ワシは20歳前から精神世界に係わった。
妖しく、怪しい、胡散臭い事柄がウヨウヨしていた。
見えない世界はウソと勘違いで満ちている。
だが、僅かに素晴らしいモノが隠れている。
光も輝きも清浄も見えない世界にあった。
「場」という概念ももちろん知っていた。
見えない世界を多少判断できるようになる。
すると、ほとんどの人が「良い場」を求める。
「良い場」を求める事に何の疑問も持たなかった。
それは、それでいいだろうと思う。
だが「場の浄化」が出来る側になったら違う。
「ケガレの場」を「清めの場」に変えるのが使命だ。
ワシ等はケガレ(氣枯れ)に「氣」を込める者。
「氣枯れ」の体や心が「闇・病」という状態だ。
氣功師は伊達じゃない。
(注:といっても氣功師が清いわけじゃないぜ。
ここを勘違いするとロクな事にならない・・・)
ワシはそれまで中途半端な浄化者しか知らなかった。
「良い場」を選ぶような人しか知らなかった。
「良い場」を優先して独占しかねる者たちだった。
その正反対の方法を示した御師匠様。
その言葉と行為は自然体であり、当たり前だった。
ドブに手を入れて浄化する役目。
そういう道を選ぶのか?
結構・・・キツイぞ。
それでもいいのか?
運命などというほどのモノじゃない。
ハズミというモノだろう。
「この道を歩きたいのですが・・・いいですか?」
この中国同行時にワシは故御師匠様に許可をもらう。
「当分、メシが食えねぇぞ」
ワシの不器用さを見抜いて(誰でも判るか・・・)、
故御師匠様は(優しく?)言った。
それは・・・事実だった。
見当違いであって欲しかったが・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」