どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

うん

2015-11-03 23:20:45 | 日記

 

太田橋のたもとにあったナゾの仕掛け。釣り人の熱田氏に聞いた所、こんな仕掛けは見たことがないという。ただウナギではないのかという。まあ私も見たことがない。杭の打ち方に、なにやら伝統ななにかを感じる風情もある。

とはいえこの川にウナギがいるのだ。そういえば諸葛川に満月のたびに現れる夜釣りの人がいたが、あれもウナギ狙いだったのだろうか。

 

 

局所的に秋。

 

 

局所的に冬。

 

 

まあそんなもんだ。

 

 

ということで、

 

 

寝る。


雨の日

2015-11-03 00:57:30 | 日記

 

寒い一日だった。12月並みとニュースは言っていた。

朝一番にぶどう山椒と花山椒の木が届いた。ぶどう山椒とは大粒の最高級の実山椒の品種だ。主に丹波で生産されている。花山椒は山椒の雄木の内、特に花の多いものだ。育てないと滅多に使えない薬味の一つだ。7月に注文したのだが、この時期に届いたのは驚いた。いや大苗だったのだ。ポット苗だと思って買ったのだが、巨大な箱が届いてなんじゃと思ったら高さ1.2メートルの苗木が3本入っていた。

問題は、今時期に植えて冬を越せるのだろうかという問題だ。大苗すぎてこの辺が心配だ。とりあえず不織布で木を覆って、土は雑草のマルチングで冷え切らないように分厚く覆うしかないだろう。

 

 

ゆぴあすに泳ぎに行く。時間が限られていたから1200メートルだけ泳いだ。ほぼ全力だったので結構疲れた。

そういえば、戦後のアメリカ美術の発展には、CIAが予算をだしていたという説が出ていた。今までの通説では、戦火から逃れてきたヨーロッパの現代美術家とアメリカに少数いた現代美術の理解者を通じてアメリカでも抽象絵画などの先端的な現代美術が広がったというものだった。

だがアメリカという国は以外と保守的だ。そのガチガチの保守に、これこそ新時代と宣伝したからこそ現在に至ったのだという。なぜそんなことをしなければいけなかったのかといえば、自由だからこそこういった表現が可能なのだ、ソ連のようなガチガチの教条主義では文化は発展しないというのを証明しなければいけなかったし、資本主義下での文化の優位性を証明しなければいけなかったからだという。

一見眉唾に思えるのだが、実はアメリカは写真を使っての啓蒙活動、これが得意だった。ニューディール政策のためにやった農村疲弊問題を取り上げた写真巡回展とか、歴史的に成功したものがある。特に有名なのは世界を巡回した「The Family of Man」だろう。エドワードスタイケン編集で有名だが、「形式においても内容においても戦中のプロパガンダを踏襲しており、冷戦体制下で経済的繁栄を謳歌するアメリカ型民主主義とヒューマニズムをアピールする文化戦略であったという指摘もある」と言われる通りなのだ。

最高の写真だが、あくまでも西側の写真家からしか写真が集まっていないとか、中の写真展開がキリスト教保守派くさいとかそういったところもウサンクかったし、ラストの国連議場の写真は、その後のアメリカとソ連の拒否権発動の嵐を考えれば、何が何だかという気分になる。

あのアメリカのガチガチな保守が簡単に最先端の現代美術を受け入れられるようになったというのは、実は驚くべきことなのだ。誰かがお金を出していたとは推測されていたが、当時の富豪こそがガチの保守。そこを国家が金を出したというのは、納得できるところだ。

ただこのおかげで、アメリカは世界最大の現代美術のマーケットになったし作家も多数輩出した。世界中にこの自由な表現に啓発された作家が現れた。その上共産圏から美術家や作家、特に音楽家の亡命が相次ぐことになる。共産圏の不条理にはこの徹底的な自由というのが、プロパガンダには重要で、そのためには成功者がいっぱい必要だったのだろう。

とはいえ、ミサイル1発より安い予算でこれを成し遂げたのだろう。いやもう少しはかかったか。ただ現在の戦闘機の開発費よりは圧倒的に安くすんでいるだろう。

こういったことは中世以降から意外とある話だ。とはいえ手が込んでいるというのは、現代的か。

 


帰りに響による。C氏がいた。愛すべきオーディオマニアである。現在は枯れていて、古いレコードを安く買ってクリーニングして聞くのが趣味だ。彼は変わったディスクを持ち込むので有名だ。映画サントラが多いのだが、今回は70年代後半の東芝EMIのオーディオリファレンスディスク、今世の中によくありがちな良い録音を集めたものではなく、ガチで新録音で全部徹底したレコードだ。

由紀さおりが生声で録音してしまっているよ。歌のうまさは有名だが、艶出しくらいはしてやれよと思うのだが、まあそれがオーディオリファレンスディスク。なんでエレキギターにエコーかけているのかがよくわからない。

えらく混乱したものだった。すると熱田氏がコロンビアの初期のPCM録音のアナログ盤を出してくるわけです。コロンビアの方がまだ音楽なんですけど、なんかげっそりします。

まあなんというか、勉強にはなりました。70年代後半のマニアが求めていた音と、80年代初期のマニアが求めていた音の違いがわかります。ただなんといおうか、間違いなく録音より演奏だよな。

とはいえオーディーオマニアの気持ちもわかる。今私のうちにあるのは1927年から2013年までのものがある。もちろん全部CDになったものなのだが、録音のバラつきは大きい。デジタルリマスタリングも1955年までと70年代のものでは違う。80年代だとデジタルレコーディングが始まった関係で、結構混乱している。1927年から45年は論外としても、なにをもってリファレンスにするのかはアナTログ時代の方が難しいものがあったと思う。なにしろファクターが多すぎたのだ。

 

 

少ししたら、オーディオマニアにしてはよくわからない二人連れが現れた。一人は廃品業者だし、もう一人はオーディオのカタログらしきものを開いている。コーヒーは好きなようだ。

だが面倒くさそうなので退散する。多分高級オーディオの案件があるのだろう。もしくはそんなものを扱ううちに興味が出たのだろう。

ただ、服装はともかく不思議なまでに紳士だった。