語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『反逆者たち 時代を変えた10人の日本人』

2010年11月15日 | ノンフィクション
 本書は、人生の選択肢は恭順と反逆の二つしかない、という観点から、反逆者を江戸時代から昭和期までの日本史から10人拾い出し、その時代背景と彼らの心情の解析を試みている。
 しかし、時代背景の解析は、成功しているとは言いがたい。そもそも時代はごくあっさりと言及されるだけだし、それも常識的な知見によりかかっている。
 つまり、力点は反逆者たちの心情の解析に置かれているのだが、これも解析というよりは著者の思い入れの吐露と呼んだほうがよい。この点、「2 道義を貫いた革命家・宮崎滔天」において顕著である。
 要するに、本書は、著者が幾度か参考文献として引く『歴史読本』ふうの読みものである。そう割りきって読めば、反逆というキーワードによって拾い出された人物小伝を楽しむことができるだろう。
 10人の反逆の対象は、それぞれ異なる。たとえば、石原莞爾は旧陸軍内部で「国際協調の秩序に最初に反旗を翻し」、出口王三郎は軍国主義に逆らい、田中正造は古河鉱業とそれを支援する中央集権国家に抵抗する。
 ただし、何に対して反逆したと著者が見ているのか、よくわからないケースもある。大石内蔵助がそれだ。幕藩体制に対してか? しかし、「幕府内部の無言の支援を背景に決起」したと書かれている。吉良上野介か? だが、仇討ちは私闘であり、反逆とは異なる。赤穂藩を見捨てた浅野本家か? いや、これは筋違いというものだ。
 せっかく人生の選択肢を順逆に二分して歴史を一刀両断しながら、曖昧な点が残る。

□保阪正康『反逆者たち 時代を変えた10人の日本人』(TBSブリタニカ、2000)
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書評:『神の小さな土地』

2010年11月14日 | 社会
 日本各地12か所をたずね歩いたルポタージュである。北は北海道・奥尻島から南は宮崎県・椎葉村まで。間に佐渡もあれば、飛騨古川もある。地域的なかたよりはない。すなわち、探訪先の選定は地理学的な基準によらず、「現代というお決まりの時間的規範から、少しでも遠くにある土地」という社会学的な基準による。訪れた土地は総じて過疎化が進行しているが、同時に「反時代的」な「人の心を奮いたたせるような動き」を見せる土地でもあった。「”量より質”また”速さよりも結果としての中身”といった、今日では忘れ去られてしまった価値」との再会である。
 たとえば、宮城県北上町。東北一の大河、北上川が太平洋に流れ入る河口の町である。シラウオやシジミを産する。豊かな水産資源は、広大な葦原がはぐくむ。葦が屋根にのると、茅と呼ばれる。枯れ葦は燃やされるだけだが、町内に三店残る茅葺き専門業者が資源の活用に取り組む。文化財の復元作業のため全国各地へ出かけ、また新しい活用法を探るのだ。あるいは、新館は木造りに徹した湯治場があり、不登校やいじめで苦しんだ生徒が集まりだした県立飯野川高校の分校、十三浜校もある。大河と共生する人間のうちに伝統が生き、しかも新らたな試みが芽生えている。
 本書は、雑誌に連載した記事がもとになっているから、各編が等量である。読みやすい反面、さらなる掘り下げを期待したい箇所もある。たとえば、水俣病で知られる熊本県水俣市の再生譚は、一冊の本に展開してほしい。
 ザ田舎(ド田舎とは言うまい)を見直すきっかけとなる一冊である。それは、日本を見直すことをも意味する。

□飯田辰彦『神の小さな土地』(河出書房新社、2000)
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【読書余滴】本をタダで入手する法、E・S・ガードナー、プライベート・バンク

2010年11月13日 | ミステリー・SF
 毎年11月に、わが市では2日間にわたって「本の市」が開催される。
 場所は、地元の図書館。図書館の廃棄本を放出するのだ。市民も不用な本を持ち寄る。
 会議室にズラリと並べられた本は、どれでも持ち帰ってよい。ご親切なことに、段ボール箱やセカンドハンドの紙袋は、主催者が提供してくれる。
 ふだん静かな図書館の会議室は、このときばかりは押すな、押すなの盛況だ。芋を洗うがごとき、という形容がふさわしい。
 土曜日なのだが、ネクタイの紳士もチラホラと。
 若い主婦らしきは、絵本や児童向けの本を熱心に漁る。
 若い女性がけっこういる。窓際のパイプ椅子にすわって、秋の日差しをあびながら読みつづける佳人もいる。絵になる光景だ。
 おじーさん、おばーさんはもっと多い。持てるの? と心配になるくらい、壁際で紙袋に詰めこんでいる。だいじょうぶ、持てるのだ。両手にいっぱい本を抱えて帰路につく。

 図書館は、あまり大きくない。開架式書架は1階だけだ。閉架式書架をふくめて蔵書できる数は限られている。市議会で問題になっているが、抜本的な対策はまだ講じられていない。
 だから、惜しい本が廃棄される。たとえば、中央公論社の世界の名著。あるいは、筑摩書房の現代日本文學体系。こうした全集こそ、図書館に末永く備えておくべきではあるまいか。

   *

 昨年は、動物行動学を何冊か拾いあげたが、今年は食指の動くものは余りなく、天沢退二郎の一巻くらいだった。
 ミステリーに掘り出し物があった。図書館の蔵書印のないハヤカワ・ポケット・ミステリーが、ごっそり持ちこまれていた。E・S・ガードナーが20冊余り。3分の1は、A・A・フェア名義のバーサ・クール&ドナルド・ラム・シリーズだ。

 ガードナーの著作は、長編140冊、短編450編以上。長編の内訳は、メイスン・シリーズ80冊、クール&ラム・シリーズ29冊、検事ダグラス・セルビー・シリーズ9冊、その他のミステリー8冊、ノンフィクション14冊である。長編は1933年の『ビロードの爪』以降だから、1970年に逝去するまで37年間に年間平均3.8冊を書いたわけだ。
 ペリー・メイスン・シリーズは、初期に佳作が多い。メイスン・シリーズはスピーディなテンポが身上である。スピーディなテンポは、登場人物の社会的機能に焦点をあてることで生じる(メイスンの場合は弁護士という社会的機能)。登場人物の速度ある動き、明快さ、筋・人物像・題名のパターン化・・・・ガードナーの創作テクニックは、ひとたび確立された後、生涯変わらなかった。「推理小説界のヘンリー・フォード」というガードナー評は、量産そのものについて言われたのだろうが、量産の仕方についてもあてはまる。
 謎解きに主力が置かれて人物像が希薄になるメイスン・シリーズにくらべると、クール&ラム・シリーズは個性が強く打ちだされている。だが、両シリーズとも、一匹狼の、時には荒っぽい胆力と狡猾なまでの知恵だけを武器に、公権力や金力と対峙する点で共通する。
 さわれ、さわれ、去年の雪、いま何処。米国のハードボイルドは、いま何処。

   *

 11月13日付け朝日新聞によれば、2008年に死去した冲永荘一・帝京大元総長が15億円分の金融資産をリヒテンシュタインの銀行に残していたことが判明し、次男の冲永佳史学長らが過少申告加算税を含めて4億円を追徴課税された。
 リヒテンシュタインは、タックスヘイブンの一つ。くだんの銀行は、プライベート・バンクだろう。
 野地秩嘉『スイス銀行体験記 -資産運用の達人 プライベート・バンクのすべて-』(ダイヤモンド社、2003)が「本の市」にまざっていた。

