カルテ番号 ひ・7(10)
樋口新太郎は黙って聞いていた。
「里の民は領地とか国とかの概念を持っていました。
海の民や山の民には理解できない概念です。
そして、日本という国は里の民によって創られたのです。
主要産業は農作と畜産です。
当然、土地が広いほど大きくできるわけです」
樋口新太郎はここで質問した。
「海の民や山の民はどうしたのでしょうか?」
「海の民とはいえ、海辺という平地に住んでいました。
だから、里の民に吸収されるのは早かったわけです。
対して、山の民は山と言う里の民が踏込難い所にいたわけです。
そして、海の民は定住ですが、山の民は移住という生活形態でした。
つまり、財産は僅かな持ち運びできるもので、住まいを転々としていたのです。
これでは里の民は山の民を吸収できません」
院長は一呼吸してから続けて話した。
「日本の歴史でいえば、卑弥呼の時代から明治時代まで、山の民は存在していました。
いいえ、一説には大正時代までという人もいます。
もちろん、里の民、海の民との交流は小規模には、ありました。
戦争は人を兵士という兵器にして集めます。
山の民も切り崩されていきました。
そして、滅んでしまいました」
(登場する人物・組織・その他はフィックションです)
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