(1)2017年2月、北朝鮮がらみの二つの国際的事件が起きた。
(a)13日午前9時ごろ、クアラルンプール国際空港(マレーシア)で金正恩・朝鮮労働党委員長(北朝鮮)の異母兄、金正男(45)が殺害された。
(b)その前日の12日、北朝鮮は、2017年になって初めて新型の中距離弾道ミサイル「北極星2号」を発射した。この発射は、安倍晋三・首相とドナルド・トランプ米大統領との“蜜月会談”の最中だった。
(2)(1)-(a)について、北朝鮮が国外で想像を絶する犯罪行為に手を染めるのは、今回が初めてではない。
(a)多くの日本人が拉致された事件。
(b)1983年10月、ビルマ(現・ミャンマー)のラングーン爆破テロ事件。全斗煥・大統領(当時)は乗った車の到着が遅れ難を逃れたが、副首相、外相ら21人が爆死した。
(c)1987年11月、アラブ首長国連邦のアブダビ発ソウル行きの大韓航空機が爆破され、乗客乗員115人が死亡した爆破事件。親子を装った男女の北朝鮮工作員が時限爆弾を仕掛けた。男は服毒自殺、女は一命を取り留めて身柄を拘束された。その彼女(金賢姫)が後に、日本人拉致被害者の田口八重子から日本語などを教わっていたことを語った。
(3)(2)の標的は韓国だったが、今回の金正男殺害は全く次元を異にする。金正恩の独裁体制確立という個人的な思いに動機があるように見えるからだ。 金正恩は既に義理の叔父で、政権ナンバー2だった張成沢(チャンソンテク)を処刑しており、「血の粛清」は行き着くところまで行った。
金正恩の正当性の根拠は血統しかない。同じ血統を有する金正男は潜在的な脅威だったのだろう。
(4)(1)-(b)について、金正恩のしたたかな計算が働いていると見る専門家が多い。それはなぜこのタイミングかという点だ。国際社会に生じた“空白の一日”の隙を突いたタイミングで国内外に核開発に向けた強い意志をアピールした。
①韓国は、政治空白。
②米国は、トランプ新政権が陣容が固まらず北朝鮮には手が回らない。
③日韓は、元慰安婦問題をめぐる少女像問題で日本政府が駐韓大使を帰国させたまま。
④中国は、秋の共産党大会での人事をめぐる国内政治に目が向く。
(5)(4)は外交戦略として理解できるが、分からないのは(1)-(a)と(1)-(b)との関係だ。これについて、日本政府内には二つの見方がある。
(a)ミサイル発射をきっかけに中韓関係に何らかの動きがあり、それを契機に金正男殺害を実行した。中国が北朝鮮に対して何か強く言ってきて、身の危険を感じた金正恩が中国の手にあった「金正男カード」をなきものにした。国連制裁による北朝鮮のダメージは限定的だ。中国の北朝鮮への石炭輸出はほとんど減っていない。北朝鮮が核・ミサイルの開発に邁進できる裏には中国の“甘い対応”があった。中国からすれば北朝鮮は在韓米軍との緩衝地帯で、気に入らなくてもつぶせない。石炭に限らず抜け道はいくらでもある。しかし、さすがの中国も高性能な新型ミサイルの発射に堪忍袋の緒が切れて北朝鮮に圧力を強めてきたのが、今回の金正男殺害につながったというわけだ。
(b)ミサイルと殺害は無関係という見方も根強く存在する。ミサイル発射は日米首脳会談を牽制するのが狙い。そのためには会談中の12日にやらざるを得なかった。その一方で金正恩政権としては、金正日生誕75周年の記念日(2月16日)までには後継者問題で最終的な決着を図っておく必要があり、たまたま金正男が中国の監視が届きにくいマレーシアに入国した機会が狙われた。中国は間違いなく金正恩を持て余している印象だが、だからといって北朝鮮の混乱、朝鮮半島情勢の流動化を望むはずはない。中国にとって金正男は外交カードの一枚であったことは間違いないが、それほど大きな意味を持っていない。中国が動かなければ、この殺害事件はこのまま何もなかったように歴史のふちに消えていくのではないか。