 プライベート・バンクは、裕福な個人客を対象に資産の管理をする金融機関である。大きく分けて二つの役割がある。第一、カストディ(custody)と呼ばれる資産の管理。第二、運用に係る相談業務。業務に対する報酬は、手数料である。その特徴は、5つある。
 (1)個人資産家の財産の長期的な管理・運用に特化した金融機関である。
 (2)複数の国に支店を置く。国家が滅びるリスクも想定しているのである。
 (3)系列金融機関の金融商品を押し売りしない。日本のプライベート・バンク・サービス(部)とは、異なるのである。
 (4)簡単に取引できない。客の身元は厳しくチェックされる。
 (5)客の秘密は厳守される。

 (1)について補足すると、プライベート・バンクは戦乱の17世紀にスイスで生まれた。長期的に安全に資産を守ることを目的として。だから、おカネの貯蔵所であって、それ以上のことはしない。商業銀行とは異なるのである。もっとも、付随するサービスが多々あり、ことにスイスの寄宿学校に留学させるとき威力を発揮する。
 世界各国からカネが集まれば、株式や債券の情報も集まる。スイスの金融機関は、世界のビジネスに投資するようになった。国際的な投資だが、シンプルなものだった。ちなみに、運用はプライベート・バンク名義で行う(金利が優遇されるし、匿名性が保たれる)。
 プライベート・バンクの投資、運用のしかたが変わったのは、1980年代後半からだ。当時、米国は大不況だった。銀行や証券会社をリストラされた従業員が多数いて、彼らは自分で仕事を作るしかなかった。新しくできた仕事が投資顧問業(インベスト・アドバイザー)だ。顧客の相談にのりながら、新しい金融商品を開発する仕事である。それまで、スイスのプライベート・バンクと英国のマーチャント・バンクを除けば、個人資産の運用アドバイスを行う産業はなかった。スイスのプライベート・バンクは、米国のファイナンシャル・アドバイザーと組むことで、運用能力を高めた。スイスのプライベート・バンクは変わった。
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【読書余滴】官僚により改竄された報告書 ~『漂流するトルコ』補遺~

2010年11月12日 | 社会
 「トルコと諸外国の言語観の違い及びクルド諸語に関する報告書」・・・・
 これを著者は、前述のプランに基づきフランス語で書き下ろした。原稿完成の時期は本書に明記されていないが、依頼の数ヶ月後、1999年6月13日以前のことである。
 トルコ人翻訳者によるトルコ語訳は、8月までに一応完成したらしい。
 その仮訳を著者が校正し、併せて推敲を加える。これをまたトルコ語訳する。こうした作業は順調に進んだ。
 11月12日、報告書にもう1章追加してくれ、という要請が入った。クルド諸語のうちトルコ国内に語域のあるクレマンチュ語に関してもっと詳しく書いてほしい・・・・。
 追記し、訳し、また練りなおす。作業は何ヶ月もかかった。

 ラズ語域を旅行中、2000年7月31日付けファックスが届いた。一瞥し、著者は憤激した。報告書が改竄されていたのである。
 帰仏後、同年8月10日付けファックスで、著者はトルコ総理府出版管理局に抗議した。翻訳は全面的にやり直せ・・・・。

 改竄したのはギュンディズ・アクタンだ、と著者は断定する。
 彼は、当時トルコ語への翻訳と出版を行う機関の長だった。著者は後になって知るのだが、この人物はトルコ国内の少数民族の言語と文化を抹殺することに情熱を抱いている人なのであった。ギュンディズ・アクタンは、2007年、トルコ上院議員に当選する。所属政党はMHP、極右の国粋主義政党であった。

 ところで、報告書全6章の各章の概要は、次のようなものだ。
 なるほど、たしかに「極右の国粋主義者」なら横から口を出したくなる内容である。

(1)何故この報告書をトルコ語で書き下ろさないのか
 音声学や言語学の基本的な概念・・・・母音、子音、有声音、無声音、有声音の無声化、祖語、母言語、言語、方言などを表すトルコ語の語彙は、現状では不備である。
 フランス語で執筆する。これをトルコ語に、説明的に訳してもらう。
 なお、言語は、トルコの学校で教えているような「共通の祖語から木の枝のように分かれていくもの」だけではない。随時近隣の同源・非同源の複数の言語から語彙や表現を取り入れながら、重層的に進化してくものである。

(2)ウラル・アルタイ語族神話
 「ウラル・アルタイ語族に属する」とトルコの学校で教えている幾つかの言語の基礎語彙を比較してみると、この作業仮説には「そもそも仮説を立てる根拠がない」ことが判明する。
 未証明の作業仮説をあたかも証明済みであるかのように引用したり、教えたりしてはならない。

(3)方言連続体
 言語はすべて方言であり、方言はすべて言語である。換言すれば、言語と方言の間に明確な境界はない。
 まして、「公用語」や「標準語」だけが「言語」なのではない。
 なお、複数の「公用語」が同一の方言連続体に属している例が多数ある。

(4)トルコ人のすべてが中央アジア出身ではない
 トルコ国民の大多数は、アナトリアの先住民の子孫である。トルコの学校で教えていることとは逆に。

(5)多民族共和国
 トルコは、多言語・多民族国家である。このことは、周知のことだ。
 よって、「トルコにトルコ語以外の言語は存在しない」とするトルコの言語政策は、当然ながら、国外から「正気の沙汰ではない」と見られている。

(6)クルド語とザザ語
 ザザ語は、クルド諸語のうちに入らない。
 クルド人の主張している「大クルディスタン」は、幻想である。このことは、ザザ語をクルマンチュ語と同時に「自由化」すれば、クルド人にもよくわかるだろう。

【参考】小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010)
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【読書余滴】世界の常識に反するトルコの政策 ~『漂流するトルコ』補遺~

2010年11月11日 | 社会
 1999年2月、トルコの総理府出版管理局長から、新しい報告書作成の依頼が入った。
 著者は、次のような内容を盛りこんだプランをたてた。

(1)「方言」の定義
 「方言」と「言語」の区別は、言語学上のものではなく、政治的・社会的なものである。
 中央アジアのカザフ語、ウズベク語などは「トルコ語と同起源の別言語と見なすのが世界の常識である。これらを「トルコの方言」と呼んでいるのは、トルコ共和国(及び北キプロス・トルコ共和国)のみである。

(2)「トルコ語」の定義
 トルコ以外の国の言語学者は、起源を同じくするトルコ語、アゼリー語、トルクメン語、ウズベク語、カザフ語、ヤクート語などの諸言語の総称として、他と紛れることのない用語を使う。英語にはターキック、ロシア語にはテュルクスキー、日本語にはチュルク諸語という専門用語がある。
 他方、「トルコ語」を意味する英語にはターキッシュ、ロシア語にはトゥリエッキー、日本語にはトルコ語がある。専門用語とは別語である。混同は生じない。
 しかるに、トルコ語では、テュルクの一語を「トルコ語」と「チュルク諸語」の両義に用いている。二つを区別する新しい用語を早急に造りだす必要がある。

(3)ウラル・アルタイ語族説
 「ウラル・アルタイ語族説」は、まだ証明されていない作業仮説である。ただし、「ウラル」の部分に相当する「フィン・ウゴル語族」(または「ウゴル語族」)は証明できている。
 しかるに、トルコの「言語学者」たちは、「ウラル・アルタイ語族」という用語を証明済みであるかのように使っている。しかも、この語族に朝鮮語や日本語を含めている。

