4月1日は「須田国太郎展」の会期の最終日。滑り込みで鑑賞。
須田国太郎は、山陰と縁が浅からぬ画家だ。1928年の山陰旅行に始まり、1930年代の半ばから鳥取、島根、山口にしばしば足を向けた。この展覧会でも鳥取県の田後港や島根県隠岐の風景がが展示されていた。1950年に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)教授に就任したが、1951年に鳥取大学で油彩画の集中講義を行っている。
1950年から2年間続いた山陰旅行は、<須田が暗い色彩からの脱皮をはかろうとした後半の画業の分岐点にも相当する。>【左近充直美「山陰の風景 -「隠国」の世界観-」(『「須田国太郎展 没後50年に顧みる現代絵画のいま」図録』、2012)】
ところで視覚芸術は、例えばアルタミラ洞窟壁画の素朴な線描画から、
例えば、ゴッホの絵画、
例えば、ドーミエの漫画、
例えば、キャパの写真、
例えば、ヴェンダース監督の映画
・・・・を経て、3次元コンピュータグラフィックス(3DCG)に至る長大な歴史をもつ。
その視覚芸術の冒険のなかで、例えば須田国太郎「犬」(1950年)は何処に位置づけられるか。
いや、須田国太郎に限らず、「これは」と思う作品に出会うたびに、そう思う。
視覚芸術に接する体験、その体験を重ねていくとは、アルタミラ洞窟壁画から3DCGまでの歴史を振り返ることでもあるだろう。振り返るといっても、自分が知る(または知らない)歴史をホンの一部埋めていく作業でしかないけれども。
(1)島根県立美術館
島根県松江市袖師町1-5
(2)企画展
「須田国太郎展 没後50年に顧みる現代絵画のいま」
(3)企画展の会期
2013年2月15日(金)~4月1日(月)
(4)企画展の観覧料(コレクション展は別途)
当日:一般 1,000円
(5)注目した作品
(a)鷲(1943年)
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(b)校倉(乙)(1943年)
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(c)犬(1950年)
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(d)断崖と魚夫達(1951年)
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(e)鵜(1952年)
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(f)窪八幡(1955年)
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(6)展覧会評 【坂下芳樹「須田国太郎展 神秘的色彩に宿る強い生命感」】
須田国太郎(1891~1961年)は、日本の近代洋画家としては特異な経歴を持つ。学者として日本独自の油絵を追求し(美術史研究)ながら画家として絵を描いた。初めて個展を開いたのは41歳(遅咲き)。
京都の町中で生まれ育った須田は、京都帝国大学で美学美術史を専攻。それとともに京都の関西美術院で絵画を学んだ。
同大大学院を中退後、渡欧。選んだ留学先は、当時芸術の最先端で多くの画学生が向かったパリではなく、スペインだった。マドリードはプラド美術館の充実したルネサンス期ヴェネツィア派コレクションが目当てだった。
古画を美術館で模写して西洋画の神髄に触れる一方、須田はスペインの風景を精力的に取材。強い西日に照らされたスペインの山並み、その色を反映したあかね色は、須田の描く風景に独自の色彩として定着した。
新たな作風の模索を続ける須田は、戦後、動物などを描いた作品で新境地を見せた。須田の作品で最も親しまれるものの一つ「犬」((5)-(c))は、遠くに家々が立ち並ぶ前に、黒々と大きく犬を描いた。前景に黒いシルエットで配置された動物が、後景を引き立たせる。絵の表面は削ったりひっかいたりされ、複雑なマチエールを見せる。重厚で神秘的な色彩の中に強い生命感を宿した須田の表現の、一つの到達点だ。
須田はあらゆる関係の書物を読み、周到に準備して制作を始めても、大胆に描き直しすることが多々あったらしい。
絵の具を塗り重ねた暗い色調の中に、画家としてまた研究者として、絵と格闘した精神の軌跡がうかがえる。
【参考】
「【旅】エル・グレコから宮永愛子まで」
「【旅】復興を絵画で表現できるか ~平町公の試み~」
「【旅】彫刻の街 ~鑑賞者の存在意義・考~」
「【旅】島根県立美術館 ~震災復興支援特別企画 ふらんす物語~」
「【言葉】手のなかの空/奈良原一高 1954-2004」
「【旅】オーストリア ~グラーツ~」
