水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
モノを買う。
金が余って余って仕方が無い。
そういう人以外は安い方がいい。
ワシなら無料もありがたい。
苦労して作った人の事を思わなければ・・・。
何かを身に付ける。
教えてもらう。
合理的に時間を節約する。
同じ憶えるなら早い方がいい。
知識でも技術でもだ。
ワシはメンドウ臭がり屋。
そのモノグサなワシがヨガと出会った。
龍村先生という素晴らしい行者と出会った。
ヨガは身に付けるモノじゃない。
ヨガは自分が変わる実践哲学だ。
技術や知識ではない。
変わるモノと買えるモノは違う。
変わるモノと憶えるモノは違う。
とても、とても大切な事だ。
これを知っただけで人生が変わる。
人間が変われる。
だから先生でなく御師匠様となった。
先生と御師匠様との違いだ。
教えてくれる人ではない。
変わる事ができた恩人だ。
そして変わり続ける事ができる道標の人だ。
人が変わる。
人が幸せに変わる。
人が笑顔に変わる。
そこに係わる道を選んだワシだ。
計算してヨガを学ぼうとしたわけではない。
ところが「変わる」根本がヨガにあった。
身をもって指導する師匠と出会った。
ワシは何てツイているのだろう。
ワシは何てラッキーなんだろう。
先祖の陰徳があったのかもしれない。
運命の女神が粗忽者だったのかもしれない。
メガネが曇っていたのかもしれない。
それでもラッキーは変わらない。
変わるのは自分の方だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
絶対勘違いするよね。
題名に期待して訪れた人、ゴメン。
ワシはそっちの変態を書けるほど人生を知らない。
(正常でない趣味、という意味の変態)
マトモ(正常)も半人前だ。
一人前の変態なんて、当分先だぜ。
ワシが書ける人生。
マトモでもなく、変態でもない。
奇妙、微妙、玄妙な世界の一部。
ここでも半人前だ・・・。
それでもプロ側の世界にいる。
その世界は変身と変心と変魂がある。
意識や生き方や感覚まで変わる世界だ。
それを・・・「変態」と名づけた。
態が変わるからだ。
虫の変態と同じだ。
幼虫が羽化する。
身体が変わるだけじゃない。
地上しか知らない人生(虫生?)が、
空を飛ぶ生き方に変わるのだ。
モノの観方も変わる。
感覚も変わる。
人の人生(変な言葉使いだなぁ・・・)も変わる。
時に、変態する事がある。
変態しようと、もがく事がある。
イキナリ、変態してしまう事だってある。
変態しない人生もある。
病からの回復を観る。
病には「浅い病」と「深い病」がある。
病名の違いではなく、進行度の違いでもない。
どんなに重病でも「浅い病」もある。
軽病でも「深い病」もある。
浅い病は原因や回復条件が単一か単二。
深い病は幾つモノ条件や治療法が必要となる。
そして、深い病は絶対条件がある。
それが・・・変態だ。
(ふざけていません・・・本気です)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
この象嵌の「般若心経」衝立の仏品。
実は前兆があったのだ。
それは約1年前の1993年。
ワシには何度目かの異現象があった。
(03年9月のコラム「異現象」参照)
イキナリ般若心経や観音経を覚えさせられた。
そして半年後に亡くなった父親に唱える事ができた。
49日法要の日、ワシは生駒で氣功師となった。
般若心経の浄化力については理解していた。
家庭不適合の父親だった。
家庭より自分の道を歩く事を優先する。
困った性格だが、ワシはその血を受け継いでいる。
だから氣功師という怪しい立場になれた。
家庭優先なら崖っぷちは歩けない。
その父親の仏壇に供えるつもりだった。
20代に後輩の親と何故か親しかった。
コケシ職人だった。
銘木・奇木を教えていただいた。
黒檀、紫檀、鉄刀木(タガヤサン)。
花梨などの玉目の魅力を知った。
だから、一目で価値が判ったのだ。
自分で黒檀を削って茶杓を作ったりした。
(歯科技工士だからカービング道具あり)
煤竹風に節などを彫刻したのだ。
だから、その削る大変さを知っている。
(20代は何故か茶道を習っいたのだ・・・
膝を壊して途中で挫折。登山も・・・)
黒檀に螺鈿の象嵌。
しかも般若心経。
しかも、しかも、字が名人級。
裏面の絵も見事な象嵌。
足台の透かし彫りも見事。
わざわざホコリにまみれて・・・。
さも厄介モノの振りをして・・・。
金の無いワシ用に用意されていたとしか思えない。
これを買わなきゃバチが当たったろう・・・。
だから人生は面白い。
何が起こるか分からない。
アナタ用にラッキーは転がっている。
愉しいイタズラが用意されている。
ワシはそんな気がするけどなぁ・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」