どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

急に天気が良くなる

2015-11-11 00:52:30 | 日記

 

今朝は押し栗を使って栗ご飯にしてみた。飯を食べて仕事に行くと、雨になる。

 

 

まあこのまま曇りかと思っていたら、昼過ぎにいきなりの快晴。慌てて仕事します。

 

 

落葉が随分多くなった。冬が近ずいている。

ハンナ・アーレントの評伝を読み始めた。新書だから大したことがないのだが、やはりこの時代最も必要な思想家だろう。とはいえ訳書にしても原著は重すぎる。だから評伝なのだが、「工業製品のように死体が製造される」という言葉には、やはり現代と重ね合わせなければいけない。

もちろん「英雄的」な戦闘と、ナチスのやったこととを比較するわけにはいかない。だがシリアやイラクで起きているのは死者を製造していることだ。しかもそこにはエゴとしか言いようのない大国の意思がある。その大国とはアメリカとロシアだが、サウジアラビアとイランという宗教に基づいた代理戦争という側面もある。

そして歴史的には火種を蒔いたイギリスとフランスがいる。イギリスは特に戦費欲しさにシオニストと組んで、イスラエル建国のきっかけを作ってしまった。そしてアフガニスタンで火を起こしたソ連はのちに崩壊しチェチェン問題でロシアに引き継がれた。チェチェン問題は悪質な腫瘍と化して、その周辺に散らばった。実はウクライナ問題もこれが原因の可能性がある。ロシアは黒海を失う可能性があったのだ。

そして第2次世界大戦中、ユダヤ人を積極的に引き受けようという国がなかった。イギリスはユダヤ人のパレスティナ渡航を禁止した。そのため地中海で船に乗ったままさまようユダヤ人が出現した。そのまま海へ消えたものもあった。

シリア難民とどこがどう違うのだ?ヒットラーのエゴで難民化したユダヤ人をどこも引き取ろうとはしなかった。政治亡命でもない経済亡命だと拒否したのはどの国だ?

それではアジアはどうだ。ミャンマーのロヒンギャ問題はどうするのだ。難民化したロヒンギャ族を、周辺国は人身売買した。売れ残りは殺して山に埋めた。それが露見すると各国は翻って、ロヒンギャ族の乗った船を、上陸禁止にした。さまよえるロヒンギャが出現した。

今は安定したが東ティモールでもアジアは無視した。チベットのようにアメリカが問題にしてくれた方がマシな方だ。

ハンナ・アーレントに解決方はない。だが今読むべき思想家と、そう直感が言っている。

 

 

最後のひまわりが咲いている。

今日ブルックナーのミサ曲全集、とはいってもCD3枚に収まる程度しかない、ハインツ・レーグナー指揮の2番と3番、テデウム、それと合唱指揮者なのでウイキにも載っていないニコル・モット指揮の1番の入った廉価版が届いた。とてもわかりやすい。わかりやすいというのがいかに大切かというのがよくわかった。

チェリビダッケの重厚すぎる3番とか、遅すぎて現代音楽に近いヨッフムの2番が、どんなに素晴らしくてもやっぱり構造が不明瞭になりやすいのだ。マニア受けというべきだろう。とはいえヨッフムの宗教性はすごいので、ここは文句の言いようもない。

とはいえ、最近本当にわかったのはクラシックでも尖ったもの以外は好きではないということだ。演奏も極端なのが好きだし、構造むき出しに近いような演奏の方が好みに合う。だからヴェルディは苦手だ。ジュリーニがウイーンフィルと組んで演奏した「リゴレット」は素晴らしい演奏だった。いやこのCD、ボックスセットに入っていたからあったというだけで、全然聞く気もなかった。だが聞いてみたら、素晴らしい。でもやっぱりダメなんですね。尖っていないんです。骨格もイマイチなんです。

しかしブルックナーのミサ曲2番は、尖った何かがありますね。なおこれを紹介してくれた熱田氏が、ヨッフムをヨッヘムと常に言うのですが、どちらが正しいのか。そのうち私がヨッヘムというとヨッフムという可能性もある。

そう、発音の混乱というのがある。ドボルザークは、ドボルジャックとかドボラークとか原語に近い発音にしようとして迷走している。

 

 

