語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『「死への準備」日記』

2010年12月06日 | ノンフィクション
 千葉敦子は、1940年上海生まれのジャーナリストである。
 1981年に乳ガンが発病した。再発をきっかけに、1983年末にニューヨークへ転居。朝日新聞などに寄稿するかたわら、世界の女性の動きを日本に伝える月刊誌を刊行した。1987年7月9日逝去。
 本書は、三度目の発病から死の直前までの8か月間、みずからを日々観察したレポートである。

 声の喪失体験からはじまる。
 友人のシャーリーはいう。「あなたみたいに、いうべきものを持っている人が声を失うなんてね。何もいうべきもの持たない人たちが、いくらでも声が出るというのに」
 「こういう励まし方もあるのだ」・・・・と著者はいうが、励まされる一方ではない。さっそく発声訓練の計画をたてるところに、著者の本領が発揮される。
 すでに自分の病について調べられるだけしらべ、お金に糸目をつけず、治療法について複数の医師に相談する。
 セカンド・オピニオンは、1980年代の日本ではめったに行われなかった。ここにも著者の進取の気象がみてとれる。
 闘病のために蛋白5割増し、カロリー2割増しの食事をつくる。さいわい、料理は好きだ。「自分の好みの料理を用意することが、病人の自立心を維持するために極めて大切だ」
 介護にたよらずに自立した生活をつづける。それは多くの友人たちに支えられた「制限つきの自立」だ、と自覚しつつ。

 せまりくる死。
 しかし、宗教に救いをもとめたりはせず、これまでと同様に、現実の日々のなかでどう生きるかに関心をはらう。それは、仕事であり(本の刊行)、友人たちとの談笑であり(おせちパーティ)、絵画や映画であり(クレー展や「ダウン・バイ・ロー」)、バレエの鑑賞である。
 「私の病気は非常に深刻で、涙にくれている場合ではないのだ」
 レアリストと自称するだけのことはある。反骨精神すら顔をのぞかせる。

 病気で苦しい目にあっているが、それは身体の問題であって、精神にまで及ばないし、身体まで及ぶべきものではない、と著者は考える。
 こうしたデカルト的二元論は、誰しも考えてみることはできる。だが、現にこうむる肉体的苦痛の中で実践することは容易ではない。
 ところが、著者は、イラン・コントラ事件に夢中になっては、「知的興奮が肉体的な苦しさを一時ではあれ忘れさせることは確実だ」

 米国の友人たちのいわゆる分析的、弾力的な精神、粘りづよい闘病は、わが国のガン患者の多くとは、かなりちがう。
 ちがう、どころではない。著者から見ると、日本人はちょっとおかしい。
 学生時代の友人が電話をしてくる。彼は何度も訪米しているのに米国人の友人はいない。5年先のことは「サラリーマンだもの」わからない。何をしたいか「考えてもむだだからな」。今週心躍ることは「うーん、別にないね」
 ガン末期の自分のほうがずっと充実した日々を過ごしている、と千葉敦子はいう。

 本書は、死を目前にした生のあり方のひとつを示すだけではなく、日常のくりかえしになずみがちな私たちに反省をしいる。

□千葉敦子『死への準備日記』(文春文庫、1991)
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