7月中旬の暑い暑い日
川崎市の産業道路駅から、多摩川を渡り羽田まで歩く会に参加しました。
大師橋下の川崎側から見た多摩川
小さく残っている、ねずみ島
昔は川崎市殿町の果樹畑だったそうですが、殿町の果樹畑が多摩川拡幅のために
買い上げられ、最後まで買い上げに応じなかった土地だそうです。
神奈川県と東京都の境は今の多摩川の真ん中ではなくちょっと複雑に蛇行しています。
元々多摩川は暴れ川で、洪水で流れを複雑に変えてきました。
近年になってから河川の改修が行われ、この大師橋のあたりに限って言えば、
昭和の初めに、川崎市側の殿町の果樹畑を買い上げて多摩川の川幅を広げたので、
境界線はほとんど大師橋の羽田の岸に近い所となっています。
ねずみ島のあたりまで、川崎市の殿町の果樹畑だったのですね。
芦原がきれいです。
向こうは羽田空港です。
大師橋下流側の堤防に、川崎側の羽田の渡しの碑がありました。
あらら。
草に覆われています。
それでは、大師橋を渡って羽田へ行きましょう。
右に見えるのは高速道路の横羽線です。
赤茶色の塀の様なものが見えますが、それはかつての多摩川の堤防です。
昭和の初めに造られた煉瓦造りの堤防なのです。
この堤防の外側はすぐに海でした。
この「海でした」と言うのはその通りで、地元の漁師さん談)
その昔は六郷の橋のあたりが多摩川の河口だったのだそうです。
東京都側の羽田の渡しの碑
う・・・川崎負けてるし・・・こっちのが立派
煉瓦造りの堤防と、何だか懐かしい様な漁村風の風景
何だか、地元徳島の漁師町に来たような錯覚が。
漁船・・・なのかな・・釣り船?
そして、羽田の赤鳥居
18世紀末から多摩川河口部を干拓し、羽田鈴木町、穴守町、江戸見町の新田開発が始まりました。
昭和20年、米軍による接収で、鈴木町、穴守町のおよそ1200世帯が強制退去させられました。
(と、案内板に書いてありました)
この時にこの地にあった穴守神社は今の場所に移転したのですが
この鳥居だけは人災が続いて移転できなかったとか、
移転しようとすると事故が起きるといった都市伝説のようなものがあった、あの鳥居さんです・・よね。
羽田空港の駐車場にポツンと取り残されていたという赤鳥居さんも
今は、モノレールの天空橋駅の近く、海老取川のほとりに移転されています。
赤鳥居さんも安住の地を得たといったところでしょうか。
この赤鳥居さんの間から出る初日の出は素晴らしいそうです。
ここで初日の出を拝む人が年々増えてきているそうです。
鳥居さんには「平和」の額が掲げられています。
願うことは平和。
誰も理不尽に故郷を奪われる事がありません様に