今日は泳ぎに行くつもりだったが、いかんせん風邪から回復したという気がない。ただ昨年の風邪に比べれば、かなりマシだ。加湿器というのは優れものだと思う。
今日はマジメに仕事をしたつもりだったのだが、世間一般からすれば不真面目であろう。出来高払いの仕事というのはそういったものだ。この場合の仕事は、チャンスしかないからだいたい暇なのだ。かといってチャンスを逃すまいと気を張っている方が危険というわけのわからなさがある。
狂い咲きのツツジがあった。
コーヒーの木も、本葉4枚目が完成した。
今日は米山に行った。するとスピルバーグのAIをかけていた。ついつい見入ってしまった。本当によくできた脚本だ。確かにアメリカでは受け入れられないところがある。ただキューブリック原案だとすれば、確かに受け入れられないだろう。2001年宇宙の旅がなぜアメリカで受けたのか、そちらの方が不思議なのだ。
あまりにもよく出来すぎたSF映画すぎて、なかなかなところがある。例えば、冒頭でチェスをするコンピューターというのは遅れている、という内容の発言がある。その後蘇生した実の息子がつけている歩行補助装置も、昨日日本で認可された。まあ高齢化社会に向けて、ボケるよりは動いてボケ防止ということもあるが、リハビリ放棄されるよりはかなりマシだ。特に脳梗塞などの障害には有効だ。
カリンの実が落ちていた。
SFとして突っ込みどころはあるのだが、AIの話の優れたところは、ラストだ。もちろん2000年経って起動されたものだ。だからいずれ寿命は来る。それを「夢をみる」世界に行く、とそっけなく言う。
ただその前に、どう考えていいのかわからないほど優秀なジゴロ・ロボットが出てくる。推論を作り出す能力と解決法に特化したAIだと思うのだが、まあ異常な能力を持っているわけだ。大人だから賢いとか強いとか行ったレベルではない。特化している割には汎用性が高いのだ。つまり、女性相手には生半可なAIでは不可能なのだ。最先端であるはずの主人公をサポートするための設定なのだが、優秀なAIはそこまでできると予見している。まあ現在では無理だが、モニター程度だったら遠くない未来にできるだろう。
だが一番の衝撃は「私は生きた。そして消滅する」この台詞だろう。いやその前に、主人公が自殺しようとしたのを目撃しているわけだ。自我を持つコンピューターには、自滅するという選択肢が可能になるということなのだ。
だから主人公は、夢を見る世界に旅立てるのだ。
本当に、すべての伏線が一点で終結するこの瞬間はすごいものです。おとぎ話なのでありとあらゆるところに張り巡らされた伏線が、そう冒頭からいきなりある構造がわからないと、えらく難解です。
ただTEDという映画は、このスピルバーグの作品のスピンアウトなのだというのがよくわかった。