(4)「クルド語」
 トルコ共和国以外の国では、クルド諸語(=クルマンチュ語、ソーラーン語など)は印欧語(インド・ヨーロッパ語族に属する言語)であるとする。
 しかるに、つい最近まで、トルコ共和国では「クルド語という言語は存在しない」とされてきた。トルコの「言語学者」は、この主張が虚偽であることを知りつつ、クルド語が「トルコ語にアラブ語とペルシャ語の語彙が多数入ったもの」と主張してきた。
 かくて、トルコ言語学は存在しない、というのが世界の常識となった。
 著者は、「ザザ語はクルド語の方言ではない」ことをさまざまな機会に発表してきた。同じことをトルコ国民が言う場合より日本人が言うほうがはるかに信頼性が高い。滑稽で奇妙な事態だ。かかる事態をもたらした元凶は、「トルコ共和国は多言語・他民族国家である」ことを認めようとしなかったトルコ政府歴代の政策である。

【参考】小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010)
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【中東】「何カ国語ぐらい話せますか」の無邪気な問いには困る ~『漂流するトルコ』補遺~

2010年11月10日 | 社会
 『漂流するトルコ』には、言語や民族をテーマとするコラムが数編載っている。
 その一つが、「何カ国語ぐらい話せますか」。
 これまた『漂流するトルコ』の著者らしい視角から斬りこんでいる。ことに2-(5)は、トルコで難儀した著者の体験が色濃く反映されている、と思う。翻って、日本人とは何かを再考するキッカケにもなる。以下、要旨。 

1 言語と国
 言語と国の数は、一致しない。
 また、言語の分布は、通常、国境とも重ならない。
 スペイン語を公用語としている国は、21カ国ある。独立国ではないが、プエルトリコも国のうちに数えれば22カ国になる。「スペイン語だけが話せる人」は、22カ国語を話せる、と言えるのか。
 アイヌ語と日本語が話せる人は、アイヌ語が日本の「国語」になっていないから、1カ国語しか話せないことになるのか。
 要するに、何カ国語という数え方は無意味であり、答えようがない。
 ところで、日本のテレビには、時々「2カ国語放送」という文字が流れる。なぜ、○○語と○○語の2言語放送と呼ばないのだろうか。

2 「いくつの言語が話せますか」の問いにも困る
 「いくつの言語が話せますか」と問い直されても、答えかねる。理由は幾つもある。
(1)「同系統の異言語」と「一言語の諸方言」を区別する客観的な基準はない。よって、「言語の数」は数え方次第である。
 たとえば、マケドニア語とブルガリア語、あるいはチェコ語とスロバキア語は、2つの異言語と数えられるが、お互いに難なく通じてしまうくらい近縁関係にある。
 他方、鹿児島弁と津軽弁は互いに一言も通じない。どちらも日本語の方言と見なすのは、政治的分類である。

(2)どのくらい話せれば「話せる」ことになるか。これを決める客観的な基準がない。

(3)ある言語を苦労せずに話せるレベルに達した。その言語を誰とも話す機会がないまま何年もたってしまった。またその言語を話す人と会った。・・・・こんなとき、相手の言うことはすべて理解できるのに、自分の口からは初めのうちは言葉が訥々としか出てこないことがある。

(4)話せる言語の数が質問者の想定している上限を桁違いに超えていると、ほら吹き、嘘つき扱いにされることがある。

(5)特定の言語を「言語として認めない」国家や団体がある。相手が何者であるかを見きわめないうちに不用意な答え方をすると、リンチされたり、投獄されたり、拷問されたり、暗殺されたりすることがある。

□小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010)
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書評:小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』

2010年11月09日 | 社会
 前書『トルコのもう一つの顔』(中公新書、1991)は好評で、続編を望む読者の声は多かったらしい。
 たしかに、おもしろい。イスタンブールやトプカプ宮殿ではないトルコ、奥地の少数民族の中へ単身、徒手空拳で潜りこむのだから。
 いや、面白いなどというと不謹慎だ。暗澹たる内幕・・・・少数民族、少数言語に対する国家の弾圧が容赦なく剔抉されているのだから。
 にもかかわらず、やはり面白い、とくり返さねばならない。読者をして巻頭から巻末まで一気読みさせる力が漲っているのだ。20年前に刊行された本だが、今読んでも同じことが言える。
 一つには、若さの力がある。著者は1946年生まれ。22歳からフランスに拠点をおき、24歳から十数年間にわたって1年間の半分をトルコで過ごした。表むきは観光だが、トルコ語ではない少数言語・・・・当時のトルコでは表向きは存在しないことになっていた言語と少数民族をひそかに調べてまわるのだ。それは、単なる調査で終わっていない。一方では官憲との綱引きがあり、最後は国外退去となる。他方では住民とのこまやかな交情があり、それは20年の歳月を飛び越えて、今も生き続けてくるほどの濃さだった。
 本書『漂流するトルコ』に印象的な場面がある。
 マルマラ海の近く、イズニク湖の西のほとりの町、オルハン・ガーズィで見覚えのある貌に出くわす。彼から話しかけてきた。20年前に泊まった宿屋の子どもだった。貌に見覚えがあったのも当然、宿の亭主そっくりに成長していたのだ。彼は当時のことを昨日のように記憶ししていて、著者がたわむれに折ってみせた折り紙を大事に保存している、という。お願いが一つある、この紙で何か折ってほしい、今度は私の息子のために。・・・・「お安い御用、引き受けてこれほど嬉しい頼まれごとは滅多にない」

 本書は、副題にあるように、『トルコのもう一つの顔』の後日譚を記す。
 その後の20年間の体験は、よいことばかりではなかった。
 たとえば、トルコで拷問を受けたクルド人の難民認定に尽力するのだが、結果として裏切られる。
 あるいは、トルコ外務省に提出した調査報告書が官僚によって改竄される。情報操作された文書が世に出て、悪評をこうむる。
 そして、トルコの少数民族ラズ人みずから編纂する文法書刊行に協力すると、ラズ人共著者の背信行為によって学者としての名を汚される。
 
 著者は、その経歴を詳らかにしないが、哲学から入って言語学、民族学に向かったらしい。ストラスブール大学で博士号をとり、大学の教員になった。
 一文にもならない(とラズ人自らいう)ラズ語を研究したのはなぜか。トルコの情報収集官の問いは、読者の疑問でもあるだろう。著者はつぎのように答える。
 「言語学を知らない人に言語の臨地調査の意義を説明するのに一番分かりやすい方法は、植物学に譬えることなんです。(中略)植物学では、すべての植物に関する知識が必要です。だからありとあらゆる植物を研究します。基礎研究の対象としては、すべての植物が等価です。一部の植物は食用、薬用、建築用、燃料用などの役に立ちますが、一見何の役にも立たないような植物であっても、研究しない理由にはなりません。それと同じで、言語学の基礎研究の対象としては、すべての言語が等価です。言語学者は、ありとあらゆる言語を研究します。一部の言語が話者数も少なく政治的にも弱小で経済的にも何の役に立たないように見えたとしても、その言語を研究しないで放置する理由にはなりません。すべての言語に関する知識が必要なのです」
 しかし、この回答は、ラズ語をも研究する理由は示していても、数ある少数言語のうちラズ語をあえて選んだ動機は述べていない。
 著者がここで述べていない動機は、本書の他の箇所及び前書から推察するしかない。それは、少なくとも有力な動機の一部は、前書の最初の章のタイトルになった「トルコ人の親切」だろう、と思う。