□後藤謙次「日本政府内に異なる二つの見方 北朝鮮、金正男氏殺害の深層 ~永田町ライブ!No.328」(「週刊ダイヤモンド」2017年2月25日号)
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【後藤謙次】政府与党内の二つの見方 ~北方領土交渉は頓挫?~」
「【後藤謙次】トランプの地滑り的勝利で始まった未知なる対米外交」
「【後藤謙次】築地市場の移転延期の決断が小池都知事の手足を縛るリスク」
「【後藤謙次】幹事長の入院が人事に波及、「ポスト安倍」めぐり早くも火花」
「【後藤謙次】参院選大勝も激戦12県で大敗 ~劣る「勝利の質」~」
「【後藤謙次】都知事選で与党分裂の理由 ~自民党内の反安倍勢力~」
「【後藤謙次】日本が直面する「ABCリスク」 ~英EU離脱で顕在化~」
「【後藤謙次】甘利大臣辞任をめぐる二つのなぜ ~後任人事と直後のマイナス金利~」
「【政治】不可解な時期に石破派が発足 ~その行方は内閣改造で~」
「【政治】震災後2度目の統一地方選 ~異例なほど注力する自民党本部~」
「【政治】安倍が描いた解散戦略の全内幕 ~周到な準備~」
「【政治】安部政権の危機管理能力の低さ ~土砂災害・火山噴火~」
「【政治】「地方創生」が実現する条件 ~石破-河村ラインの役割分担~」
「【政治】露骨な安倍政権へのすり寄り ~経団連が献金再開~」
「【政治】石原発言から透ける政権の慢心 ~制止役不在の危うさ~」
「【原発】政権の最優先課題 ~汚染水と廃炉作業~」
「【政治】「新党」結成目前の小沢一郎の前にたちはだかる難問」
「【政治】小沢一郎、妻からの「離縁状」の波紋 ~古い自民党の復活~」
「【政治】国会議員はヤジの質も落ちた」
(a)13日午前9時ごろ、クアラルンプール国際空港(マレーシア)で金正恩・朝鮮労働党委員長(北朝鮮)の異母兄、金正男(45)が殺害された。
(b)その前日の12日、北朝鮮は、2017年になって初めて新型の中距離弾道ミサイル「北極星2号」を発射した。この発射は、安倍晋三・首相とドナルド・トランプ米大統領との“蜜月会談”の最中だった。
(2)(1)-(a)について、北朝鮮が国外で想像を絶する犯罪行為に手を染めるのは、今回が初めてではない。
(a)多くの日本人が拉致された事件。
(b)1983年10月、ビルマ(現・ミャンマー)のラングーン爆破テロ事件。全斗煥・大統領(当時)は乗った車の到着が遅れ難を逃れたが、副首相、外相ら21人が爆死した。
(c)1987年11月、アラブ首長国連邦のアブダビ発ソウル行きの大韓航空機が爆破され、乗客乗員115人が死亡した爆破事件。親子を装った男女の北朝鮮工作員が時限爆弾を仕掛けた。男は服毒自殺、女は一命を取り留めて身柄を拘束された。その彼女(金賢姫)が後に、日本人拉致被害者の田口八重子から日本語などを教わっていたことを語った。
(3)(2)の標的は韓国だったが、今回の金正男殺害は全く次元を異にする。金正恩の独裁体制確立という個人的な思いに動機があるように見えるからだ。 金正恩は既に義理の叔父で、政権ナンバー2だった張成沢(チャンソンテク)を処刑しており、「血の粛清」は行き着くところまで行った。
金正恩の正当性の根拠は血統しかない。同じ血統を有する金正男は潜在的な脅威だったのだろう。
(4)(1)-(b)について、金正恩のしたたかな計算が働いていると見る専門家が多い。それはなぜこのタイミングかという点だ。国際社会に生じた“空白の一日”の隙を突いたタイミングで国内外に核開発に向けた強い意志をアピールした。
