなど、これが弱冠24歳の著書かと思われるほどだ。
ところで、セポイの乱をはじめて知ったのは小学生時代、児童向けにアダプトされた『四つの署名』による。わけがわかららないが、とにかく恐ろしい事件、というのがそのとき受けた印象だった。万能のシャーロック・ホームズが安心させてくれた。
そして、本書を読んだのは中学1年生の時。大地にねむる死者をよみがえらせるかのような格調高い文体が一気に読みとおさせた。
歴史を相対化してみる眼は、たぶん、この時からはじまった、と思う。
□ヴィナヤック・ダモダール・サヴァルカール(鈴木正四訳) 『セポイの乱』(『筑摩ノンフィクション全集第7巻』所収) (筑摩書房、1960)
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東洋にも敗れざる者がいる。
17世紀初頭にはじまる英国のインド征服は19世紀なかばにほぼ完成した。土地は収奪され、かつては英国を凌駕した手工業は荒廃し、政治的権利は皆無・・・・これが当時のインドであった。
1848年に総督に就任したダルハウジーは、支配をさらに強化した。インド人の不満は高じ、小競り合いが随所で発生し、ついに大爆発がおきた。ミールートにおける蜂起である(1957年5月)。
英国への抵抗勢力はわずか1か月間で北インドの英国支配を烏有に帰しめ、さらに中央インド、ボンベイまで席巻した。初期の兵士の反乱は、農民戦争へと性格を変えていた。
英国は同年2002年9月にデリーを奪還、翌年3月には抵抗勢力の最後の拠点ラクナウを制圧した。
しかし、ゲリラ戦は続く。英国が平定宣言を発したのは、ようやく1859年7月に入ってからである。
以上は、中野好夫による解説の、事実に係る部分の要約である。
サヴァルカールの原著は1908年刊。翌年英訳がオランダで印刷されパリで発売された。公刊は第二次世界大戦後の1946年。英国側の資料に多くを依拠しながら、つまり当然ながら英国支配に不都合な反乱と位置づけた資料に基づきながら、まったく逆の視点から2年3か月間を逐一点検している。すなわち、民族革命という視点である(英訳の原題は「インド独立戦争」)。
著者は冒頭で説く。「宗教の自由のない独立はいやしむべく、独立のない宗教は無力である」と。
全編を貫く火のような情熱は、ほとんど叙事詩に近い語り口だ。「トランペットをならせ。いま歴史の舞台にはいま二人の偉大な英雄が登場するからである」。
かたや、皮肉も強烈だ。「このような美しくも豊かな土地を手に入れないのは賢明なイギリス人ではない。ダルハウジーは、1856年アウドの併合を命令した」
著者は、クマール・シングたち英雄の活躍を礼賛する一方では、インド人側の弱点も看過しない。
指導者が欠けるとたちまち烏合の衆と化してしまう。他人まかせ、自律性の欠如といってもよい。
あるいは、英国人は意見を異にしても行動においては一致協力するが、インド人は意見が異なると行動も別行動をとる。
また、英国人は一人の死を無駄にしないで、後に10人が続くが、インド人の英雄的な行動は単発的に終わる。
情熱と冷静な分析、加えて小説よりも奇なエピソード(幼ななじみの男女、ナナ・サイブとラクシュミ・バイが後に革命軍の指導者として立つ)もまじえるなど、これが弱冠24歳の著書かと思われるほどだ。
ところで、セポイの乱をはじめて知ったのは小学生時代、児童向けにアダプトされた『四つの署名』による。わけがわかららないが、とにかく恐ろしい事件、というのがそのとき受けた印象だった。万能のシャーロック・ホームズが安心させてくれた。
そして、本書を読んだのは中学1年生の時。大地にねむる死者をよみがえらせるかのような格調高い文体が一気に読みとおさせた。
歴史を相対化してみる眼は、たぶん、この時からはじまった、と思う。
□ヴィナヤック・ダモダール・サヴァルカール(鈴木正四訳) 『セポイの乱』(『筑摩ノンフィクション全集第7巻』所収) (筑摩書房、1960)
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