 前書にくらべて言語学に言及することの多い本書だが、そして政治や国民性に悩まされた体験を縷々とつづるが、本書が語るのは結局のところトルコの魅力である。
 そして、言語学者として政治的に中立の立場に立ちながら、少数民族の運命を気遣っている。そう、気遣っているのは言語ではなく・・・・いや、それもあるかもしれないが、それ以上に民族であり、かつて出会った個々の人々である。この気遣いを維持し守るために、著者は闘う。前書では抑制されていた忿怒の情が、本書ではもろに噴出する。闘いの飛沫である。この人間くささが、本書の魅力のひとつである。

□小島剛一『漂流するトルコ -続「トルコのもう一つの顔」-』(旅行人、2010.9.)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、法人税率を高くしないで税収を増やす法 ~「超」整理日記No.536~

2010年11月08日 | ●野口悠紀雄
(1)2011年度税制改革の焦点
 焦点は法人税率引き下げである、とされる。法人税実効税率の高さを理由とする。

(2)法人税の実状
 分母に(税務上の利益ではなく)会計上の利益をとると、法人の実際の負担率はせいぜい30%程度にすぎない(「超」整理日記No.530)。
 不況期には企業会計上の利益と税務上の利益の乖離が拡大する(「超」整理日記No.531)。いまの日本ではほとんどの法人が法人税を払っていない。2009年度の黒字法人は、25.5%にすぎない。
 法人税を払っていない企業にとっては、法人税率を下げたところで何の関係もない。

(3)企業が負担する社会保険料の高さ
 法人税の課税所得が赤字であっても、企業会計上も赤字であるわけでは必ずしもない。驚くべし、かかる基本的な事実を認識しない議論が経済政策決定の場で堂々とまかりとおっている。
 法人税は企業の利益に対して課される税なので、企業にとってコストになるわけではない。
 企業にとっての公的負担でもっとも問題なのは、社会保険料の事業主負担である。2010年の「国民負担率」からすると、概ね9%近くが事業主負担だ。法人所得課税の3倍に近い。しかも、利益の有無にかかわらず生じる負担だから、企業のコストを高めることになる。
 「公的負担が企業のコストを高める」と主張したいのであれば、法人税ではなく社会保険料を問題にするべきだ。
 しかも、厚生年金は、基礎年金制度を通じて国民年金の負担の一部を負っている。国民年金保険料の未納が増えると、厚生年金の負担が増える構造になっている。問題視するべきだ(もっとも、企業にも責任はある。企業が非正規雇用を増やした結果、それまでなら厚生年金に加入していたはずの労働者が国民年金の対象とされたのだから)。

(4)法人税改革の方向
 日本の法人所得課税の対GDP比は、1.5%でしかない。英国、伊国、韓国の4割だ。法人負担は高いのではなく、低い。
 こうなるのは、赤字法人が多いからだ。
 1970年代頃まで、赤字法人は全法人の3割程度でしかなかった。1980年代に赤字法人が増えたが、5割程度だった。1970年代になって、7割程度に上昇したのだ。
 つまり、現在の法人税のしくみは、日本企業の利益率低下に適切に対処していない。
 現在の法人税の問題は、負担が全体として重いことではなく、一部の企業に集中してかかる点にある。
 だから、なすべき改革は、税率引き下げではなく、課税ベースの拡大である。たとえば。付加価値は全企業で263兆円程度あるから、これを課税ベースとすれば、5%の税率で13兆円の収入になる。
 利益はかなりの程度操作可能だが、付加価値は操作できない。したがって脱税や節税をしにくい。公平でもあり、経済活動を攪乱することが少ない。
 「広く薄い」課税。これが、来年度予算に係る法人税改革において採るべき方向である。

【参考】野口悠紀雄「法人税引き下げでなく課税ベース拡大が必要 ~「超」整理日記No.536~」(「週刊ダイヤモンド」2010年11月13日号所収)
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書評:『出雲の鷹』 ~支えるに値しない上司をもった部下の運命~  

2010年11月07日 | 小説・戯曲
 「出雲の鷹」は、すなわち山中鹿之助幸盛である。
 戦国時代に尼子氏につかえた武将で、鹿之助は鹿之介とも鹿介とも表記する。

 尼子氏は、出雲守護代となった持久が富田城を根城に、16世紀初頭、出雲を中心とする11か国を支配下においた。
 経久の孫の晴久は、1554年、毛利元就の策謀にはまり、自分で自分の頚をしめた。尼子の精鋭をなす新宮党(一族の国久・誠久)を誅したのだ。
 大内氏及び大内氏と結んだ毛利元就の圧迫を受け、支配圏が漸減した。
 晴久の子義久の代、1566年、富田城は陥ちた。

 鹿之助は、囚われの義久の救出をはかる。しかし、本人に再起の意欲がなく、断念。
 国久の遺児の勝久を擁し、出雲に挙兵。しかし、敗れて京にのがれた。
 織田信長をたより、羽柴秀吉の先陣として播磨上月城に籠もった。
 1578年、毛利氏の大軍に攻囲され、勝久は自決。鹿之助は捕縛され、毛利輝元の下へ護送される途中、殺害された。享年34歳。以後、尼子残党の動きはない。

 本書は、鹿之助の初陣から、その死に至る20年間の光芒を描く。
 「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力試さん」
 鹿之助は月をあおいでこう詠んだ、と伝説は伝える。この歌は本書には引用されていない。ただ、「願わくは我に七難八苦を隆し給え」がバラッドのルフランのようにくり返される。

 げにも苦難の多い、短い人生であった。苦難の最たる理由は、主君に恵まれなかったことだ。
 最初に仕えた晴久は、家臣よりも金銀を愛し、気まぐれで甘言を愛でた。
 その子義久は、「荏苒遊惰にして勇力も亦晴久に及ばず」、女色に溺れ、佞臣の妄言におどらされて人心を失った。
 勝久もまた、謀略にのって忠臣を誅殺している。

 勃興する毛利氏に与したならば、別の人生が開けていたかもしれない。
 権力の移行にあわせて幾たびも主君をとり替えるのは、乱世における常道である。「忠臣は二君に仕えず」の武家倫理は、秩序維持の観点から江戸時代に人為的に創出されたイデオロギーにすぎない。
 しかるに、鹿之助の脳裡には尼子の二字しかなかった。目はしのきかない人物なのであった。
 七難八苦が殺到するのも当然である。自分自身が招き寄せた苦難に同情を寄せるに及ばない。
 突きはなして言えば、そういうことだ。

 にもかかわらず、この特異な人物にはひとの心を惹きつけるものがある。
 設定した目標は、今になってみれば大丈夫が目標とするに値しないものであった。しかし、ひとたび設定した目標を堅持する一貫性、目標達成のために全精力を投入する一途さには惹かれるのである。

 クラウゼヴィッツのいうように、戦さは政治の延長であり、政治は結果がすべてである。
 結果が出なければ、おしなべて歴史の闇の中へ葬り去られる。
 だが、歴史小説という照明弾がうち上げられるとき、闇のうちに忘却された人々がつかの間だけ甦る。
 『出雲の鷹』のように。

□南條範夫『出雲の鷹』(文春文庫、1984)
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【読書余滴】中国人の行動特性、中国ビジネスの落とし穴

