どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

雨は止んだが

2015-11-24 22:21:54 | 日記

 

泳ぎに行く予定だったが、なんのかんのと遅くなって止めてしまった。

喫茶渡辺に行き、日本コーヒー協会のまとめたDVDを渡す。コーヒー流通の一部を切り出したものだが、とてもよくできている。2013年のものなので生産方法も、農業なので最新に近いと言えるものだ。

渡辺さんはプロだからきちんとした知識はある。2013年のものだということで興味を持ってくれたのだが、まあマンデリンでは驚くだろうな。

さらに後ろには流通が、焙煎前のコーヒーの味を決定しているという、現実がある。そこが垣間見えるのが面白いビデオだ。

 

 

冬と秋の狭間の季節だ。

喫茶渡辺で、お客さんからコーヒーカップの取っ手の成立はいつ頃かというニュアンスのことを聞かれた。

誰かこれ答えて。うおさん答えて。多分トルコだと思うのだが。ボウルというのはあったが、それに取っ手をつけたのは誰かというのは、私にはわからない。トルコのスタンドコーヒー(サーブする側が立っているのだ。日本で言えば室町期の茶売りみたいなニュアンスだが、こちらはポットとカップを持って立っているだけだ)なのではないのかといったが、わからないものはわからない。

そう、あのサイズの陶器に取っ手がついたのはいつなのか。予想では17世紀あたりだろう。

なお実用的な取っ手はとても古くからある。だがそれらはある程度の重さを持ったものであって、コーヒーカップサイズでは装飾的な目的がない限りないと思う。あったとすればそれは金属器であって、それを模倣したものがいつからあるのかということになるかもしれない。

 

 

水道管の凍結防止のヒーターを新調したのはいいのだが、その周りの断熱材をどうすればいいのかという問題があった。そこを検討しにホーマックに行くが、以外とアルミ蒸着タイプのマットを巻きつけた方が早そうなのに気がついた。その上から防護用シートを巻きつければいい。

断熱用発砲スチロールの枠よりは効果がありそうだ。それよりもレイアウトが自在になる。その効果を見てみたい。

まあそれ以外にも断熱シートも用意した。万全の構えだ。

 

 

喫茶響による。

何か取材が来ていた。

なぜか後半写真教室になってしまった。

 

 

オマケ

喫茶響。中


一日雨

2015-11-24 00:54:49 | 日記

 

今日は一日雨だった。なのでほぼ引きこもり状態。仕事が進んだ。

祭日なのに郵便屋さんが来た。マイナンバーだ。簡易書留で転送不要ということで、郵便局も人がいる時を狙ってくるようだ。そして不明な場合、市役所に手紙が戻る。するとこの住民がどこに行ったかを調べて正しい住所に送る、そんな面倒なことになるようだ。

そしてまた面倒なことが起きそうだ。なんで隣のインド人にマイナンバーを交付するの?しーらないっと。

なおマイナンバー通知書にはすかしが掘られています。その上上の印刷が切手並みの印刷です。お札並みと言っていいかな。こんなところに金がかかっているのを見ると、ガッカリしますね。

 

 

フジでございます。

 

 

印度ですね。なお無袋栽培なので、ムラだらけです。本来は袋がけをして綺麗なピンクになる品種です。甘いだけの品種。盛岡市内に20本程度木が残っているようで、まれにこうやって入手できます。にしても放任栽培しすぎ。王林の親です。

 

 

ロームビューティです。日本名は芹川。明治に導入された時に青森県の芹川さんが育てたからだそうな。煮くずれしにくいので加熱用にいいそうです。

 

 

国光です。フジの親なので無袋だと見分けがつきにくいですね。なおりんごの品種についてはこちらのサイトが充実しています。多分青森近辺だと一番だと思います。

最近変なりんごを入手することが多いな…。岩手大学の産直が悪い。

 

 

今日の記事ほどまとまりのないのはそうそうないねぇ。

そういえば、パリのテロ事件について迂闊なことを書くと、イロイロな方面から攻撃が来るという。少し挑戦してみたい気もする。ただ私の言いたいことなど誰もわからんだろう。

911の時に「ツイにやってしまったか~」と頭を抱えた。そして心の底ではザマアミロと思ったものだった。だから、アルカイダではスペインの事件がちょっと心外だった。ロンドンはそうだろう。そしてシャルル・エブドは、テロに会うかどうかの前に日本の言論状況が今後怪しくなる空気もあったし、ポゴ・ハラムもあってイスラム原理主義者達に同情できなくなっていた。

そして今回も、やはりこの美しくないテロには憤りを覚える。

だが、それでもイギリスとフランスの罪はあまりにも重い。だれがシリアのフサインを裏切ったのか?ワッハーブを増長させたのは誰なのだ、国境を勝手に引いて部族(民族とは書かない)を分断したのだ、誰が新しい国を勝手に作らせて最悪の事態を招いたのか。そしてそれらを真似してさらに罪を重ねたのはどの国だ。ワッハーブをさらに尖らせた奴らに金を出すのは誰だ。スンニとシーアの対立構造を利用しているのは誰だ。誰だ。誰だ。

その罪深さに加担する気はない。同盟国だろうがなんだろうが、今のやり方では全てが間違った方向に行くのだ。

国家はメンツにかけて対立する方向に向かわざるを得ない。それしか取り得る手段がない。ただそれだけのことに巻き込まれて、罪をかぶるのなら、近所のイスラムを大切にしたい。それ以上の市民ができることはない。

日本国がヨーロッパの罪深さを分かち合うという決断をするとすれば、それは仕方がない。だが市民まで巻き込むことはないだろう。そしてもう巻き込まれている人もいるということが、情けない。

そしてアルカイダもポゴ・ハラムも、ISISもその奥底に欲望を抱えている。その暗い欲望が何であるのかを見極めてゆくと、解決策はあるはずだ。そのドス黒さに気がつかなければいけない。

神の名をみだりに語ってはいけない。

 

 

ムクドリの大きな群れに、カラスが追われていった。