真面目に仕事をしすぎたせいで風邪をひいた。まだ体温もわずかに高い程度で体は動くが、頭がボーとしてどうしようもない。そうゆう中仕事をする時は慎重に動かざるを得ない。
なので効率は悪い。だから最短で動く方法ばかりを考える。
午後は曇ったことをいいことに、高松の池に行く。ヒドリガモのオスが陸に上がってまで餌をねだっていた。
メスまでもねだっている。ただし彼らは今後ドンドコやってくるオナガガモや白鳥に追われるように、中津川にテリトリーを移す。キンクロハジロのように潜って勝負をかけることもできない彼らは、意外と弱者になるようだ。そのせいか高松の池ではスズガモやコガモはメジャーではない。
オナガガモのメスの喧嘩だ。どうもこの個体はソリが合わないようでこうして喧嘩ばかりしていた。
アメリカと日本の反知性というのはどう違うのか、少し考えていた。多分なのだがアメリカのしなやかで強靭なのは、聖書があるからなのだと。あのバカバカしいパワーは強大な裏付けがある。信仰だ。神だ。聖書だ。
だが日本の反知性、あのヘイトスピーチを行う人たちやネトウヨたちには何か根源的な弱さを感じるわけだ。アメリカの反知性には目標があり戦略があり戦術がある。日本ではそれを感じないのだ。ただ叫ぶだけで、別な攻撃目標が現れるとそこに移動するだけで、根源的な目標が見当たらない。
それは昔に戻れという、復古主義的なものかといえば天皇親政下に戻るべきだというわけではなさそうだ。ただ単に昔に戻るべきだと言っているにすぎない。その少し昔にしても、朝鮮人も日本人だったりしたわけで。ああカラフト由来の少数民族もいる。アイヌも当然いた。日本人だ。彼らに大和魂を訴え続けて日本人と思わせておいて、切ったのも日本人だ。
恐怖心に煽られて反知性であるなら、それは反知性とも呼べない。そういったことを感じている。少なくともアメリカの反知性の原動力は、神への渇望なのだ。
そういった意味では、日本の左翼も日本的反知性であったのかもしれない。目標があり戦略があり戦術があるように見えたが、戦術だけがあった。漠然とした目標では戦略も組み立てられない。その前に市民運動そのものをどう育てるのかすら、彼らは無視しすぎていたと思う。
まあそういったことで、安倍首相の言う一億総活躍だったっけ、まあそのプロパガンダは自民党とその周辺の、女性の母性という話でワケがわからなくなっている。保育園問題だけでももう大問題。予算を減らしたいし、それでいて認可基準は下げたくない。だから面積が必要な保育園は郊外にあり通勤可能な場所にはない。人件費の問題も一切無視。それでいて女性は家にいるべきだという意見が多ければ、一体何の政策なのかよくわからなくなる。
その上逆もある。女性週刊誌の記事で、こんな車に乗っている彼氏だったらその車に乗る、という話だったのだが、まあ車がマセラッティまでは良い。そんな20代がいるかという問題はさておいて、ベンツも我慢しよう。マイバッハが出た時には驚いた。ロールスよりヤバイ。そんな車に乗る男と結婚したいのか?そいつは運転手だぞ?
そしてテレビ番組で20代後半の女性の求める結婚相手を、そのマッチングするデーターベースに入力したら、まあ当然、各当なしになった。まあ彼女はマセラッティで走る彼を希望してはいなかったのだが、それでもムリだった。
いや、彼女の希望通りの男がいたとしても、多分そいつは結婚しているし、していなくても結婚前提で会うわけではないだろう。
どうゆう希望を言ったのかは言わない。実はかなり控えめな理想だったのだ。それでもいない。年収700万の35歳以下の男性そのものが少なくなっているのだ。
男の現実も女の現実も、夢にまみれて全く見えない社会で、結婚しろとかいうあたりの野蛮さが、厚生省とか財務省の方々にはわからんのでしょうね。
東大卒というだけでもモテるのに。
人生の秋も満喫しております。明日は徹底して寝坊します。早起きしても?絶対寝ます。