2010年11月06日 | 社会
 「週刊東洋経済」特集:世界vs.中国/KY超大国との付き合い方・・・・のうち、中国人の行動特性や中国の独特な(あるいは異様な)システム、そしてビジネス上のトラブルや落とし穴の記事を引く。

1 国民国家ではなくて皇帝システムの国
 インタビュー記事である。インタビュイーは、岡田英弘(東京外語大学名誉教授)および宮脇淳子(東洋史学者)。

 中国人の行動原理は、日本人とはまったく違う。
 たとえば、中国人は「家を出れば周りの人間はすべて敵である」という価値観をもっている。妻にさえ本当のことを告げない。弱みをさらすことになるからだ。
 中国人は、自らの正当性を主張するために、過剰ともいえる行動をとり弁論をふるう。尖閣諸島問題でも、こうした特徴が表れている。
 意見や利害が対立して当たり前だから、個人レベルでも、国家や企業レベルでも、交渉で激しく意見をぶつけてくる。相手から反発がなければ、もっと押してくる。押されて抵抗しなければ、ずるずる後退するだけだ。
 現在の中国を支配する共産党の本質は、国民国家のベールをまとった皇帝システムである。中国の王朝は、人民や土地を直接支配するのではなく、流通システムを握ることで統治してきた。王朝が交替しても、やり方は変わっていない。中国は、古来から総合商社のようなものだった。
 「中国は資本主義を進め、自由主義を受け入れる」と思う人は、歴史を知らない。


2 日本企業が直面する中国ビジネスの落とし穴
 北京在住のライター田中奈美による記事である。

(1)売掛金の未回収
 中国ビジネスの代表的なトラブルだ。契約書で期日を定めても、大概の場合、期日どおりに支払われないことが多い。支払いが遅れるだけならまだしも、未払いのまま相手が逃げてしまうこともある。
 あるコンサルティング会社(上海)の社長は、さらにひどい状況に陥った。本来「優良企業」のはずだった会社を買収後、会社の中国人社長が取引先と組み、回収した売上金を懐に入れていた・・・・らしいことが後でわかった。
 内田が経験した別の買収では、契約期限の切れた2年後、買収先の中国人社長が複数の部下を引き連れて独立し、競合会社を作った。過去の帳簿を調べると、多額の資金が社長の故郷の大手企業に支払われているなど、妙な点がいくつもある。相手企業もグルになり、独立のための資金を不正に引き出していた形跡もあった。が、証拠をつかめなかった。
 以上の2ケースは敵対的買収ではない。にもかかわらず、会社が自分のものでなくなると、とことん私利に走る。そして、契約の在任期間が終わる頃には、買収した会社が空っぽになってしまうのだ。
 別のケースでは、買収先の中国人社長を解雇したところ、会社の印鑑を持ちだされてしまった。そして、社長の身内の会社と勝手な契約を結ばれたうえ、契約どおりの支払いをしないから契約不履行だと言いがかりを付けられた。盗まれた印鑑で締結された契約だと立証するのは困難である。結局、カネを支払わされた。

(2)税務署や工商管理局の嫌がらせ
 外国企業にとって難しい問題は、訳書との付き合いや法律の運用、改正などの「公的リスク」だ。
 中秋節や春節前には付け届けをする必要がある、と現地法人(北京)のある責任者は語る。4~6千元の希望のものをさりげなく担当者に尋ねる。今ならアイパッドなどが最適。相手が40代以上なら、高級な酒や煙草など換金できるものを贈る。さらに接待の場をもうけ、日常的に良好な関係を保っておくことが、いざという時に厳しい処分を受けない予防策になる。
 だが、「イレギュラー」も発生する。3年に1度くらい、税務調査が入る。付き合いのない別管轄の担当者がくる。数年分の税務申告書をチェックされ、もっと儲けがあるはずだ、と多額の追納金を請求されることになる。
 こうした場合、担当者の人間関係を調べ、担当者に影響をもつ人物にコンタクトをとることになる。この人物に口をきいてもらい、追納金を減額してもらう(ゼロにはできない)。
 外資系企業の場合、年に1回、地方政府の工商管理局が経営状況の調査にやってくる。担当者と良好な関係があれば書類数枚を提出して終わりだが、日ごろ接点がないと調査が長引く。最悪の場合、営業許可が取り消される。

(3)グレー・ゾーン
 法律どおりにきちんと経営すればコネがなくとも何の問題もないはずだ。しかし、それは難しい。規定どおりに社会保険料(年金保険を含む)を払うと手取り給料の2.5倍から3倍ほど会社が負担しなければならない。起業したばかりの小さな会社では、こうした部分を手抜きすることになる。中国では、それが普通だ。だから、日ごろの関係づくりが重要になるわけだ。ただし、100%の保証にはならない。
 ある程度グレー・ゾーンに踏みこまないと商品販売で競争に勝てない。たとえば、関税の基準となる販売価格を低く申告して関税額を抑えたり、三ぷり品として関税を払わずに輸入したりすることで正規品より安く仕入れる。ある程度黙認されている。しかし、販売規模が大きくなり、目立つと当局がやってくる。

(4)「公的リスク」 
 中国では、同じ役所の窓口でも、担当者によって法律の解釈や運用が違う。それが普通だ。そして、地方ごとに法律の解釈や運用が違う。
 法律や、その他の制度が突然変わって、これまで問題のなかったことが急に禁じられることもある。
 たとえば、北京で、商業用と住居用の両方に用途が認められていたタイプのビルが、住居用に限る、と解釈が変わったことがある。解釈の変更前に「住居」階下に飲食店を出店するべく不動産契約を結び、営業許可を待つだけだった飲食店のオーナーは、開業直前にすべてがストップしてしまった。

(5)有力者への仲介は怪しいと心得よ
 (4)の飲食店のオーナーは、コネを使って営業許可を得たが、必ずしもすべてがコネで解決できるわけではない。
 しかも、中国では、許認可がらみの詐欺事件が多発している。有力者への仲介者を信用して、言われるままに資本金を出すと、そのままカネが消えてしまうのだ。損害は、数千万円から数億円にのぼる、という。
 曾我・瓜生・糸賀法律事務所の北京事務所代業、水野海峯弁護士は言う。「日本人は無防備に相手を信用しがちだが、それでは失敗する。中国では、相手の言うことをまず疑ってかかるくらいでないと、逆にばかにされるし、とことんだまされる。法的紛争を避けるためにも、相手のことをきちんと調べることが必要だ」

【参考】「週刊東洋経済」2010年11月6日号
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【読書余滴】世界vs.中国(2) ~続・世界のオピニオン・リーダーに聞く~

2010年11月05日 | 社会
 「週刊東洋経済」特集:世界vs.中国/KY超大国との付き合い方・・・・のうち、「世界のオピニオン・リーダーに聞く」というインタビュー記事が4編収録されている。ここでは、前回の残り2編をとりあげる。

1 マーティン・ジャックス(ジャーナリスト、ロンドン大学LSEフェロー、中国人民大学客員教授)
  こちらを参照。

2 金燦栄(中国人民大学国際関係学院副院長、中国人民大学教授)
  こちらを参照。


3 エリザベス・エコノミー(米国外交問題評議会(CFR)アジア研究部長)
 米中主導による世界統治を唱える「G2」構想。これに疑義を呈する代表的な論者がエリザベス・エコノミーだ。