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須田国太郎は、山陰と縁が浅からぬ画家だ。1928年の山陰旅行に始まり、1930年代の半ばから鳥取、島根、山口にしばしば足を向けた。この展覧会でも鳥取県の田後港や島根県隠岐の風景がが展示されていた。1950年に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)教授に就任したが、1951年に鳥取大学で油彩画の集中講義を行っている。
1950年から2年間続いた山陰旅行は、<須田が暗い色彩からの脱皮をはかろうとした後半の画業の分岐点にも相当する。>【左近充直美「山陰の風景 -「隠国」の世界観-」(『「須田国太郎展 没後50年に顧みる現代絵画のいま」図録』、2012)】
ところで視覚芸術は、例えばアルタミラ洞窟壁画の素朴な線描画から、
例えば、ゴッホの絵画、
例えば、ドーミエの漫画、
例えば、キャパの写真、
例えば、ヴェンダース監督の映画
・・・・を経て、3次元コンピュータグラフィックス(3DCG)に至る長大な歴史をもつ。
その視覚芸術の冒険のなかで、例えば須田国太郎「犬」(1950年)は何処に位置づけられるか。
いや、須田国太郎に限らず、「これは」と思う作品に出会うたびに、そう思う。
視覚芸術に接する体験、その体験を重ねていくとは、アルタミラ洞窟壁画から3DCGまでの歴史を振り返ることでもあるだろう。振り返るといっても、自分が知る(または知らない)歴史をホンの一部埋めていく作業でしかないけれども。
(1)島根県立美術館
島根県松江市袖師町1-5
(2)企画展
「須田国太郎展 没後50年に顧みる現代絵画のいま」
(3)企画展の会期
2013年2月15日(金)~4月1日(月)
(4)企画展の観覧料(コレクション展は別途)
当日:一般 1,000円
(5)注目した作品
(a)鷲(1943年)
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(b)校倉(乙)(1943年)
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(c)犬(1950年)
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(d)断崖と魚夫達(1951年)
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(e)鵜(1952年)
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(f)窪八幡(1955年)
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(6)展覧会評 【坂下芳樹「須田国太郎展 神秘的色彩に宿る強い生命感」】
須田国太郎(1891~1961年)は、日本の近代洋画家としては特異な経歴を持つ。学者として日本独自の油絵を追求し(美術史研究)ながら画家として絵を描いた。初めて個展を開いたのは41歳(遅咲き)。
京都の町中で生まれ育った須田は、京都帝国大学で美学美術史を専攻。それとともに京都の関西美術院で絵画を学んだ。
同大大学院を中退後、渡欧。選んだ留学先は、当時芸術の最先端で多くの画学生が向かったパリではなく、スペインだった。マドリードはプラド美術館の充実したルネサンス期ヴェネツィア派コレクションが目当てだった。
古画を美術館で模写して西洋画の神髄に触れる一方、須田はスペインの風景を精力的に取材。強い西日に照らされたスペインの山並み、その色を反映したあかね色は、須田の描く風景に独自の色彩として定着した。
新たな作風の模索を続ける須田は、戦後、動物などを描いた作品で新境地を見せた。須田の作品で最も親しまれるものの一つ「犬」((5)-(c))は、遠くに家々が立ち並ぶ前に、黒々と大きく犬を描いた。前景に黒いシルエットで配置された動物が、後景を引き立たせる。絵の表面は削ったりひっかいたりされ、複雑なマチエールを見せる。重厚で神秘的な色彩の中に強い生命感を宿した須田の表現の、一つの到達点だ。
須田はあらゆる関係の書物を読み、周到に準備して制作を始めても、大胆に描き直しすることが多々あったらしい。
絵の具を塗り重ねた暗い色調の中に、画家としてまた研究者として、絵と格闘した精神の軌跡がうかがえる。
【参考】
「【旅】エル・グレコから宮永愛子まで」
「【旅】復興を絵画で表現できるか ~平町公の試み~」
「【旅】彫刻の街 ~鑑賞者の存在意義・考~」
「【旅】島根県立美術館 ~震災復興支援特別企画 ふらんす物語~」
「【言葉】手のなかの空/奈良原一高 1954-2004」
「【旅】オーストリア ~グラーツ~」
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