どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

恐ろしい

2015-11-15 01:02:20 | 日記

 

今日は一日雨だった。プリアンプの工作の為の部品を、雨の合間に探しに行くが、100均にはなかった。穴を空ける為のドリルの刃が欲しかったのだが、ダイソーですら品揃えが薄くなった。アルミだし、木工用のやつが一発でダメになってもいいかなと思い始めている。

今日の夜市は静かだった。

 

 

12日にとんでもないニュースが飛び込んできた。日経ビジネスオンラインが号外を出してきたのだ。

日本経済新聞は、日本ではクオリティペーパーに数えられている。経済誌で全国区なのは産業経済新聞とここくらいなのでしょうがないが、日本にはほんらいのクオリティペーパーは無いので朝日・読売・毎日・日経が一流とされている。

だがその日経はここしばらく飛ばし記事で名を馳せてしまう体たらくだ。一体なにがクオリティかと言いたいところなのだが、昔っから兜町新聞・野村新聞と呼ばれているだけあって、あまりその辺は気にしていない。なお日経がなぜクオリティーペーパーと言われているのかといえば、「私の履歴書」が載っている最終ページの内容が濃いからだ。全然優しく無い「やさしい経済学」なんて素晴らしいものだ。私の経済学の知識はほとんどここからきている。

でだ、日経新聞社ではあるが日経ビジネスが連携することはかなり少ない。日経新聞より日経ビジネスの方が強烈なライバルばかりだからだ。下手な号外は出せ無い。出したということは、まあとんでもない内容だった。

東芝が買収したアメリカのウエスチングハウス社、原子力発電所の会社、過去には家電メーカーでもあったな、その会社が粉飾決済していたというものだ。そりゃそうだ。911以降しばらく世界中で原子力発電所の建設が止まったのだ。その後も受注数が減っているのは確かだ。だが今まで決算上はそこそこだった。

今から思えばだが、日立が苦境に立たされ、松下がひどいことになって、三洋が潰れ、シャープが心筋梗塞で倒れた時も東芝は涼しい顔をしていた。日立が大幅なリストラを経てBtoBにシフトして業績を回復した時も、日立の原子力部門に不安はあった。ただそれでも東芝はWHを震災前に買収していたのだ。勝算があったのだろう。

本社の粉飾決済もあるが、WHも粉飾していたとなれば東芝の上場廃止は免れ無いだろう。その上WH株の問題でアメリカでも訴訟を起こされる可能性がある。

東芝が消える可能性が出てきた。VWのソフトウエアー偽装で、あのVWも消える可能性があるのに。いや、まだVWの方がマシかもしれ無い。帳簿を使った粉飾は、裏切りそのものだからだ。車だと、それでも愛すると言ってくれる人はいる。だが粉飾決済は誰も認め無い。

WHの粉飾で、東芝はさらなる業績悪化を報告するだろう。

 

 

今朝、フランスで同時多発テロが起きた。ISISだろうと言われている。だが比較的シリア難民を受け入れるのに慎重なフランスを狙った理由がわからない。

フランスはシャルリ・エブド事件もあったように、何かやりやすいのかもしれない。「自由・平等・友愛」の国だ。だがそこには完璧にフランス語を話せて価値を共有できる、つまりフランス人と同化しなければいけないわけだ。その中では難民はフラストレーションが大きいだろう。だからと言ってこんな事件が起こるわけでは無い。シャルリ・エブドが存続してやはりムスリムから顰蹙を買っていても、しばらくは何もなかった。

やはり女性の被るスカーフの問題だったのかと思う。特に全身を覆う形のものは、全くフランスにそぐわないということで禁止されたのだ。つまりフランスはイスラムを法的に否定するものとして攻撃対象になったのだ。フランスの文化とイスラムの文化が対立したと言ってもいい。

オランド首相の観戦しているスタジアムで爆破事件を起こしたのが、この象徴かもしれない。

実はここから先は、自分でも言語化できない何かがある。シャルリ・エブド事件でもそうなのだが、あえて敵対感情を喚起する方向にある。ISは大量の難民を送り込み、かつEUを分断させる作戦を考えているのでは無いのか?その上ISから逃げた人たちを辛い目にあわせて、その中から転向者を作り出そうとしているのでは無いのか。

言語化できないのは、どう考えても彼らの意識がわからないのだ。911以降最大のテロ事件だが、これをやったとしても世界は目覚めることはないのだ。宗教的熱狂はその宗教を矮小化させてしまう。

問題は矮小化だ。それを言葉にできないのだ。大きければ大きいほど小さくなってしまうのだ。

 

 

 

21世紀がこんなにグズグズだとは。

ただ今回のパリの事件だが、人を殺したとかテロだとかそういった問題ではない。暴力を用いた信仰への勧誘というのは、宗教的に許されていないだろう。

本当に、言葉にできない。精一杯やってもこれしかできない。