(1)中国の台頭がもたらす地政学的影響
 まず、中国の国内事情を観察せよ。
 中国は、2000~30年に4億人の農民工を都市に定住させようとしている。しかし、それは世界に甚大な影響を及ぼす。中国は、資産確保を目的に、世界各地の発展途上国に進出しているからだ。中国は、他国のインフラ整備に乗りだし、中国人労働者を送りこみ、同時に労働、環境安全面での劣悪な慣行を持ちこむおそれがある。
 また、中国はイランとの間で経済関係を築いているため、イランの核開発計画に制裁を加えようとしている米国などへの協力に消極的態度を示している。

(2)中国の将来予測
 きわめて難しい。
 金融制度や深刻な環境破壊など、さまざまな問題が次々と生じている。
 中国の6大都市では、深刻な水不足に陥っている。中国西部では、湖や河川が枯渇しつつある。地下水の枯渇が原因で、都市が陥没する問題も生じている。
 中国には、社会不安もある。抗議行動の発生件数は、増大傾向にある。これまで大半は地方で起きていた抗議行動が、今では都市でも発生するようになっている。
 成長を続けるだろうが、現状よりは少しは緩やかな成長になるだろう。

(3)海軍力増強
 パワー拡大の自認につれ海洋で海軍のプレゼンスを増強し、尖閣問題などさまざまな軋轢を生んでいる問題については、米国、日本、東南アジア諸国は週1回、または月1回のペースで議論を重ねる必要がある。
 問題は、太平洋にかぎらず、より広範にわたる。ドル基軸体制に対する異議の意図(中国人民銀行総裁)、南シナ海紛争がらみでの中国は大国、東南アジアは皆小国、という発言(外相)。近海防衛から遠洋防衛に軸足を移している、という人民解放軍の発言(2007年)。中国は、グローバルな大国だと見なすようになってきている(重要な変化)。中国は、「他国と協議することなしに自国の利益を強引に主張できる」と考えているのだ。
 中国は、軍事力を米国に対抗できる規模まで増強しようとしている。中国がオープンで透明性が高く、諸外国がその意図を了解し、協力できるような国であれば中国の勢力拡大はけっこうなことだ。しかし、事実は違う。
 中国の政治体制は、今後10~20年間に、より自由化する可能性が高い。中国では、インターネット、とりわけツイッターが政治的動員をかける重要な力になっている。

(4)新興国台頭による資源不足
 今後、政界の緊張をさらに高める可能性は高い。
 青海チベット高原で河川を管理しようとしていることに対し、インドが強い懸念を表明している。中央アジアや南アジアへ流れこむはずの水の流れを変えることについて、この地域の国々が危惧している。レアアースに関する中国の行動も、世界各国にとって重大な警鐘となった。

(5)中国への日米両国の対応
 (ア)中国が国境に攻勢をかけてきたら、果敢に立ち向かい、そこから出ていくよう警告を発すること。中国に立ち向かえば、中国は思いとどまる。逆に少しでも譲歩したら、中国側はさらに要求を強めてくる。
 (イ)日米は協力して対処しなければならない。世界中のビジネス界が声をそろえて「中国の取引慣行は不公正だ」と主張すれば、中国はもっとましな対応をするようになる。
 (ウ)日米は、中国に対する取組みを継続する必要がある。今後も中国と話し合い、中国に対処し続けなければならない。


4 ロバート・カプラン(ジャーナリスト、新米国安全保障センター シニア・フェロー)
 中国の軍事力強化を軽快する声が米国で高まっている。ロバート・カプランは、地政学、安全保障に造詣が深く、カート・キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)のブレーンを務める。

(1)米国との軋轢
 中国は、これまで世界中で築いてきた利益を守るために軍事力を強化している。今の中国は、史上かつてないほど安定しており、海に目を向ける余裕が出てきている。太平洋への出口に位置する島々への勢力伸張、インド洋における海軍のプレゼンス強化、インド洋沿岸諸国港湾整備の積極的支援・・・・中国は、エネルギーの大部分を中東から得ているのだ。
 中国の軍事面での台頭は、不当ではないが、米国との間に軋轢を生む。第二次世界大戦以来、西太平洋は米国の湖のようなものだったが、今やその状況が変化しつつある。中国がこの動きをどこまで推進するかは、現段階では明確ではない。

(2)南シナ海
 軍需品調達をみると、中国は一律に海軍基盤の整備を図っているわけではない。中国は、弾道ミサイルや潜水艦、空中・海中で移動する目標に対する攻撃力を重視している。米国海軍の東アジアへのアクセスを阻止することは、米国にとっては懸念材料だが、中国にとっては道理にかなっている。
 中国にとって、南シナ海は西太平洋に位置する縁海である。米国が公海であるカリブ海を支配しようとしてきたのと同様に、中国は南シナ海を支配しようとしている。

(3)中国指導部内の力関係
 歴史的に中国では軍部はつねに適切に統制されてきた。にもかかわらず、ここ数十年にわたり軍事力、ことに海軍を強化してきた。背景に、中国中枢部における一部軍関係者の発言力拡大があるのだろう。ここ1年間、中国政界において、軍部の強硬論者が勢力を強めてきた、と聞く。

(4)周辺諸国
 日本の民主党政権は、当初米国から距離を置こうとした。しかし、最近の中国の動きをみて、この地域における勢力バランスを保つために米国が必要だと認識した。
 オーストリア、インドネシア、マレーシアなどについても同様だ。パワーの均衡を保つため、米国を切実に必要としている。

(5)中国の弱点
 米国には同盟国がある。アングロサクソン圏があり、1日24時間、常時情報を共有していて、米国は余分な手間をかけなくても力を誇示できる。また、日本、韓国、台湾、フィリピンとの同盟関係もある。インドも、米国の事実上の同盟国だ。
 中国には、こうした同盟関係が皆無だ。だからこそ、中国は“愛される”ためには、特別な努力が必要になる。

(6)基地問題
 日本は、中国の台頭という現実があるからこそ、米国との緊密な同盟関係を維持する宿命にある。
 さらに、21世紀のある時点で、朝鮮が統一する可能性がある。その統一国家は日本に対して一定の敵意を抱くだろう。日本の地政学的状況は、厳しいものとなるはずだ。 
 日米の同盟関係をうまく運営するためには、米軍基地に関する問題を処理しなくてはならない。大規模な米軍基地に対する国民の反感をどう鎮めるか。最良の策は、基地を海軍基地に限定することだ。海軍基地は、陸軍基地ほど広い土地を必要としない。日米両国は、海兵隊および兵士を日本の国外へ移転させる一方で、日本の港が今後も米国の軍艦を積極的に受け入れる方策を策定しなくてはならない。受け入れ国に迷惑をかけているのは地上軍であり、海軍がかかわる問題はずっと少ない。
 結局、問題は、日本における米軍駐留の取り決めが、今後どういうものになるかに帰着する。

【参考】「週刊東洋経済」2010年11月6日号
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【読書余滴】世界vs.中国(1) ~世界のオピニオン・リーダーに聞く~

2010年11月04日 | 社会
 「週刊東洋経済」特集:世界vs.中国/KY超大国との付き合い方・・・・のうち、「世界のオピニオン・リーダーに聞く」というインタビュー記事が4編収録されている。ここでは、最初の2編を引く。

1 マーティン・ジャックス(ジャーナリスト、ロンドン大学LSEフェロー、中国人民大学客員教授)
(1)経済大国となる中国
 中国は、米国を抜き世界最大の経済大国になる。
 ゴールドマン・サックスは、米中のGDP逆転は2027年と予測しているが、もっと早い。2020年前後だ。

