弥勒は女好きと誤解される。
すぐ手を握る。
すぐ尻を撫でる。
「私の子を産んで・・・」と口説く。
こんな程度で女好きと決めつけてはいけない。
弥勒は優しいだけだ。
弥勒は「いいかげん」なだけだ。
実はそれほどオナゴに固執してない。
サービス精神が素直に行動に出るだけだ。
本当に好きなオナゴには遠慮する。
結構シャイなのだ。
尻を撫でるのは本心を誤魔化している。
その場面がある。
「珊瑚、お前は特別なオナゴだ。
だから、オナゴとして好きになるまいと思っている。」
「はぁ~?」
「お前は一緒に戦う仲間だ。」
珊瑚の気持ちを知っている一行から非難されるが、
珍しく弥勒の誠実な本心が観える。
だが、もう逃げられない。
言葉は続く・・・。
「奈落との戦いが終わり、そして私が呪から解放されたら、
珊瑚の故郷で一緒に暮らそう。
そして・・・私の子供を生んでくれ」
ロマンチックな場面だ。
だがそれだけでは浅いオトコだ。
「じゃあ、もう浮気はしないよね」
「うっ・・・そ、それは・・・」
「しないよね!」
「・・・・・」
「するんだな・・・」
これでこそ、誠実な自然体な姿だ。
どんなに大切な場面であっても、
出来ない約束をするオトコではない。
仏の道を歩く身だ。
弥勒は信頼できるヤツなのだ。
上記の場合、珊瑚が幼いだけだ。
今後、弥勒が少しづつ育てるだろう。
心は「いいかげん」で大きく育つ。
心は育てないと幸せから外れやすいのだ。
「弥勒・4」
珊瑚と弥勒のカップルは一応成立している。
だが真っ直ぐな珊瑚は弥勒を理解できない。
珊瑚を特別なオナゴと言った事を理解できてない。
他のオナゴの尻を撫でる事を理解できない。
弥勒はとても誠実なんだけどなぁ。
真っ直ぐな心は狭くなる。
真っ直ぐは他を理解できなくなる。
真っ直ぐは自分だけしか守らない。
真っ直ぐは自分だけが誠実なんだ。
珊瑚は可愛いオナゴだが、幼すぎる。
この世は自と他で成り立っている。
タイプの違う相手も多々いるのだ。
思い通りにならない相手も多々いるのだ。
真っ直ぐでは衝突してしまうのだ。
真っ直ぐから平和は生まれない。
悲しみ、苦しみ、淋しさ。
真っ直ぐだけでは癒されない。
珊瑚が弥勒に惹かれた理由。
弥勒の「やわらかさ」なのだ。
弥勒だから珊瑚を癒せるのだ。
一人の人間だけを一生愛する。
そういうタイプもいる。
一人の人間だけに一生愛される。
それで幸せなタイプもいるだろう。
だが・・・とても特殊な条件付きだ。
人の心、人の世。
そんなに単純に創られていないぞ。
複雑で矛盾したモノが集まった心だ。
複雑で多種多様なモノが集まった世だ。
「やわらかさ」が無ければ救いにならない。
弥勒は・・・仏の道を歩く者。
そして自他の幸せの求道者だ。
真っ直ぐでは歩けない。
生真面目では歩けない。
歩いたら、偽(善)者になると知っている。
仏の道は「やわらかい」。
正しい道を示すのではない。
間違いを認める道だ。
罰なんて無い、と安心させる道だ。
黙って「あたためる」道だ。
弥勒は、故に、一見、スケベに見える。
(それほどではないが、スケベではある・・・)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」