水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

月餅・5

2005-10-02 23:13:25 | Weblog


ワシは20歳前から精神世界に係わった。
妖しく、怪しい、胡散臭い事柄がウヨウヨしていた。
見えない世界はウソと勘違いで満ちている。
だが、僅かに素晴らしいモノが隠れている。
光も輝きも清浄も見えない世界にあった。

「場」という概念ももちろん知っていた。
見えない世界を多少判断できるようになる。
すると、ほとんどの人が「良い場」を求める。
「良い場」を求める事に何の疑問も持たなかった。
それは、それでいいだろうと思う。

だが「場の浄化」が出来る側になったら違う。
「ケガレの場」を「清めの場」に変えるのが使命だ。
ワシ等はケガレ(氣枯れ)に「氣」を込める者。
「氣枯れ」の体や心が「闇・病」という状態だ。
氣功師は伊達じゃない。
(注:といっても氣功師が清いわけじゃないぜ。
ここを勘違いするとロクな事にならない・・・)

ワシはそれまで中途半端な浄化者しか知らなかった。
「良い場」を選ぶような人しか知らなかった。
「良い場」を優先して独占しかねる者たちだった。
その正反対の方法を示した御師匠様。
その言葉と行為は自然体であり、当たり前だった。

ドブに手を入れて浄化する役目。
そういう道を選ぶのか?
結構・・・キツイぞ。
それでもいいのか?

運命などというほどのモノじゃない。
ハズミというモノだろう。
「この道を歩きたいのですが・・・いいですか?」
この中国同行時にワシは故御師匠様に許可をもらう。

「当分、メシが食えねぇぞ」
ワシの不器用さを見抜いて(誰でも判るか・・・)、
故御師匠様は(優しく?)言った。
それは・・・事実だった。
見当違いであって欲しかったが・・・。



(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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月餅・4

2005-10-02 10:29:54 | Weblog

「氣入れ」は一応どんな対象にも出来る。
出来るが「し易いモノ」と「し難いモノ」がある。
例えば、水系のモノは易い。
入れる「氣」の反対波動が強ければ、難い。
難い中に「鉛」があるようだ。

ん?
御師匠様は少し首を傾げた。
水晶球を渡して次の品に「氣入れ」した。
「ヘンなモノが混じっているなぁ・・・」
後で感想を言った。

せっかく購入した品だ。
良いモノ、悪いモノと決め付ける事はない。
害をなす波動があるなら、修正すればいい。
その為の氣功だ。
最初から良質ばかり求めるのは身勝手だ。

「場」についても同じだった。
東京センターの場所。
いわゆる「場の悪い所」に構えた。
その理由を話してくれた事がある。
御師匠様らしいユニークな考えだった。

「場が悪いと、いいぞぉ」
借り賃が安い。
場を良くすれば大家が喜ぶ。
付近が綺麗に変っていく。
住民が仲良くなっていく。


(とても書く時間が無い・・・
ノートが欲しい・・・思えば叶う。
叶美香は不自然だ。思えば叶うは不自然かも・・・)



(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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