①韓国は、政治空白。
②米国は、トランプ新政権が陣容が固まらず北朝鮮には手が回らない。
③日韓は、元慰安婦問題をめぐる少女像問題で日本政府が駐韓大使を帰国させたまま。
④中国は、秋の共産党大会での人事をめぐる国内政治に目が向く。
(5)(4)は外交戦略として理解できるが、分からないのは(1)-(a)と(1)-(b)との関係だ。これについて、日本政府内には二つの見方がある。
(a)ミサイル発射をきっかけに中韓関係に何らかの動きがあり、それを契機に金正男殺害を実行した。中国が北朝鮮に対して何か強く言ってきて、身の危険を感じた金正恩が中国の手にあった「金正男カード」をなきものにした。国連制裁による北朝鮮のダメージは限定的だ。中国の北朝鮮への石炭輸出はほとんど減っていない。北朝鮮が核・ミサイルの開発に邁進できる裏には中国の“甘い対応”があった。中国からすれば北朝鮮は在韓米軍との緩衝地帯で、気に入らなくてもつぶせない。石炭に限らず抜け道はいくらでもある。しかし、さすがの中国も高性能な新型ミサイルの発射に堪忍袋の緒が切れて北朝鮮に圧力を強めてきたのが、今回の金正男殺害につながったというわけだ。
(b)ミサイルと殺害は無関係という見方も根強く存在する。ミサイル発射は日米首脳会談を牽制するのが狙い。そのためには会談中の12日にやらざるを得なかった。その一方で金正恩政権としては、金正日生誕75周年の記念日(2月16日)までには後継者問題で最終的な決着を図っておく必要があり、たまたま金正男が中国の監視が届きにくいマレーシアに入国した機会が狙われた。中国は間違いなく金正恩を持て余している印象だが、だからといって北朝鮮の混乱、朝鮮半島情勢の流動化を望むはずはない。中国にとって金正男は外交カードの一枚であったことは間違いないが、それほど大きな意味を持っていない。中国が動かなければ、この殺害事件はこのまま何もなかったように歴史のふちに消えていくのではないか。
□後藤謙次「日本政府内に異なる二つの見方 北朝鮮、金正男氏殺害の深層 ~永田町ライブ!No.328」(「週刊ダイヤモンド」2017年2月25日号)
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【参考】
「【後藤謙次】政府与党内の二つの見方 ~北方領土交渉は頓挫?~」
「【後藤謙次】トランプの地滑り的勝利で始まった未知なる対米外交」
「【後藤謙次】築地市場の移転延期の決断が小池都知事の手足を縛るリスク」
「【後藤謙次】幹事長の入院が人事に波及、「ポスト安倍」めぐり早くも火花」
「【後藤謙次】参院選大勝も激戦12県で大敗 ~劣る「勝利の質」~」
「【後藤謙次】都知事選で与党分裂の理由 ~自民党内の反安倍勢力~」
「【後藤謙次】日本が直面する「ABCリスク」 ~英EU離脱で顕在化~」
「【後藤謙次】甘利大臣辞任をめぐる二つのなぜ ~後任人事と直後のマイナス金利~」
「【政治】不可解な時期に石破派が発足 ~その行方は内閣改造で~」
「【政治】震災後2度目の統一地方選 ~異例なほど注力する自民党本部~」
「【政治】安倍が描いた解散戦略の全内幕 ~周到な準備~」
「【政治】安部政権の危機管理能力の低さ ~土砂災害・火山噴火~」
「【政治】「地方創生」が実現する条件 ~石破-河村ラインの役割分担~」
「【政治】露骨な安倍政権へのすり寄り ~経団連が献金再開~」
「【政治】石原発言から透ける政権の慢心 ~制止役不在の危うさ~」
「【原発】政権の最優先課題 ~汚染水と廃炉作業~」
「【政治】「新党」結成目前の小沢一郎の前にたちはだかる難問」
「【政治】小沢一郎、妻からの「離縁状」の波紋 ~古い自民党の復活~」
「【政治】国会議員はヤジの質も落ちた」