評伝ですら、ハンナ・アーレントは重い。


急に天気が良くなる

2015-11-11 00:52:30 | 日記

 

今朝は押し栗を使って栗ご飯にしてみた。飯を食べて仕事に行くと、雨になる。

 

 

まあこのまま曇りかと思っていたら、昼過ぎにいきなりの快晴。慌てて仕事します。

 

 

落葉が随分多くなった。冬が近ずいている。

ハンナ・アーレントの評伝を読み始めた。新書だから大したことがないのだが、やはりこの時代最も必要な思想家だろう。とはいえ訳書にしても原著は重すぎる。だから評伝なのだが、「工業製品のように死体が製造される」という言葉には、やはり現代と重ね合わせなければいけない。

もちろん「英雄的」な戦闘と、ナチスのやったこととを比較するわけにはいかない。だがシリアやイラクで起きているのは死者を製造していることだ。しかもそこにはエゴとしか言いようのない大国の意思がある。その大国とはアメリカとロシアだが、サウジアラビアとイランという宗教に基づいた代理戦争という側面もある。

そして歴史的には火種を蒔いたイギリスとフランスがいる。イギリスは特に戦費欲しさにシオニストと組んで、イスラエル建国のきっかけを作ってしまった。そしてアフガニスタンで火を起こしたソ連はのちに崩壊しチェチェン問題でロシアに引き継がれた。チェチェン問題は悪質な腫瘍と化して、その周辺に散らばった。実はウクライナ問題もこれが原因の可能性がある。ロシアは黒海を失う可能性があったのだ。

そして第2次世界大戦中、ユダヤ人を積極的に引き受けようという国がなかった。イギリスはユダヤ人のパレスティナ渡航を禁止した。そのため地中海で船に乗ったままさまようユダヤ人が出現した。そのまま海へ消えたものもあった。

シリア難民とどこがどう違うのだ?ヒットラーのエゴで難民化したユダヤ人をどこも引き取ろうとはしなかった。政治亡命でもない経済亡命だと拒否したのはどの国だ?

それではアジアはどうだ。ミャンマーのロヒンギャ問題はどうするのだ。難民化したロヒンギャ族を、周辺国は人身売買した。売れ残りは殺して山に埋めた。それが露見すると各国は翻って、ロヒンギャ族の乗った船を、上陸禁止にした。さまよえるロヒンギャが出現した。

今は安定したが東ティモールでもアジアは無視した。チベットのようにアメリカが問題にしてくれた方がマシな方だ。

ハンナ・アーレントに解決方はない。だが今読むべき思想家と、そう直感が言っている。

 

 

最後のひまわりが咲いている。

今日ブルックナーのミサ曲全集、とはいってもCD3枚に収まる程度しかない、ハインツ・レーグナー指揮の2番と3番、テデウム、それと合唱指揮者なのでウイキにも載っていないニコル・モット指揮の1番の入った廉価版が届いた。とてもわかりやすい。わかりやすいというのがいかに大切かというのがよくわかった。

チェリビダッケの重厚すぎる3番とか、遅すぎて現代音楽に近いヨッフムの2番が、どんなに素晴らしくてもやっぱり構造が不明瞭になりやすいのだ。マニア受けというべきだろう。とはいえヨッフムの宗教性はすごいので、ここは文句の言いようもない。

とはいえ、最近本当にわかったのはクラシックでも尖ったもの以外は好きではないということだ。演奏も極端なのが好きだし、構造むき出しに近いような演奏の方が好みに合う。だからヴェルディは苦手だ。ジュリーニがウイーンフィルと組んで演奏した「リゴレット」は素晴らしい演奏だった。いやこのCD、ボックスセットに入っていたからあったというだけで、全然聞く気もなかった。だが聞いてみたら、素晴らしい。でもやっぱりダメなんですね。尖っていないんです。骨格もイマイチなんです。

しかしブルックナーのミサ曲2番は、尖った何かがありますね。なおこれを紹介してくれた熱田氏が、ヨッフムをヨッヘムと常に言うのですが、どちらが正しいのか。そのうち私がヨッヘムというとヨッフムという可能性もある。

そう、発音の混乱というのがある。ドボルザークは、ドボルジャックとかドボラークとか原語に近い発音にしようとして迷走している。

 

 

評伝ですら、ハンナ・アーレントは重い。