(2)「文明国家」
 「中国は発展するにつれ、西洋社会のようになっていく」という通説は幻想だ。中国は「国民国家」ではなく、「文明国家」だ。紀元前221年の秦の統一以後中国が「国民国家」だったのは、ここ百年くらいのものだ。
 西洋的「国民国家」と異なる点は、
 (ア)アイデンティティ
  「中国という文明の一員」という点に源泉がある。
 (イ)中国の国土・人口は巨大さ
  国内の富や文化のギャップが大きいため、中央集権的に統治できない。
  香港返還に伴う「一国二制度」がうまく機能している。
 (ウ)国家と人民との関係
  中国人は、政府を中国文明の権化かつ守護者だと見なして尊敬している。
  イタリアでは年中選挙しているが、イタリア人は政府を尊敬していない。
 (エ)民族意識
  中国人の約9割は、漢民族だという意識を有している。

(3)長期的見とおし
 中国は、短期的には模範的行動をとるが、長期的にはこれまで隠していた本来の姿を現す可能性が高い。そのインパクトは、英国から米国への覇権の変遷に比べて大きい。
 中国は海外権益を守るため海軍力を増強するだろうが、目指すのは朝貢制度だ。
 日本は、今の立ち位置を見直さなければならない。「アジアの復興と西洋の没落」という現状を踏まえて、日本は自らを「米国寄りの太平洋のパワー」ではなく、「アジアのパワー」と再定義するべきだ。


2 金燦栄(中国人民大学国際関係学院副院長、中国人民大学教授)
(1)尖閣問題
 なぜ起きたか。日本がルールを変えたからだ。1997年に締結した日中漁業協定を日本側が破ったからだ。
 しかも最近、日本は周辺海域にある離島25島の国有財産化を進めている。こうした動きから「今回の行動は周到に準備されたものではないか」という憶測を中国側に呼んだ。
 加えて、米国への不信感もある(黄海での米韓共同演習、南シナ海領有権問題への介入など)。「日米が組んで中国を取り囲もうとしているのではないか」という陰謀論を唱える人もいる。

(2)外交
 中国側の過度の反応の背景に、政府が直面する巨大なプレッシャーがある。過去30年間で、国家と社会の関係は激変した(「強い国家」と「弱い社会」から「強い国家」と「強い社会」へ)。9億人の労働者のうち9割は民間で稼いでいる。自由経済の進展により、中国の社会はより活発で多様化したものになった。
 かかる傾向は、中国の外交をより複雑なものにした。
 (ア)ネット市民
  インターネット・ユーザーは4.2億人で、その多くは「怒れる若者」たちだ。
 (イ)利益集団
  海外の権益保護を政府に求める。
 (ウ)地方政府
  海外投資の呼びこみから、「どう海外に投資するか」に興味が移った。
 (エ)外交に関連しない省庁
  海事局、漁業局、エネルギーに関連する部局が外交に口出しするようになった。

(3)集団指導体制
 小平以後、中国は最高指導者により統治される国ではなくなった。江沢民政権から、中国はテクノクラートによる集団指導体制へ変わった(過渡期)。胡錦濤から真の集団指導体制へ移行した。
 一人の個人が物事を決定できない。皆に権限がある一方、誰も最終的な責任をとらない。

(4)ナショナリズム
 過激なナショナリストは、人口の1%以下、せいぜい数百万人だ。しかし、海外メディアはこの少数派の国民ばかり焦点をあてる。率直にいって、ナショナリズムは日本、韓国、ベトナムよりも度合いが弱い。そもそも中国とナショナリズムは相性が悪い。
 共産党は、歴史的にナショナリズムと距離をとってきた。
 中国は56の民族が住む他民族国家だ。もし中国でナショナリズムを推進したら、“漢民族至上主義”につながり、少数民族から反発を招く。多くの場合、中国のナショナリズムは、外国からの圧力の反作用にすぎない。
 ナショナリズムは、政府への不満のはけ口になっているのは、確かだ。過去20年間、政府は商業面での利益を優先した政策を採ってきた。その結果、中国経済は急成長したが、社会的不公正、環境破壊、モラル低下が生じた。胡錦濤政権は、これらの問題に対処しようとしたが、あまり成果をあげていない。

(5)習近平政権
 2012年に習近平が国家主席となれば大きな政策転換が見込めるかどうか、わからない。中央政治局常務委員会の9人のメンバー中7人も入れ替わると言われている。きわめて新しい政権が生まれるが、どんなコンセンサスを持つのか、誰にもわからない。
 今後10年、中国は内向きな国になる。中国の誰も対外的に強硬姿勢をとりたいとは思っていない。あくまで最優先は国内問題だ。今後、中国はエネルギーを求めてさらに海外に出て行くが、脅威と見る必要はない。あと10年は大きく成長するとしても、2020年以降は高齢化などにより成長率が3~4%まで下がる公算が大だからだ。


3 エリザベス・エコノミー(米国外交問題評議会(CFR)アジア研究部長)
  (略)

4 ロバート・カプラン(ジャーナリスト、新米国安全保障センター シニア・フェロー)
  (略)

【参考】「週刊東洋経済」2010年11月6日号
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書評:『包丁一本がんばったンねん!』

2010年11月03日 | ノンフィクション
 本書は、「就職しないで生きるには」シリーズ第2巻。

 著者は大学を中退して上京し、工事現場でバイトをしながら芝居に情熱を傾けていた。
 24歳の秋に帰郷。母が老人性痴呆(2005年からは「認知症」)になったからだ。
 自宅は京都市泉殿町。百万辺といったほうが、とおりがよいかもしれない。
 きゅうくつな勤め人にはなりたくない。商売をはじめるにも、スーパーマーケットは立地条件が悪い。近在が京大の敷地で、住民が少なすぎるのだ。
 家業の旅館は四六時中の労働だから継ぎたくない。もっとも、旅館の経営者を親にもったおかげでうまいものが食えたし、大学は食品化学を専攻した。
 学生時代には陶芸をやった。料理店ならやれそうだ。
 そう決めたのは1972年12月5日のこと。
 工事現場を踏んだ経験に基づいて手ずから店を設計した。築90年の歴史をもつ自宅を活かし、旅館に出入りしていた庭師に頼んで改装した。カネがないから、あの手この手で経費を切りつめた。壁土は自分で買って、庭師の知り合いの左官に仕上げを頼んだ。柱は墨と紅柄を菜種油で練ったものを姉と二人で塗りたくった。かくて、20日間で料亭「梁山泊」が誕生した。
 ここまではよかったが、じつは著者はそれまでろくに包丁を握ったことがなかった。
 うまいものに目がなくて、鹿児島大学に籍を置いていた間、仕送りは食い道楽に費消するほどだった。
 しかし、客として食うことと、客に提供する食いものを作ることとは、まったく別の二つである。
 おでんから出発し、魚に挑戦し、スペイン旅行で知った料理を取り入れた。
 こうして無我夢中の奮闘が続くのだが、私生活も無手勝流だ。
 初めて客となった大学院生をデートに誘い、その初デートで求婚する。

  「嫁に来いひんか」
   相手も驚いたが、当のわたしも驚いた。
  「あんたは、一言多いさかいに、もっとつつしまな、男が安もんになるえ」
   つねづね、母がいっていたのを思い出す。

 随所に挿入される京都弁がいい。著者がつかう京都弁は、はんなりより芯の勁さが目につく。
 語り口もさりながら、語られる事実がユーモラスだ。貯金ゼロだのに、新婚旅行代わりのスペイン行きを敢行したりする。すったもんだのあげくだけれど。元大学院生嬢はすでに妊娠6か月なのであった。
 無謀といえば無謀、したたかといえばいたたか。
 かかる包丁人が伝統と格式につつまれた古都の一角で店をひらいた、と思うと楽しい。


