そうか!
感性で観ればいいのか。
他人と同じでなくていいのだ。
他人の評価と同じでなくていいのだ。
そうか!
感性で描けばいいのか。
他人と同じでなくていいのだ。
他人の評価はどうでもいいのだ。
「観る」事から世界が広がった。
描く事も書く事も自由になった。
感じる事も自由になれた。
たった一枚の絵。
解放された出来事は多い。
観るには「見ない」事。
「見える」事にとらわれない事。
今、気づいた。
この後に精神世界への扉と出会う。
そうかぁ、すでに準備があったのかぁ・・・。
さらに今回気づいた事がある。
ルノアールと同時代同印象派のモネ。
自然の一瞬を描いた画家だ。
同じ部屋に「睡蓮」があった。
でもルノアールに惹かれる。
ワシは最初がルノアールだから、
「刷り込み」があるのかと思った。
ルノアール贔屓なのかと思った。
だが今のワシに関係する理由があったのだ。
「光を当てる」
印象派といわれる画家達。
モネは自然の風景に光を当てた。
一瞬ではなく、一瞬の変化を描いた。
ルノアールは人物に光を当てた。
普通の人達に光を当てた。
特別な存在だけに光を当てたわけではない。
生きている人に共通するモノに光を当てた。
生きとし生けるモノに共通する。
それは「生命」だ。
ワシのライフワークの中心だ。
「輝く生命」に反応するのは宿命だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」