□橋本憲一『包丁一本がんばったンねん!』(晶文社、1982)
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書評:『イエスタディ・ワンス・モア』

2010年11月02日 | 小説・戯曲
 小林信彦は、時代に敏感な作家である。敏感すぎるくらいに。それはほとんど時代と寝る、と言ってよいほどだ。時代のごく限定された一分野に過ぎないけれど。
 小林信彦は、ひたすら自我を空しうし、軽い羽根のように時代の風に流されるが、流される一方ではなくて、意外としたたかに風にのって、吹きつける風すなわち時代を醒めた目で眺め、時には思い切った批評のメスをふるう。
 そのメスさばきは、論理より直感に負うところが大きい。
 感性の人が失われた過去をふりかえるとき、一種甘い感傷が加わる。この感傷が読者を惹きつける。
 しかし、過去が失われなかったら、どうだろうか。実生活ではあり得ないことだが、批評家が小説家に転じ、小説家が小説の舞台を過去に設定するとき、過去を再現できる。再現された過去のなかで、作中人物は今を生きる。作中人物とともに、作者も再現された過去を今として生きることができる。

 本書は、1990年代初頭から1959年にタイム・スリップした少年の物語である。
 物語の冒頭で頓死した伯母も、1959年現在では少年を誘惑できるほど若くて美しい。
 1959年現在における未来、つまり1959年から1990年代初頭までを知る少年は、未来(つまり1990年代初頭から見た過去)に係る知識を動員してTV業界の一角に食いこむ。何が大衆に受けるかを知っているから、いわば回答を事前に知った上で試験に臨むようなものだ。成功は約束されているのであった。
 だが、成功は本書の主題ではない。少年にとって(それは作者にとって、とほぼ同じ意味にちがいないが)、肌あいがぴったり合う1959年前後を生きる、という大事業が主題なのだ。

 1959年といえば、神武景気(1956~57年)が終わり、岩戸景気(1958~61年)の最中だった。高度成長期(1955~73年)である。1960年代は毎年10%を超える成長率を示した。ちなみに、国民年金法が制定されたのも1959年である。年金をめぐる今日の混乱は、当時はとうてい予想できなかったにちがいない。
 小林信彦個人の1959年はどうだったか。
 『ウィキペディア』によれば、前年に宝石社の顧問として採用され(月給の額は当時としても格安の5,000円)、1959年1月にミステリ雑誌「ヒッチコックマガジン」の編集長に抜擢された。「3号まで赤字ならクビ」が条件で、月給の額は当時の会社員の初任給より少ない10,000円にすぎなかった。「ヒッチコックマガジン」は赤字が続いたが、小林のクビはつながり、雑誌は13冊目でようやく黒字に転じる。この雑誌は、当時の若者のライフスタイルやその後輩出する雑誌に影響をあたえるほどの力をもつに至るのだが、雑誌刊行当時、小林は薄給を補うべく、雑誌の宣伝をかねてラジオやTVにたびたび出演した。これが人気を得て、小林はマルチタレントのはしりとしてマスコミにもてはやされた。同様な人気マルチタレントに青島幸男、永六輔、前田武彦がいた。
 小林信彦、20台後半の、精力的で、うごけば成果が目にみえてあらわれた時期だった。

 小説にもどろう。
 好事魔多し。少年のタイム・スリップはタイム・パトロールの察知するところとなった。夢は醒めねばならぬ。醒めるべき時を少年は予告される。
 しかし、意外な結果が待ち受けていた。・・・・この結末、過去を生きることができなくなった小説家の想像力は、感傷の色を帯びる。
 読者もまた、作者の感傷に共鳴して感傷にふけっても、なんらさしつかえない、と思う。1960年代は、たしかに列島をあげて活力にあふれた時代だった。

□小林信彦『イエスタディ・ワンス・モア』(1989年、新潮社。後に新潮文庫、1994)
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【読書余滴】中野好夫の『酸っぱい葡萄』

2010年11月01日 | ●中野好夫
 『酸っぱい葡萄』は、剛毅な精神の持ち主である中野好夫の「恥さらし」の文集である。「恥さらし」とは、著者自身の「いささか長すぎるまえがき」での自評だが、仮に「恥さらし」だとしても、それを公刊する精神はやはり剛毅というものである。

 収録したのは1937年から1949年までの42編である。日中戦争の年から戦後の“朝鮮戦争”の前年まで、政治、文化、教育、知識人、語学、思い出と、論題は多様である。多様だが、一読して人間中野の動かぬ眼と精神がうかがえて、しずかな感銘に身をおくことになる。

 たしかに、著者自らいうように、敗戦直後の「天皇制支持」から、1949年の「天皇制廃止」へと、きわだって変わった点もある。しかし、読者がうたれるのは、情況が変わったからといって、前の情況下での自分の姿をかくさない著者の姿勢である。

 たとえば戦後さいしょの文の一つ(「文化再建の首途に」)で、こう書く--「私は占領軍最高司令部の前にはっきり言うが、私は戦争に協力した。しかも便乗して協力したと、はっきり言明しておく」。それは居直りでも、いやみでもない。正直なところを平明に表白することで、情況とともに変わり、現実の中身なしに「概念濫用」で大見えをきるものの軽薄をつく。いやそんな意図的なことではなく、そこには人間性をもって事の判断、理非をおのずから明白にする著者の持ち味が浮かぶ。

 「いうならば私は社会主義を信じる保守主義者である。人間観としては、人間がいわゆる天使でもなければ獣でもない。中間の謎のような存在物であると信じている。進歩は否定しないが、ユートピアの夢は持たない。ただ論理的だけに首尾一貫徹底した思想に好意を持たない。むしろ矛盾はあっても、深く現実を愛する思想を好む」

 著者の文は、肩を張ったり、晦渋を極めたりはしない。男性的にからっと思うところを表出して、朴直である。その「現実的人間主義」の表白である本書を読んで、評者は一つの感動をえた。評者も戦後の評論で鬼面人をおどろかすていの言動をし、30年をへて自分なりに落ち着くところがあったが、『酸っぱい葡萄』を読むと、そのことごとくが、すでにこの本で中野好夫が明示した事柄だったからである。

 ここにもう一冊の“戦中と戦後のあいだ”を示す好著を得た。不動のものは、やはりあったのである。

   *

 以上は、朝日新聞書評欄の1979年9月16日付け書評である。
 評者の氏名は、ついに不明のままだ。
 ちなみに、“戦中と戦後のあいだ”は、丸谷真男の著書『戦中と戦後の間 1936‐1957』(みすず書房、1979)を踏まえている、と思う。
 余談ながら、「天皇制」という用語は、コミンテルン(共産主義インターナショナル=国際共産党)によって作られた単語だ。1932年5月にコミンテルンで「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」(通称「32年テーゼ」)が採択された。日本語では、昭和7年(1932年)7月10日付国際共産党日本支部(日本共産党)中央委員会機関誌『赤旗』特別号に発表された。この「32年テーゼ」によって「天皇制」という共産党用語が流行するようになった【注】。

 【注】佐藤優『日本国家の神髄 -禁書『国体の本義』を読み解く-』(産経新聞出版、2009)P.25による。

【参考】中野好夫『酸っぱい葡萄』(みすず書房、1979)
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